第69話 ランドロス峡谷
ぼくが、「さすが神様」と、言ったのは、もちろん、「世界の声」に対する褒め言葉だ。
あの“踊る道化師”を、しつけ糸1本、抜き取ることで瓦解させたその手腕。
ぼくを「殺して」もそれは、うまくいかなかっただろう。
ぼくを「忘れさせること」で。
その存在をなかったことにすることで「世界の声」は、彼らが目的とした魔王の神域への不干渉という目的を達成した。
山の中を通るレールは、どこまでも続く。
大変な工事だったろう。
もともと異世界技術だというが、魔法なしのあの世界がなぜ、このよう工事が可能だったのだろうか。
レールそのものをはじめ、橋桁などの構造物には、鉄が多く使われていた。
鉄は確かに丈夫で、高熱を与えると曲げたり、好きな形に加工しやすいどろどろの液体にまで変化する。
だが、魔法なしに、そのような高熱を作り出すのは、それだけで、とんでもない手間がかかるはずだ。
そして、加工したあとも鉄は、容易に錆びてもろくなる。
魔法なしに、良い状態を保つのにどれだけの手間と技術を要するのか。
アキルの世界にまた行くことがあれば、そこら辺をぜひ、研究したいものだ。
どこまでも続くかと思われたレールは、急に途切れた。
引きちぎられたように、谷底に向かって垂れ下がり、その間には、ざっと50メトルはある谷がぼっかり口を開けていた。
反対側までは200メトルはあるだろう。
「ここがランドロン峡谷の事故のあった場所だ。」
ロウは、谷底を見下ろしながら、言った。
「遺体は、すべて回収した、と鉄道公社は発表しているが、実際のところ、転落中に投げ出されたものも居るかもしれない。乗客名簿があるわけでもないし、未回収の遺体もあるかもしれないな。」
吹く風の音が、事故で亡くなった人々の怨嗟の声のように聞こえた。
「ここをどうやって渡るのです?」
ヘンリエッタが、強ばった顔で尋ねた。
凄腕には、違いなくても素性は、いわゆる「剣士」だ。
200メトルはなれた向こう側に渡るには、迂回路を探すか、急な崖をおりて、また登るか、しか思いつかなかったのだろう。
だが、ロウは
「飛ぶ。」
と、事もなげに答えた。
「わたしとロウラン、ルーデウスは、飛べる。ひとりずつ抱えてやれば、なんのこともない。」
「それとも、氷で橋でもかける?」
ロウランが、崖の下を見下ろしながら言った。
「下に渓流がながれてるわ。あれを使えば あっという間よ。」
魔法とはなにか。
短縮すればそれは世界を騙す技術だ。
ありうる世界を騙すには、詐欺師は多い方がいい。
この世界の魔法は、ゆっくりと衰退に向かっている。
だが、それは人間にとってであり、吸血鬼であるロウたちにとってはそうではない。
もともとが人間の上位種である吸血鬼には、世界に干渉する権限そのものが、人間より大きいのだ。
「浮遊魔法ですか?」
ヘンリエッタの顔色はよくない。案外、高所が苦手なのかもしれなかった。
「まあ、そういう名前をつけるものもいるどろうけどね。」
バサリ。
ロウの背中から、蝙蝠に似た黒い羽根が飛び出した。
「まあ、『飛べるから飛ぶんだ』。あまり物事を複雑に考えない方がいい。」
アデルはロウに。ヘンリエッタはロウランに。ぼくは、ルーデウス閣下に抱き抱えてもらって、反対側に渡った。
このまま、ミルラクまで運んでもらったら、楽ちんだろうと提案してみたが、断られた。
魔法を複数、並行して作動させるのは、ロウとロウランには、平気でもルーデウス閣下には、難しいことらしい。
魔物の襲来や、あるいは、リウの派遣したゲオルグと鉢合わせる心配がある以上、着実に道をあるいた方がいい。というのが、ロウの結論だった。
レールの脇に、おそらくは、安全点検のための監視小屋があった。
もう10年以上も使われていないだろう、そこを使っ手、ぼくたちは、腰を下ろして、休憩した。
ぼくとアデル、ヘンリエッタは、お湯を沸かして、干した穀物を放り込んで簡単なスープをつくった。
ロウと、ロウランは、少しお酒を飲み、ルーデウス閣下は、ぼくの血をご所望され、アデルとロウに怒られていた。
かわりに、ルーデウス閣下は、ロの血で作られた丸薬を飲んで、血への衝動を和らげた。これは、テキメンによく効くのだが、かわりに、なにか食べたくなるようなので、ぼくは閣下にも雑穀スーブを作って差し上げた。
不味い!と、感激するルーデウス閣下をぼくは、すこし可哀想に思った。
なにしろ。
何百歳かわからないが、人間の食べ物の味などわからない世界で、生きてきたはずだ。ロウの血の丸薬で人間の食べ物の味がわかるようになって、ルーデウス閣下はなにか食べる度に、味がわかること自体に感激していただけるのだが、そのわりには美味しいものをご馳走する機会はほとんどないのだ。
味がわかるのは、ロウの血で作った丸薬を飲んで、しばらくの間だけなので、あまりその時点で、ちょうど美味しいレストランがあったりすることは、まずないのだ。
「今晩はここに泊まるか?」
ロウランが言った。
「足場の悪い山中を歩くのは、人間には難しいだろう。」
「わたしは大丈夫だよ。」
アデルは、即答。
「さすがは、『神子』。」
ヘンリエッタは、たぶん、褒めたつもりだろうが、アデルは、嫌だったらしく、そっぽを向いた。
「急ぎたい気持ちはあるけど、ドロシーに会えた場合、あるいは、リウの手下とかち合った場合の対応を相談しておきたいんだけど。」
ぼくは、そう言って全員の顔色を伺った。
「まったく、おまえは!」
ヘンリエッタが首を振った。
「『御名』を口にすること自体が恐れ多い方々だぞ。」
「大丈夫ですって。」
ぼくは、ヘンリエッタに笑いかける。
「本人たちを目の前にしたら、ちゃんと跪いて、靴を舐めますって!」
「その胆力だけでも面白い。どうだ?
わたしと一緒に、『災厄の女神』に使えないか。いきなり、『百驍将』にはなれないが、わたしの旗下で鍛えてやる。
手柄をたてるチャンスは、これからでもいくらでもあるぞ?」
「ぼくを勧誘出来れば、アデルも着いてくるとか、虫のいいことを考えてはいませんよね?
あなたの任務は、“ドロシーをリウに奪われないこと”。
目的をいくつも持つとどちらも失敗しますよ。」
「確かにそうだな。」
ロウランが笑った。
「こう言う状況を表す諺は、なんだ。」
「えっと、『二兎を追う者は一兎をも得ず』?」
「知らんな。」
ロウランは、出来の悪い生徒を見る目で、ぼくをにらんだ。
「竜の鱗と不死鳥の羽根は一緒には落ちていない、だ。」
ああ、ここでは確かにそう言うな。
でも、いろんな経験からぼくは、竜の鱗についてはそんなに貴重品と思わなくなっているんだよ!
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