第8話 不完全芳香:モカ

あれからあたしは、

アイスクリームにありそうな匂いに焦点を絞っている。

なんでかはわからないけれど、

ストロベリーのアイスの思い出からきた、

自分の過去のつらい刃物のような記憶で、

今の自分が満身創痍になっても、

それでも、あたしは見つけないといけないんだ。

どんな匂いを、あたしがほしがっているか。


アイスクリームと、石鹸と、芳香剤と、お菓子と、

とにかくいろいろの芳香媒体。

何でも試す。

鼻がおかしくなるまで。

壊れちゃったほうがいいのかな。

そうしたら、普通に笑って暮らせるのかな。

匂いなんて気にしないで。


思い出は優しいだけじゃない。

なれなかった自分の諦めという幽霊もいる。

それが呪っているような気もするし、

何かを言いかけているような気もする。


あたしは何になりたかったんだろう。


先日、マサズミがバニラアイスを買ってきた。

今日はそれをコーヒーに溶かそう。

バニラアイスを差し出すマサズミの表情は複雑だった。

何か言いたいのか、言ってはいけないのか、

バニラの似合う女でいてほしくないのはわかったし、

あたしもバニラは清らかで官能的過ぎて、

一つで大体完成しているのは、なんとなく違うの。


「バニラアイスを食べましょうね」


過去からの誰かのセリフ。

いやなの。

ストロベリーもバニラも。

そんなものを食べるような女の子になりたくないの。


あたしは過去に復讐をするような思いで、

どろどろのコーヒーにバニラアイスを溶かす。

琥珀の香りが白く濁る感じ。

アイス屋にはモカアイスもあったけど、

甘くて苦くて、子供にはちょっとだけしんどかった。

今作ったコーヒーも、

甘くて苦くて、自分にとってもしんどい飲み物になった。

どこかの歌を思い出す。素敵な飲み物コーヒーモカマタリ。

どこがだ!

何をやっても匂いが捕まえられなくて、

あたしはやけを起こしかけていた。


ハードボイルドになりたいわけじゃないの。

苦いのを我慢して飲むような、

たばこの匂いをまとうような、

そういうなんでも屋にはなりたくないし、

なにより、

ハードボイルドの匂いでは、完成しないの。


あたしはしんどい飲み物を飲んで、

とにかく街に出ることにした。


あたしは何になりたいんだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る