4月 姫と宰相、さようならをする
第1話 フィリオーネ、昔を懐かしんで未来を思う
最後の一ヶ月。フィリオーネは時が止まってしまえばいいのに、と珍しくそんなことを思う。
「フィリオーネ、何かわからないところでも?」
春になり、暖かくなってきたからと、二人は庭園に設置しているキオスクの一つで勉強会をしていた。
「いえ、ちょっとやることが多くて疲れていただけよ」
「では……休憩にしましょうか」
ライアスはそう言うなり、侍女に休憩の合図をした。
少しして、侍女がこちらにティーセットを持ってくる気配がする。鳥のさえずりを聞きながら、フィリオーネは口を開く。
「そういえば、昨年の夏にあなたとお茶会という名の勉強会をしたのもこのキオスクだったわね」
「そうでしたね。私はアスリーンティーを、フィリオーネはスフェルトコアツェを、それぞれ持ち寄って」
あれから半年以上が経っていたのか、とフィリオーネは懐かしむ。あの頃は全くライアスを意識していないつもりだった。
フィリオーネが恋心を自覚したのは今年に入ってからだが、フィリオーネの恋心が育ち始めていたのは、もっと前からのはずだ。当時、コドリナに「それはデートでは?」と指摘されたのを「違う」と言い切ったが、本当はデートの気分だったのかもしれない。
フィリオーネは新しい知識が増えていくこと、その知識を増やす手段の多さ、ライアスとの会話、何もかもが新鮮で楽しく、その水面下で恋心が育っているということに全く気づいてもいなかった。
ダチアが飲み物を用意している間、フィリオーネは雑談を続ける。
「もうすぐ、こうして息抜きをしている時間も終りね」
「……スケジュールがぎっしりですから、仕方ないですね」
「あら、それはあなたもでしょう? 最後の最後に一つ法案を通そうとしているって聞いたわよ」
ライアスは任期ぎりぎりまで宰相として動くつもりらしい。仕事に対して本気がすぎるではないだろうか。フィリオーネだったら、最後の一ヶ月は引継ぎの期間にする。
「私は引継ぎについても考えてほしいと思うのだけれど、そちらの方は進んでいて?」
「もちろん。私の優秀な秘書がしっかりと」
「そういうことね。忘れていないならいいわ」
どうやらライアスの秘書は優秀らしい。人に任せられる仕事を見極めて割り振るのは大切な能力だ。やはり、女王になる身としては、彼の能力が惜しい。
フィリオーネとしても、次期女王としても彼を諦めると決めてしまっていても、やはりそう思ってしまう。
「……あなたがいなくなってしまうの、とても残念よ」
「殿下に言われてしまうと、何とも言えない気分になりますね。絶対にこき使う気じゃないですか」
フィリオーネとしてではない言葉だとすぐに気がついたライアスが、宰相として苦笑する。
「私が女王になった時、あなたが宰相として腕を揮ってくれたら、この国は完全無欠なのに。そういえば、気になっていたのだけれど……」
「なんでしょう?」
礼儀作法を全て飛ばし、フィリオーネはダチアが用意した飲み物を口をつける。
「ライリーンの君は、為政者としてはどうかしら? あなたの目から見て、使えそう?」
「んぐっ」
フィリオーネの後を追うようにしてカップに口をつけたライアスが小さく喉を鳴らし、せき込んだ。
話しかけるタイミングを間違えてしまったみたい。悪いことをしたわね。
「えぇと、まあ、使えるはずです。どうしてそんなことを?」
喉の調子を整えてから返事ついでに質問を投げ返す彼に、フィリオーネは次期女王として答える。
「あなたの穴を埋められるのなら、悪くはないなと思って」
「なるほど……殿下が彼を使いたいと思えるかは別として、能力は安心していいですよ」
ずいぶんと引っかかる言い方である。フィリオーネはその理由を問おうとしたが、できなかった。慌てた様子で駆け寄る秘書の姿がフィリオーネの視界に入ってきた。時間切れである。
「殿下、すみません。次の約束が」
「いいわ、行ってちょうだい」
使える人間だが、使う気持ちにならないかもしれない――とは、どういうことだろうか。フィリオーネは最初に考えていたことを忘れ、その意味について考えを巡らせるが、その理由が全く思いつかないのだった。
何も思い浮かばない内に、フィリオーネの方も約束の時間になってしまった。フィリオーネは最後の試着としてウェディングに袖を通していた。フィリオーネを表す薔薇の装飾が多数つけられ、ドレスの裾にはライリーンの花を模した刺繍が施されている。
美しくて白い衣装に無感動な表情をしているフィリオーネは、まるで人形のようだ。しかし、とても似合っている。ドレスのデザインはライリーンの君がデザイナーと相談したらしい。
実際に身に着けてみると、彼がいかにフィリオーネを理解しているかが分かる。
フィリオーネの外見は、姿絵でも入手をすれば簡単に理解しできるだろうが、趣味嗜好はそうはいかない。
確かに、ライアスの言う通り、ライリーンの君は仕事のできる人物なのだろう。フィリオーネのことをここまで理解してくれる人ならば、不安はない――と言いたいところだが。
「でも、ライアスじゃないのよねぇ……」
誰にも聞かれないような小さな声で呟いた。しかし、これ以上は絶対に口にはしない。ライアスが第二皇子だったら良かったのに、とは。
全て自分が決めたことなのだ。フィリオーネはそっと目を閉じた。
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