第4話 恋に気づいたお姫様、優しすぎる宰相を憎らしく思う

「フィリオーネは、何が食べたい? 一通り食べた感想も聞きたいな」

「えっ、えっと、私は……」


 本気でライアスはフィリオーネと普通に接するつもりらしい。彼は普段よりも気さくな声色で語り掛けてくる。フィリオーネに何かを教える時の声も好きだが、これはこれで悪くない。


「私はソーセージが好きだな。王宮のソーセージはバランスが整っていておいしいけれど、こっちは刺激があって良い。フィリオーネはどうかな。やっぱりこの酸味が新しいサルマレ?」


 優しい人だ。フィリオーネが答えられずにいると、回答のハードルを下げようと言葉を重ねてくれる。しかしそれは、フィリオーネが姫だから、次代の王だから、労わってくれるだけなのだ。どうしてかつきりと胸が痛む。

「私には、ちょっとサルマレは酸っぱいかもしれないわ」

 いい加減答えなければ不審に思われてしまう。フィリオーネが苦笑しながら答えると、ライアスは「では、こちらは私がいただくよ」とさらりと流してくれた。


「ライアスは、本当に一年だけなの? もっといてくれれば良いのに」

「……それは嬉しいことを。でも、残念ながら延長はないんだ」


 ライアスは目を伏せたが、その表情は穏やかで言葉通りには見えない。

 ちっとも残念そうではないじゃない!

 フィリオーネはそうい叫びたかった。しかし、王女としての矜持がそれを許さない。フィリオーネは言葉を飲み込み、ただ「残念だわ」と口にする。諦めるつもりはない。たとえ、残り半年を切っていたとしても、まだ諦めない。


「私の家庭教師は続けてくれるの?」

「残念ながら、同じタイミングで終了だね。悔いの残らないように、みっちりしっかり、頑張らせてもらうよ」


 きゅうっと胸が絞られる。そんなに彼がいなくなるのが辛いというのか。フィリオーネは初めての感覚に、嫌な考えが浮かぶ。 


「あなたみたいな有能な人、手放したくないのに」


 フィリオーネの口から勝手に吐き出される言葉は常日頃から思っていることであるが、その言葉すらフィリオーネの胸を切り裂こうとしてくる。


 こんな意味の分からない自分、知らないわ。


 フィリオーネは戸惑っていた。ずっと考えないようにしていたことがある。絶対に必要ないと思っていた単語だ。そして、その感情は存在するべきではなく、生まれることもないのだろうと思っていた。

 しかし、もうこれは認めなければならないのかもしれない。

 誤作動を起こして制御できない感情など、“恋”の他に思いつかなかった。


「人間、節目というものがある。私にとってのそれが、これなんだ」


 ライアスの穏やかな表情は変わらない。本当に4月の末日で役目を終えるつもりなのだと、それを取りやめる気は全くないのだと、フィリオーネには分かってしまった。

「フィリオーネが私のことをこんなに信頼してくれるとは思ってもいなかったから、本当に嬉しいよ」

 サルマレを口にしながらライアスが笑う。


 きっと、最後の日も笑顔で目の前を去っていくのだろう。フィリオーネの気持ちを知らずに、ただの貴族に戻っていくのだ。

 唐突に悲しくなってしまった。


「フィリオーネ?」


 柔らかな声がフィリオーネに降ってくる。フィリオーネのことを優しく包み込んでくれるライアス。妹のように愛しんでくれる彼。優秀な宰相であり、悔しいほどに完璧な家庭教師。


 どうしましょう。私、ライリーンの君ではなく、ライアスに恋をしてしまったのだわ。


「……そんなに悲しんでくれるのか?」

「私、わた……し……」

 ワイン色の美しい目がフィリオーネを捉える。彼の目に映るフィリオーネは心細そうな顔をし、瞳からぽろりと雫を落としていた。


「誕生日に悲しませてしまって、申し訳ない。でも、嘘を言ってぬか喜びさせる趣味はないから」


 ライアスはそう言いながらフィリオーネの涙を拭った。その優しい所作に、余計悲しくなる。


「そういう、わけでは……なくて、私……」

「大丈夫。フィリオーネはライリーンの君と結婚するんだから、寂しくないはずだ。彼がいればきっと大丈夫」


 ライアスの口から婚約者の話が出る。それはフィリオーネのことを姫としか思っていないからこそできることだ。俗な言葉で表現するのならば「脈ナシ」である。


「こんな、子供みたい……」

「フィリオーネは頑張り屋さんだから、時々ならわがままを言っていいと思うよ。私の延長だけは聞いてあげられないけれど、それ以外なら時々甘えさせてあげてもいい」


 手始めにハグしてあげようか。そう言ってライアスが笑う。婚約者が決まってしまっている身で自分の気持ちを伝えることはできず、かといってこの気持ちに踏ん切りがつかなかったフィリオーネは、彼の好意に甘えて思い切り抱き着いた。


「うん。まだ有能なお兄ちゃんは春までいるからね。あんまり寂しがられると困ってしまうよ」

「……私、まだ諦めないもの」

「それは、もっと困るなぁ。私がライリーンの君に殺されてしまう」


 小さく笑いながら優しく背中をとんとんと撫でてくれる。フィリオーネは、彼のその優しさが心の底から憎かった。

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