私の四分音符

@kai101719

Prologue

|プロローグ

ふと視界の隅に映ったのは空高く飛び立つ飛行機の背中だった。飛行機はぐんぐんと高度を上げ続ける。一体、あの機体は何人の人を乗せているのだろうか。何十?、いや百は下らないかな。いずれにせよ、相当の重量に違いない。それを動かす先頭のパイロットはその大きな翼と鈍重な責任を抱えて飛んでいる。なのに、それでも一直線に空を目指すことをやめない。どうして?。どこにそんな力があるの?。機体が空を泳ぐにつれ雲へと近づいていく。雲の中は視界の冴えない恐怖と吹き荒れる風嵐でいっぱいなことを私は知っている。

遠い昔に乗った飛行機での情景が浮かんでくる。幼い私は空気抵抗による揺れがあまりにも怖く、それがいつ来るのか分からない緊張で喉も潰れていた。

隣の席で母は寝ている。話しかけたいが、母を起こすと怒られるのでなかなか言い出せない。母はいつもオーケストラの指導で夜遅くなるとよく私に「ごめんね、今すぐご飯作るから」と語りかけ、着替えもせずに夕食を作り出すことがよくあった。自分よりいつも他人を気遣える母。そんな母が私の自慢である。

嵐の中、「助けて!助けて..」と心の中で叫んだ。それでも見えない外の世界、やまない風の群れに、私達はここで終わるの。そんな不安さえ混みあがってくる。幼稚園の先生は言った、「世界は広い」と。嘘だ。ママのいないひとりの家、幼稚園は冷たい壁と床。友達は名前をいじってくるあーちゃんにいーくん、これが私の世界。嫌で嫌でたまらない、窮屈でつまらない世界。そして、ママに無理を言って連れてきてもらったせっかくの旅行でさえこんな思いをするのなら、もうママのお腹に戻りたい。耐えきれず目を瞑った。

分からないくらいの時間が経った。母が怯える私の肩をポンポンと優しく叩いた。ゆっくりと目を開ける。すると飛行機はなんと雲の上を走っていた。どこまでも続く綿飴のカーペット。身を焦がす程燃え盛る太陽。窓の外には先の見えない青の空。これだけ、たった3つしかない風景。今までと変わらない。それなのに目を奪われる。こんな世界見た事ない!。思わず立ち上がろうとするも母に止められる。ギラギラと輝く輪郭のない無限に広がる世界。私はつまらない世界が嫌いだ。そう確信させてくれる私の居場所だった。ありがとう。私は気絶するように静まり返った。

飛行機での思い出はここで終わっている。あの頃を最後に私の交感神経はずっと鳴りを潜めたままである。何をしようにも気が湧かない。あれから3年後、もう一度あの経験がしたくて再び飛行機に乗ったがあまりパッとしない結果に終わった。忙しい日々に電車の窓を眺める毎日。広がったと思った世界の下は理不尽や暴力の横行する酷い地上だった。久しぶりに思い出した淡い記憶にまた戻りたい。そう記憶を反芻していた次の瞬間、内臓の奥の奥まで響くほどの轟音が私の耳を刺激した。逆立つ鼓膜、はっきりと開かれた瞳孔、そして一瞬にして固まる心臓..。2.3秒、フリーズしていたと思う。ハッと我に返ってすぐ電車の窓から飛行機を覗き込む。しかし、あの巨大な鉄ワシはどこかに消えていた。あの音は一体?。もしかしたら偶然かもしれない。ただ電車の揺れと思い出のフラッシュバックが重なっただけかもしない。しかし、私の第六感はこれをまぐれと無視させてくれない。静かに静かに。激しく動く心臓を抑えつつ目的駅で下車し改札へ向かって歩く。すると、遠くから鈍く重い音がした。

「俺はしてねえ!証拠はあんのか?クソが!」

どうやらトラブルが起きたようだ。何が起きたのかは分からない。いつもなら見過ごしたくなる場面である。ただ、今の私には無視できない。右肩にかけた楽器ケースを両手で固く握りしめ、深淵へと向かった。だって、私にはやるべきことがあるのだから。

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