11月 姫と宰相、何かに気づく
第1話 フィリオーネ、待ちくたびれる
ライアスが珍しく無断で勉強会を休むらしい。フィリオーネがライアスの欠席を予め知っているのは、父王からの報せを受けたからである。
フィリオーネはテーブルに広げられた勉強道具を見つめ、ため息を吐いた。時間になったが、やはりライアスは現れない。そして、普段ならば現れるであろう秘書の姿もない。完全無断である。
「フィリオーネ姫、いかがなさいますか?」
コドリナがフィリオーネの機嫌をはかるように聞いてくる。どうしてそんなことをするのかフィリオーネには分からなかったが、彼女を安心させる為に微笑みを送る。
「今日は自習するわ。せっかくだから、サンルームに移動しようと思うの。悪いけれど、飲み物を向こうへお願いできる?」
「かしこまりました。準備いたします」
優秀な侍女たちはコドリナの返事を号令代わりに支度を始めた。その間に勉強道具をひとまとめにしたフィリオーネはコドリナと共にサンルームへと向かうのだった。
サンルームは、ちょうど暖かくて気持ちの良い空間になっていた。フィリオーネは柔らかな日差しを受けているテーブルに勉強道具を広げ、本来この場にいたはずの宰相を思う。
ライアスは今、父とお茶会をしているらしい。わざわざ突然そういう場を設けるということは、それなりに重要な話をするのだろう。
議会に何かを通そうとしているのかもしれない。反発が予想されるものであるのならば、事前に打ち合わせをしておく必要がある。そういう話をするのだろう。
フィリオーネは何となしに、己の薬指にはまる指輪を眺めた。先月手に入れた指輪である。贈り物、と言うには何となく変な感じがするそれは、便宜上はライリーンの君からのプレゼントで、実際はライアスが買ってくれた指輪だった。
ブラックスターサファイアの指輪。銀細工の薔薇に囲まれて光る宝石は慎ましく、しかし埋もれることなく存在している。
「……ぼうっとしている場合ではないわ。自習しなきゃ」
フィリオーネは目を瞑って深呼吸をして気持ちを切り替えると、ライアスが出してくれていた課題の続きを進めるのだった。
それにしても、暖かいわね。
フィリオーネは羽織ものを脱ぎ、空いている椅子の背もたれにかける。
十一月ともなれば、肌寒さも強く防寒に気を配る季節ではあるが、やはりサンルームは暖かかった。
ふいに眠気に誘われたフィリオーネは小さなあくびをしつつ、飲み物へ手を伸ばす。すっかり冷えた紅茶の渋みが、眠気を覚えたフィリオーネにちょうどいい。
今日は外交の課題を進めるところだった。グライベリード王国は、完全中立国という立場を守る為に外交に力を入れている。力を入れているといっても媚びているわけではない。
相談を受けたり、物資の交換を行ったり、いわば、ご近所付き合いのようなものである。周辺国に災害が起きれば、積極的に支援もする。良き隣人であった。
さて、課題はというと、一度に周辺国が災害に見舞われた場合の対応についてである。均等に振り分ければ良いと思うだろうが、それがなかなか難しい。支援をするにしても、被災の度合い、その地域の人口などによっても変わる。そして支援内容は備蓄の提供でいいのか、人材の派遣の方がいいのか、そういった部分の検討も必要である。何より、全ての国に適切で平等な支援をするのはかなり難しい。
ここは土砂災害で距離も近い、まずは人材派遣で被災者の救護活動、あちらは洪水で距離があるから、人を送っても無駄足になるわね。支援物資の方がよさそう。それで……、あら、いやだわ。人手が足りなくなってしまう。
それなら、少し人員の割合を……。
永遠と完成しないパズルを組むような作業である。どこかを詰めると別の場所が空いてしまう。フィリオーネは延々とそれを繰り返している内に、眠気に負けてしまうのだった。
背中に何かをかけられ、同時に覚えのある香水が鼻をかすめたフィリオーネは自分がうたた寝してしまっていたことに気がついた。しかし、この心地よい空間で、すぐに意識をはっきりとさせることは難しい。
二度寝をする時のような、あの幸福感にひたっていると、近くの椅子が引かれて床が振動した。そしてその椅子に誰かが座る気配も。
誰かしら。でも、こんなことをするのは侍女の誰かではないわね。さっきの香水は……誰だったかしら。そう、第二皇子の手紙に染み込まされているものに似ていたわ。流行っているのかしら。
フィリオーネは目覚めるべきだと思っていたが、なかなかその気になれずにいた。何となく、フィリオーネを害するつもりがないのだと感じていたからかもしれない。
「……殿下、お待たせしてしまい申し訳ありませんでした」
なんだ、ライアスだったの。普段と違う香水だから気がつかなかったわ。
フィリオーネは何かを掴んだ気がしたが、ぼんやりとした思考では掴み取ることはできなかった。
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