第56話 ミイナの解放
死に瀕した者を“停滞フィールド”で固定するのは、冒険者にとって、すくなくとも硬度な魔術者のいるパーティではありうる光景であった。
戦闘中に、十分な治療などおこなえるはずかない。
また、高度な設備の整った治療院でないと手が付けられないほどの傷をおう場合はもある。
そんなときは、“停滞フィールド”で全てを固定したうえで、あらためて治療を再開する。
“停滞フィールド”のなかは時間は止まっている(あるいは、計測できないほどゆっくり流れている)とされ、安全な場所、十分な設備の整った場所で、“停滞フィールド”をといて、治療にかかることができる。
ただ、ミイナの場合は。
彼女は、まさに竜のブレスに巻き込まれ、消滅する寸前で“停滞フィールド”をかけられたのである。
魔王たるリウの力は、彼女を今日まで消滅させずに保っている。
だが、半身を食らいつくした竜のブレスは、“停滞フィールド”を解いた瞬間に、ミイナを消滅させるだろう。
ロウが、いままで手をこまねいていた理由もわかる。
「わ、わたしはおまえの傍にいるから!」
ロウは、クリスタルに抱きついていた。
「わたし、抜きでも“踊る道化師”は再結成できる!
アデルがいるかぎり。」
「それでも正当性を担保するために、旧“踊る道化師”のメンバーは参加して欲しいんだ。」
「でもミイナが!」
それを解決するために、ぼくは来たんだ。
手を伸ばしたぼくを、遮るようにロウは、クリスタルに覆いかぶさった。
「治療をする。」
「ダメだ! “停滞フィールド”を解いたらその瞬間に。」
「巻き戻しをかける。」
ロウは、一瞬驚いたようだったがすぐにクビを振った。
「無理だ。“停滞フィールド”の解除と同時に“巻き戻し”を行うのは。わずかでもタイムラグがあれば。どんなに息のあった魔法士であっても。」
「ぼくがひとりでやるから、大丈夫。
タイムラグは生じない。」
「しかし!」
ロウは叫ぶ。
「あのときから、ずっと時間が経ってしまっているんだ。“巻き戻し”は時間がたてばたつほど困難になる。」
「停滞フィールドに包まれてる。他ならないリウの停滞フィールドだ。時間は経過していない。」
「でも!」
“ルウエンは、まえにも絶対に無理なことを可能にしたわ。”
ミイナことアルセンドリック侯爵ロウランの思考派は、冷たく、堅く、冷静だった。
“ここは、賭けてみてもいいんじゃない。正直言うと、この状態で生きてるのも飽き飽きしてきたの。”
「だって! 300年待たせてしまった。」
“あのねえ。”
念話はため息に似ていた。
“わたしは、カッコ良いあなたに憧れたの。毎日、部屋をお掃除して、お花を替えてくれてるあなたは、正直かっこよくないわ。”
「ミイナ!」
“あと、呼ぶ時はいいかげんに、ロウランって呼んでくれないかしら。いつまでも幼名ででよばれるのは、正直、ゾッとするのよ。”
たいしたもんだ。
アルセンドリック侯爵閣下。
だいたい、ミイナって幼名をすてて、ロウランと名乗ったことからして、リンドにベタ惚れしてるのはよくわかる。
「ロウ」と「ラウル」から、取ったんだろしね。
“ルウエン。よく分からないけど、ロウはあなたのこと、最初っからすごく信頼していたわ。だから…期待は裏切らないでよね?”
「もちろん。」
ぼくは、答えた。
「と言うより、あんまりぐずぐずしないほうがいいだろ。ロウ。アルセンドリック閣下と話しが出来るようになったのはいつくらいからだ。」
「わりと最近…先月くらい」
「“停滞空間”内の者と思念で意思疎通がでにるようになったってことは、なかの時が動き出してるんだ。」
ロウは息を飲んだ。
いや、気がついていただろう。おまえたわってさ。
いくら、魔王のかけた“停滞”であってもいつか時は動きだすんだ。
「ほ、ほんとうに、“停滞解除”と“巻き戻し”が同時に行えるのか? もし、1秒でもタイミングがズレたら」
「そんな大雑把なことしてたら、アルセンドリック侯爵の身体を千回焼いてもおつりがくるわ! だいたい、二つの魔法くらいなんで同時に発動できない?」
「な、なら」
ロウは、口ごもった。
「これはおまえにとっては、絶対に成功する。簡単な作業だっていうんだな?」
「いや」
ぼくは正直に答えた。
「恐ろしく難しい。」
ロウの顔が曇るのを無視して、ぼくは魔術を発動させた。
すべてを無事に成功の確率は、事実上、ゼロ、だ。
それでもこれは成し遂げなければならないし、そのために必要なリスクを算出し、こまごま会議など重ねている時間に、ミイナが消失してしまう恐れがあったのだ。
かくして。
爆発。
駆けつけた『城』のものたちが、見たのは、アルセントリック侯爵ロウランの身体を抱いて、泣きじゃくるロウの姿。
巻き戻しは、ちょうどブレスが、彼女を侵食する直前に彼女を戻している。
なんとなく見覚えのある、えりのつまったドレスも健在だ。
まあ、おかしなところと言えば、ドレスのデザインがとんでもなく型遅れなことだがそれは勘弁してもらおう。
「な、なにがあったのだ。」
そう尋ねたのは、キール公爵だ。
「見た通りです。ご真祖の想い人であるアルセンドリック侯爵閣下を、クリスタルより解放したしました。」
城主のギムリウスは、真っ先にぼくに飛びつくようにして、羽交い締めにしている。
よっぽど好きな相手にしかみせないポーズだが、この度はべつの意味がある。
すなわち、問答無用で城の面々がぼくを攻撃しないように、ぼくを守ってくれているのだ。
その前には、剣を抜いたアデル。
ギムリウスをチラ見しながら、その役はわたしがやるはずだったのに、とかぶつくさ言っている。
ラウレスとルーデウスもぼくも守るようにその全面にたってくれていた。
いや、ルーデウスは違うか。ラウレスに首根っこを掴まれてむりやり、だ。
ああ。
風が気持ちがいい。
そう。尖塔は、ぼくらの部屋から上はすべて吹っ飛んでいた。
そうなのだ。
ぼくが難しい、といったのは、アルセンドリック閣下を焼き尽くす直前で固定された竜のブレス。その残滓だけでも城下の街を焼き払う力は十分にある。
それを中和して、吸収して、それでもどうにもならない部分を空中に吹き上げたのだが、物の見事に尖塔が、吹っ飛ぶという結果になったのだが。
まあ、誤差の範囲ということで、許してもらえないだろうかな。
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