第30話 赤いバイクとライダースジャケット
前に泉くんの見せてくれたスマホにあった、てんやわん屋の朝ラーメニューの写真。お祭りで調べたときに見つけた朝ラーのメニューとそっくり同じだった。
どこにでもあるようなメニューじゃなくて独特なラーメンだから間違いはない。おまけに、てんやわん屋のラーメンが好きだって言っていたし。
だからもしかしたら、泉くんも来るんじゃないかなって、少しだけ思っていた。少しだけ。
私がラーメンを食べるようになったきっかけは泉くんだ。
けれども、いくら同じ会社の社員であってもまったく畑違いの別部署だから、彼との接点はほぼほぼない。極々たまに、社内ですれ違ったら軽く挨拶を交わす程度。雑談するようなこともなければ、ましてやラーメンを食べに行こうなんて誘うような間柄でもない。
なんだろう、この感じ。
間違っても、好きとかそんな気持ちじゃない。と思う。多分。おそらく。きっと。
でも、泉くんとラーメンの話がしたいって思う。
彼の食べてきたラーメンの話を聞きたい。
ピオッターでだけやり取りしていたフォロワーさん達に感じていた気持ちと同じような感覚かもしれない。
そう――憧れ? みたいな。
七時四十七分。
みんながお店の入り口から壁に沿って順番に並び始める。フォロワーさん達と挨拶をして楽しく話していた時間はおわり。
みんな、流石は常連さん達だ。フォロワーさん達の順番は間違いなくファーストロット。私は十二番だから中待ちの席。
こんなに離れてしまってはもう、お店で話すこともできない。
グオングオングオンッ!
朝に似つかわしくない音が遠くから聞こえてきたかと思ったら、走ってきた赤いバイクが白い軽バンの向こう側に消え、けたたましい排気音が止まった。
すぐに車の影から現れたのは……
ええっ!? えっ? えっ? えっ? えっ? えっ?
ハーフヘルメットを脇に抱えたライダース姿の泉くんだった。
あ然呆然愕然、高速で目を瞬かせている私をチラッと横目に見て軽く頭をさげた泉くんは、前の方に並んでいた会長さんたちと軽く何かを話したあと、一番最初にお店へ入っていった。
会長さんとサブさん、神無月兄弟さん、ロンリーさん、ミカン姐さんが、泉くんに続いてお店に入っていったけれども、彼はお店から出てこなかった。
どうやらウェイターで順番を取りに行った、というわけではないらしい。
と言うことは……泉くんが一番だった、ってこと!?
おまけに、会長さん達と知り合い? どんな? ラーメン仲間なのは間違いないけれども、泉くんもピオッターのアカウントも持っている、とか?
え、誰? 私もフォローしている人? みんなと何を話していたの? お店の中で何を話しているの?
気になる。気になる気になる気になる気になる気になるエンドレス……
店の外で順番待ちをしている自分がもどかしい。気になって気になって仕方がない。
もっと早くに来ていれば、私も会長さん達くらいの順番だったら、泉くんが何を話していたの聞けたかもしれないのに……
ああああ、アレだ。出かける準備はできたのに呑気にコーヒーなんて淹れていたからだ。あれで十五分は到着が遅れた。
だって、土曜日の朝なのにこんなにも早く開店前のラーメン屋に人がいるなんて思わないじゃない、普通。
八時になった。
ひとり、またひとりと、お店の外で待っていた人達が店内に消えていく。
私がお店に入った頃はもう、泉くんを先頭にフォロワーさんたちはみんなカウンターの席に着いていた。
壁沿いの長椅子に腰掛けて、みんなの背中を恨めしく眺める土曜朝のひととき。
筆舌に尽くしがたい敗北感に打ちひしがれる。私はただ、土日の朝限定の美味しいつけ麺を食べに来ただけなのに。
泉くんはスマホを見ながら待っているけれども、時々会長さんから何かを話しかけられてそれに答えている。ように見える。もちろん、私のところまで話し声は聞こえない。小さな声で話せば聞こえる距離ではないのに、店内に流れているユビキタスのヒット曲が大嫌いになりそうだ。
「前から失礼します。器が熱くなっているのでお気をつけください」
大将が泉くんの前にお茶碗より一回り大きな器を置いた。あれがきっとつけ汁だ。すぐにラーメンのどんぶりが出てくる。あの中に麺が……思わずゴクリと喉が鳴る。
昨夜、てんやわん屋公式アカウントの朝ラーメニューの告知に上がっていたつけ麺画像がとっても美味しそうで、本当に今日を楽しみにしていた。
京小麦を使った自家製平打ち麺と告知された麺は、真っ白で神々しく輝いていた。
早く食べたい。お店が開店した辺りからちょっと雑念が多かったけれども、私は生まれて初めてのつけ麺を食べに来たんだ。間違ってもモヤモヤしに来たわけじゃない。
泉くんのことは今はいい。私が飛び込んだ沼に、泉くんは頭まで沈んでいるのだから。いやむしろ、私を沼に引きずり込んだのが泉くんなのだから。別に逃げたりはしない。
大将が順番に、つけ麺をカウンターに置いていく。まずは四人分。泉くんと会長さんとサブさん、あとロンリーさんまでだ。カウンターは八人掛けで、ロンリーさんの隣はミカン姐さん。神無月兄弟さん達は、カウンターの隣に一台だけあるテーブル席に座っていた。それもそうだ。ふたりが座れるテーブル席に二名様を座らせずに一名のお客さんを相席で座らせたりはしない。
最初に席に着いたお客さんは十人。その内の半分以上が私の知り合いだなんてビックリだ。
私の隣の人は券売機で食券を買って案内されるのを待っている。
てんやわん屋では、中待ち席の先頭グループのお客さんだけが食券を買って待つスタイルだった。これもお店によってまったく違う。
お店によっては食券を購入してから並んだり、店員さんに案内されてから食券を購入したりと様々だ。だから、食券を購入するだけのことなのに初めて行くお店では緊張する。ラーメン屋あるあるだ。
「ごちそうさまでした。今日も美味しかったです。また来ます」
え、早っ! もう食べちゃったの!?
「毎度っ、いつもありがとね!」
泉くんが大将と言葉を交わし、椅子の下に置いてあった荷物とヘルメットを抱え、私のフォロワーさんたちに頭をさげて片手を上げた。フォロワーさん達も手をあげたり会釈したりと無言でそれに答える。
行っちゃう……
突然の登場にビックリして一言も声をかけられず、結局何も話せないまま泉くんはお店を……
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