第38話 カイ

 スワンボートを降りると、私たちの近くから陽気な軽音楽部の演奏が聞こえてくる。

 

「あっ、カイ。見て! ガーデンダンスパーティだよ」


 私が指差した先では、ローズガーデンの広場で男女がペアになってダンスを踊っていた。

 私は手を引いてねだった。


「踊ろう、カイ!」

「……よろしいの? 一緒に踊ったりして」


 カイがちら、と視線を向ける先は、男女ペアばかり。

 私たちみたいに女子生徒同士で踊る人はほとんどいなかった。


「私があなたと一緒に踊りたいの。ね?」

「……まったく。大親友のおねだりには敵いませんわ」


 カイは覚悟を決めたようにシャンと背筋を伸ばし、紳士然としたエスコートで私に手を差し伸べる。


「踊っていただけますか? フェリシア・ヴィルデイジー男爵令嬢」

「はい! カイ様」


 私の言葉に、カイは少し眉を顰める。


「……公爵令嬢とつけなさい」

「でも、カイは本当はコーデリック公爵令嬢じゃないんでしょう?」

「……仕方ないわね」


 カイと一緒に制服のスカートを翻し、手と手を取って颯爽と広場へと向かう。

 そして私たちは、誰よりも大胆にダンスした。

 最初はワルツ。そしてだんだん激しいダンスに。

 最初は「なんだなんだ」と冷やかし気味に見ていた他の人々も、次第に盛り上がって、私たちと一緒に即興で踊り始めた。

 鳴り響く軽快なドラム。ステップで舞う土埃。スカートを翻して笑いながらダンスし、疲れて花畑に座り込む令嬢たち。楽しそうにダンス勝負をする令息たち。

 こんなにみんなでめちゃくちゃになって踊るなんて、きっと卒業してしまえば永遠にできない。


 汗を流して、カイと手を取り合い、ダンスして。

 見つめあって笑って、カイが銀髪を振り乱し、挑戦的に目を眇めて笑って。

 ドキッとした瞬間くらっとして、足がもつれて転んでしまって。


「危ない!」


 ーーカイにぐいっと引き寄せられる。

 腰を抱かれ、ぐっと顔が近づいて……私は、時が止まったような感覚になった。

 カイは真顔だった。綺麗な両目に私をいっぱいに映してーーそして切なそうに、微笑んだ。


「フェリシア、実は、私は……」


 その時。


 出店の方角から飛び出してきたパンダの着ぐるみが、私とカイの前に立ち塞がる。

 パンダは頭部分を吹っ飛ばし、素顔を見せて大笑いした。


「ル、ルジーナ!?」


 広がる金髪。可愛らしい勝気な顔。義妹のルジーナだ!


「ど、どうしてここに……!?」

「お姉様の妹だもの、名乗れば余裕で入れたわ!!」

「そ、そっか……」


 私は反省した。

 そっか、文化祭なのだから私ばかり浮かれずとも、ルジーナもちゃんと誘えばよかったと。


 ーーけれど、その反省は次の瞬間吹っ飛んだ。


 ルジーナが手のひらをこちらに向ける。簡易詠唱の気配がする。

 手のひらが輝いた。


『お姉様、覚悟ッ!!! お嫁にいけなくなっちゃえ!!』


 パンダなルジーナは私に向かって、ドロドロに澱んだ水魔法を発射した!

 あれは毒属性を付与した水魔法ーーのような、何か違うものだ!


「っ……!」


 思わず顔を覆って身構えたけれど、私はちっとも痛くない。

 ハッとすると、カイが私の代わりにドロドロの水を浴びていた。

 顔にはかかっていないものの、コスプレの修道服がドロドロに溶けていく。


「ふ、服を溶かす薬……!?」


 カイの服が溶けていく。肌が露出し、スカートの布がばさりと落ちる。頭に被ったウィンプルも、襟元の飾りも。

 ーーチョーカーも。

 カイが青ざめたのが見えた。


「カイ……!」


 私ができることは当然一つ。

 私はすぐに自分のメイド服のエプロンを解き、カイの腰に巻きつけた!

 そしてスカートを下ろしてカイに差し出す。


「履いて!」

「ちょ、ちょっとあなた!」

「大丈夫! ドロワーズ履いてるから! セーフ! ブルマみたいなもんだから!」

「全くセーフじゃない……!!!」


 と言いながら、カイはおとなしく私のスカートを巻かれてくれた。

 私たちが露出問題にあたふたしている間に、ルジーナは警備員にお縄になっていた。


 空からふわふわと店長さんが降りてくる。

 長い赤毛をゆらして、金の瞳を眇めてーーその姿は、どこか荘厳で。

 警備員に押さえつけられたルジーナを見下ろして冷たく言った。


「ルジーナ・ヴィルデイジー。君にはがっかりしたよ。……今の魔術、国外の過激派組織が資金集めのために売り捌いている違法薬品ポーションを用いたものだね?」

「な、なんでそんなことが……」

「君の力は魔術学園も把握していた。いずれ魔術学園に通える人材としてチェックはしていたが……違法薬品に手を染める君に、魔術を扱わせるわけにはいかない」


 店長さんなのに、店長さんではないように見える。

 見れば警備員の皆さんや、教職の人々は皆頭を下げている。

 呆然としているのは外部の人々と学生ばかりだ。


「店長さん……あなたは一体……」


 私の呟きに、店長さんはチラリとこちらをみてウインクした。


「しがない店長だよ。カフェテリアのね」


 そして店長さんがどこからともなく長い杖を出す。

 杖を振ると、その先端の宝石に、ルジーナから光が吸い込まれていく。


「え、えええ……あ……うそ……!」

「君から魔力を奪う。……君はまだ若い。きちんと、真っ当に生きることを覚えなさい」


 ルジーナは呆然としていた。そのまま、警備員に連れて行かれる。


 店長さんがパンパンと手を叩いた。


「さあ、楽団は演奏を再開してくれ! みんなで踊ろうじゃないか!」


 杖を振ると、光が一面に輝き出す。色とりどりの虹が輝いて、幻想的な光景になった。

 その光景に合わせて、楽団は賑やかな演奏を始める。

 学生たちも顔を見合わせて踊り始めた。


 店長さんはそのまま、杖を振るって消える。

 気がつけば、カイの服は元通りになっていた。


 ーー残された私とカイは、呆然としていた。


「……終わった、の……?」

「終わった……みたいだ……ね……」


 カイがぎこちなくそっぽを向く。

 

「ス、スカート返すよ。エプロンも」

「あ、ああ……うん! ありがとう!」

「ここで履かないで! ……ああもう!」


 カイは真っ赤になった末、少し考え、私の腰をウィンプルで包み、思い切り姫抱っこした。

 周りの誰かがヒューと口笛を吹く。


 私はカイに軽々と抱えられたまま、ジキタリス寮へと戻ることになった。


◇◇◇


 私たちは一旦、部屋の前で別れた。

 私は部屋に入り、急いでスカートを履き終えてカイの部屋にいく。

 カイは窓辺で私に背を向けていた。

 部屋に入ろうとすると、カイが背を向けたまま口を開いた。


「……見たのでしょう?」


 声に絶望が滲んでいる。私は首を横に振った。


「見てないよ。何も」

「…………いいよ。見られた方は、わかるから」

「何も見てないってば」

「入ってきちゃダメだ。……と一緒に同じ部屋にいちゃいけない」

「……どうして?」

「君は嫁入り前の女の子なんだ。未来がある。だから」

「カイは、カイでしょう?」


 私は部屋に入った。

 そして震えるカイの手に、手を重ねた。


 カイの手は、相変わらず私の手よりも大きい。背も高い。


「僕を……見るな……」


 ハスキーな声も、その苦しげな横顔も。

 いつものカイで、私の大好きなカイだった。


「……カイ。こっち向いて」


 カイは私を見下ろす。化粧を落とし、弱った顔をしていた。

 それでも夢のように綺麗で、優しくてーー見慣れたかっこいい、私の憧れのカイだった。

 

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