第2話 気を取り直した姫、宰相にからかわれる
「ライアス、もう私は大丈夫よ」
視線を合わせることができないのがもどかしい。かといって、彼と視線を合わせるのは気はずかしい。フィリオーネは普段よりも多く瞬きをしてそれに耐えた。
ライアスは簡単に解放してくれた。すうっと引いていく体温に心なしか心細さを覚えさせる。少しずつ空気が冷えてきたからかもしれない、と秋の訪れを実感する。
「ありがとう。助かったわ」
「いえ、かまいませんよ。ところで、殿下」
ライアスと適切な距離ができ、ようやく向き合えるようになってほっとしているフィリオーネに声がかかる。
「何かしら?」
「先ほど、殿下の侍女に衣装を預けましたので、明日はよろしくお願いします」
「わかったわ。明日はよろしく、アルバストゥル宰相」
それがここに現れた理由ね。
フィリオーネは少しだけがっかりした。なぜかは分からないが、確かにフィリオーネが感じたのは落胆であった。
よく分からない自分の気持ちの変化を気味悪く感じながら、フィリオーネはお忍びで出かける日を迎えてしまった。
「これは……ずいぶんと質素な衣装ね。でも、この服を着たくらいで、一般市民の中に紛れ込めるのかしら?」
フィリオーネは普段通りの下着の上に軽くコルセットを締め、その上へ肌触りの良くない綿のブラウスとロングスカートを身につけていた。
そしてロングスカートの下にはスカートを重ねてボリュームを出させており、シルエットの補整と防寒対策は完璧である。
「おそらく、これでも質が良い方かと思います。商家のお嬢様くらいかと」
「……そうなのね。まだまだ勉強が足りないわ……」
フィリオーネはスカートをふわりとさせようとして、失敗した。なるほど作りもだいぶ違うようだ。
「フィリオーネ姫、もうすぐ約束の時間になります」
「ありがとう、ダチア」
さて、ライアスはいったいどのような姿で現れるのだろうか。フィリオーネは優秀な宰相の変装を楽しみにしながら移動を開始するのだった。
「あら、ライアス。ちょっとその格好はなに?」
フィリオーネはライアスの姿に瞬きした。彼は、少し――いや、かなり変わっていた。というのも、髪の毛の色からして違う。
「私の髪の色は目立ちますからね。ウィッグですよ」
「それくらい、わかっていてよ」
ライアスはビストル色のウィッグを被り、それをゆったりと編み込んでいた。地毛に近い色にすることで、不自然さを避けているのだろう。普段の髪色を気に入っているフィリオーネは、その色が隠されてしまっていることが残念だった。
そんな彼が羽織っているのはロングコートで、ずいぶんとシンプルなデザインである。すっかり普通の人に見える。
「その姿、ずいぶんと馴染んでいるわね」
自分の姿を見ても仮装しているように見えて仕方がないのに、ライアスにはそれがない。とても自然に着こなしていた。
「市井を見る為にときどきお忍びをしますから」
「そうなの?」
どうやってその時間を捻出しているのだろうか。ライアスの返事に驚きながらも感心する。
「ええ。先日にも言いましたが、臣民の生活を知らねばまともな治世はできません。
どんな生活をし、何を感じているのか、それを直接調査し、自分の頭で考えるということは大切なんですよ」
「あなたは、その考えを実行しているということね」
「その通りです」
ライアスは大きく頷いた。フィリオーネは目の前の男のフットワークの軽さ、時間の使い方に尊敬の念を抱く。同時に今日の外出への頼もしさも。
「あなたの能力の秘密を見せてもらえる、ということね。とても楽しみにしているわ」
「わかりました。では、まずは殿下……偽名を決めましょうね。あと、言葉遣いも直しましょう」
「……わかったわ」
一般市民に紛れ込むのは難しそうだ、とフィリオーネは不安を覚えながら、移動中にライアスからの指導を受けるのだった。
やはり簡単ではなかった。フィリオーネは馬車の中で散々言葉遣いを改めさせられて、目的地へたどり着くまでにへとへとになってしまっていた。
「いい感じにくたびれてていいね」
「……な、何よそれ……」
フィリオーネがじっとりとライアスを見つめれば、彼は愉快そうに笑う。
「フェリシア、降りるよ」
「もう……っ!」
フィリオーネの偽名を呼びながら一足先に馬車を降りる彼の後に続く。むっとしていたフィリオーネだったが、馬車から一歩離れてライアスの誘導で彼の前へで出た途端に目を輝かせた。
まぁ、市井の生活が目の前に広がっているわ!
それは、フィリオーネが“王女として”ではなく、ただの人間として人々に触れ合うのだということを改めて実感した瞬間であった。
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