第41話 間借り営業
……少し頭を上げて泉くんを見る。ずっと待ってるのによしよししてもらえない。首が疲れた。
泉くんは眉を八の字に歪めて、自分の顔の前で五本の指をウネウネと動かしているだけだった。
「ちょっと何よ、その汚いものを触らなきゃいけなくなったみたいな顔は! 失礼しちゃう! 毎日トリートメントまでしてるのにっ! 髪だけはツヤツヤなんだからっ!」
せめて身だしなみくらいは綺麗に。一応それくらいは気をつけているつもりだ。
「あ、いや、そうじゃなくて……」
「佐伯さーんっ! 泉くんが酷いー!」
佐伯さんに抱きつく。佐伯さんのスタイル抜群の体にフィットしたサマーセーターが気持ちいい。
あたたかくて、とっても柔らかくって、いいにおいがして。あー、幸せ者だ私は。私の抱き枕になってほしい。
「はいはい、酔っぱらいは嫌いよ」
「私は佐伯さん大好きー!」
「で、ひとつ聞きたいんだけど、泉くんがここにいたのは偶然?」
私の頭を撫でてくれている佐伯さんを見上げる。佐伯さんの、泉くんを見ているその目が笑っている。口もともニヤニヤしている。
泉くんは……そんな佐伯さんの言葉に少しも動じないで、涼しい顔でビールを飲んでいた。
アンドロイドなのか君は? 佐伯さんに話しかけられているのに失礼だとは思わないのか?
いつもラーメンを食べてるときのような顔をしていればいいのに。笑えば可愛いし。そうでなくとも、さっきみたいに変な顔をしていた方がずっと人間ぽい……私は結構コロコロ替わる泉くんの顔を見ている気がする。
「なかなかのベストタイミングで登場したじゃない? まるでお姫様を救う王子さまみたいだったわよ」
「よく言いますね、ご丁寧に行き先を教えてくれたくせに」
泉くんは小さなため息をついて肩を竦めた。
え――っと、どういうこと? 泉くんは私がここにいるのを知ってたってこと?
何で? 佐伯さんと泉くんの間でどんな話しをしているのよ。
体を起こし、泉くんと佐伯さんを交互に見る。表情を見比べる。キョロキョロと。
佐伯さんはしてやったりみたいな顔でフフッと笑っているし、泉くんは正面を向いたままこっちを向きもしない。
「ねえ、それって……」
「偶然ですよ。僕は久しぶりにここのラーメンを食べたくなっただけですから」
「はい? ラーメン!?」
や、偶然って、泉くんはここで私たちが合コンをやることを知っていて……ダメだ。ラーメンが気になってそれどころじゃない。
カウンターテーブルに立てかけられたメニューを慌てて手に取る。最初から最後まで目を皿のようにしてくまなく見たけれども、焼き鳥や一品料理、あとはドリンク類しかメニューにはのっていない。ラーメンなんてどこにもない。
ここは、幻の日本最大級の鶏――熊本直送の天草大王を売りにするちょっとお高い焼き鳥屋。夜、お酒を飲む時間帯だけの営業のお店。
「昔のわかばと同じですよ、小麦さん」
「……あーっ、間借り営業!?」
「打木ちゃん、間借り営業って何?」
佐伯さんが店内をキョロキョロと見回して首を傾げている。そういうお店に実際行ったことがなければ知らないのも無理もない。
「このお店もそうだけど、飲み屋さんとかって夜しか営業していないでしょ? だから、昼間の空いた時間を貸して、別のお店を営業したりするの。特に個人の店舗を持つ前――駆け出しのラーメン屋さんに多いんだよ」
ラーメンを大嫌いになって、ラーメンが大好きになったお店――わかばのように。
間借り営業で開店資金を稼いで店舗オープンするラーメン屋さんは結構あるんだ。
「でも、間借り営業だったらラーメンを食べられるのはお昼じゃないの?」
「小麦さんの言う通り、普通は間借り営業したい店主さんに営業していない昼間に店舗を貸すんですけどここは違います。ここの焼き鳥屋の大将自らがラーメン屋をやっているから、メニューにないけど夜も顔見知りには作ってくれるんですよ」
……そんなのズルい。
そもそも泉くんに聞くまで、このお高い焼き鳥屋が昼間にラーメン営業をしているとこも知らなかったけれども。ピオッターのタイムラインでも見たことがないし。
え、ちょっと待って、あー、ピオッターで検索かけたら出てきた。
『やきとり なな屋』の鶏清湯だって。美味しそう……
「あっ!?」
「どうかしましたか?」
「ううん、なんでもないっ!」
思わずスマホを隠して、両隣のふたりに画面を見られないよう体を引いて背もたれに寄りかかる。
ピオッターの検索で出てきたのは営業中師範さんのレポだった。
師範さんも、なな屋のラーメンを食べている。
師範さんは、泉くんが食べていた中華そば佐々樹の賄いラーメンの味噌バージョンまで食べていた人だ。泉くんが知っているんだから、当然師範さんも知っているってことか。凄い。
「おふたりはどうします? もうお腹いっぱいですか? 鶏清湯食べま……」
「食べます食べます! ね、佐伯さん、食べるよね?」
身を乗り出して佐伯さんに詰め寄る。
佐伯さんは私の溢れ出す凄まじい迫力に驚いたのか、目を真ん丸にして体を引いた。何なら椅子をうしろにずらしてまで。そんなに逃げなくてもいいのに。
「わ、私はもうラーメン一杯なんて食べられないから」
「じゃあ、取り分けくらいのミニラーメンにしますか?」
「それなら……」
「私は一杯食べますっ! 大丈夫、ラーメンは別腹だからっ!」
「太るわよ?」
「うっ……」
大、丈夫。平日のお昼のご飯を我慢すれば、なんとか、きっと。
最近ちょっとお腹の周りが気になって……両腕でお腹周りを隠しながら、目だけをキョロリと泉くんに向ける。彼は横目でチラリと私の体を眺めて……
「えっち」
「な、なんですか、それは! 別に小麦さんを見ていたわけじゃ……」
「えっちえっちえっちえっちーっ!」
「帰ります……」
「ごめんなさい、嘘です。見ていいから! いくらでも見ていいから帰らないで!」
「み、見ませんから」
泉くんがそっぽを向く。厨房からの強い光で、耳が真っ赤になっているのがわかる。
今日は上下ともゆるめのブラウスとパンツだから別に見てもいいのに。佐伯さんみたいなピチッとした服を着ているわけじゃないから。佐伯さんみたいな服は着られないし持っていないけれども。ちょっと冗談言っただけなのに泉くんってば本気にして。
佐伯さんが私のうしろでケラケラと笑う。賑やかなお店の中でも目立つくらい。
「あなた達って普段からそうなの? 何かどっちも意外だわー」
振り返ると、佐伯さんはお腹を抱えて目に涙をためて、まだ笑っていた。どこにそんなに笑うポイントがあったのかわからない。
泉くんって最初のころはもっと無表情で無愛想のイメージがあったけれども、案外早い段階でこんな感じだったと思うけど。素っ気ないのは別として。たまに笑うし。
こっちを向いた泉くんが、私と佐伯さんをギロリと睨む。泉くんもいい感じに酔っているのかな? 無愛想の仮面が剥がれている気がする。
「そういう冗談はもういいんで、頼みますからね! まったく……」
不満げに口を尖らせブツブツと文句を言いながら、泉くんはカウンター奥で焼き鳥を焼いていた大将に手を上げた。
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