第38話 貴族殺し対貴族でないもの

「小僧。」

「なにかな、“貴族殺し”。」


互いが投げかけた呼びかけは、静かではあったが、ぞっとするような冷たさを孕んでいた。


「その呼び名は好いてはおらん。結果として多くの“貴族”を屠ってはいるが、わたしは“貴族”に怨みはない。」

「これは失礼、ブテルパさん。」


ルウエンは、素直に頭を下げたが、大岩の上に結跏趺坐した男は、顔色ひとつ変えなかった。


「ぼくは、駆け出し魔法士のルウレン・アルフォート。こっちは、ぼくの仲間で、駆け出し冒険者のアルデ。」

「真祖ロウ=リンドは、わたしと戦うのが、怖かったのだと見える。」


ブテルパの表情に、はっきりと侮蔑の色が浮かんだ。


「なぜ、この者たちを連れ込んだのだ?

おのれひとりの命を差し出せばすむところを。」

ロウ=リンドが、カラカラと笑った。

「おいおい、まさか、駆け出しなんちゃらをまともに受けてはいないだろうな、“災厄の女神”の腰巾着。」


ゆるっ。


ブテルパの乗った大岩が動いた。


浮かんだ、とはどこか微妙に異なる。

まるで、水面から泡が立ち上る時のような動きだった。


「かのお方を揶揄するその言葉。楽には死ねぬぞ、吸血鬼。」


その前に、1歩進んで、ルウエンが立ち塞がった。


「きみの相手はぼくがする。」


「じゃまだ。どくがよい、小僧。」

ブテルパは、静かに怒っている。少年を見据えるその目つきは、それだけで、おそらく、並の人間なら意識を刈り取られる。


「というか、きみじゃ、役不足だな。

フィオリナを連れてこい、三下。」

「あんなやつ、連れてこないでよ! 会いたくないわ!」


ルウエンと、アデルの発言の意味は分からなかったが、それはブテルパを激高させるのに充分なものだった。

だが、そのブテルパの両脇に、姿を現した者がいる。


ひとりは、浅黒く、だが艶やかな肌を惜しげも無く露出した女戦士。

もう1人は、腰を屈め、杖をついた老婆だった。


「痴れ者どもの相手は、この“屍”のカバロがしますじゃ。」

なにかがキシるような声で、老婆が語った。

背負った長刀に手をかけた女戦士が叫んだ。

「ブテルパさまが、残虐な死がお望みなら」そうしよう。たっぷり時間をかけて、痛ぶり尽くしてから、命をとってやる。

我が名は“烈斬”のマシュケート。」


「アデルは、カバロを。

ロウは、マシュケートを。」

ルウエンは、そう言ってかまわず、まっすぐに歩いていった。


「おい! おまえは!」

慌てたように、ロウが叫ぶ。


「だから、ぼくの相手はブテルパさんだって。」


振り返りもしない少年は、ざぶざぶと、泉に足を踏み入れた。

泉は浅いが、それでも、少年の膝くらあの深さはあった。流れは早く、小柄なルウエンは足を取られそうになった。


その体に向かって、ボロ人形が動き出したような老婆カバロが、黒い鉄串を投げつけた。


ギンッ!


金属が金属を弾く音がした。

老婆の手に鉄串が握られていた。


アデルは笑った。笑っていた。

ルウエンめがけて投じられた鉄串を、アデルは、正確に、カバロ目掛けて弾きかえしてみせたのだ。


マシュケートが、跳躍した。

振りかぶった得物は、身長ほどもある大太刀だった。

その頭を。

頭上から踏みつけたものがいた。


飛翔したロウの、靴のかかとだった。


無様に。それでも足元から泉の中に落下したマシュケートの目は怒りに燃えていた。


「ブテルパさま。」

白い歯をむき出して、マシュケートが叫ぶ。

「こいつは、わたしが貰います。」



「いかん。」

ブデルパは、短く言った。

「それは、真祖だ。ロウ=リンドだ。わたしがやる。おまえたちでは危険だ。」


そのブテルパめがけて、光の剣が投じられた。

ブテルパは、黒い影の矢でそれを迎え撃つ。


光の剣と、影の矢は交錯し、互いを食い合って消滅した。


ブテルパは無言で、光の剣を生み出した少年を見下ろした。


光の剣は、通常の術者が使う「光の矢」の上位魔法である。

それを無詠唱で、射出したということは、ルウエンが並々ならぬ魔法士であることで示していた。


「影の矢・・・・・か。きみの影の中から出現したみたいだけど・・・・」

ルウエンは、流れに足を取られぬよう、慎重に。かつ着実に歩を進める。

「面白い魔法だよね。しかも光の剣と相殺したということは、それに匹敵する威力をもっているってことになる。」


「マシュケート。無理はするな、この小僧を屠ったらすぐにそちらを援護する。それまで、持ちこたえるのだ。

そう、長い時間ではない。」

「マシュケートさん、カバロさん。」

ルウエンは再び、無詠唱で、光の剣を放った。

迎え撃つ影の矢は今度は二本。

一本は、光の剣を相殺し、もう一本は、ルウエンに向かう。

「早いところ、アデルとロウを片付けたほうがいいですよ。」

なにも持たぬ手を一旋。影の矢をはたき落とす。

いやそこには、光の剣が握られていた。

「剣」とはいうが、それは射出のための魔法である。光の剣を手ににぎり、一定時間「剣」として維持するなど、ごくごく限られたものにしか不可能な超高度な魔法だった。

「はやく、助けにこないと、ブテルパさんが終わっちゃいますから。」


対してブテルパは。


自分の乗った大岩ごと、ルウエンに突進。

とっさに伏せたルウエンの頭上を岩が走り抜ける。


さらに落下。少年を踏み潰そうとした大岩を、ルウエンが水中を這うようにしてかわした。


手に握った光の剣を投じたが、巨大な岩を砕くまでの力はない。

岩の上に鎮座するブテルパには、岩が邪魔をして、投射系の魔法は届かなかった。


この戦法は有効とみたのか。

それとも一刻もはやくルウエンを仕留めて、マシュケートの応援に駆けつけたかったのか。


泉のそこここにある岩が、次々と持ち上がり、ルウエンめがけて襲いかかった。足場のよいところなら。あるいは足場がわるくとも隠れるところがあれば。

だが、ここは、後ろに滝壺をひかえた水場である。ルウエンは動くことも隠れることもできない。


「ルウエン!」

飛び出そうとしたアデルを、黒い網が絡め取った。

もがくアデルだが、もがけばもがくほど、網は、彼女の体を拘束していく。


妖婆カバロが、ぐえぐえと妙な音を出した。それが彼女の笑い声らしい。

「カバロ婆の血網、今日の獲物はなかなか新鮮なようだ。そこで、恋人が肉塊となるのを眺めるがいい。」


ロウの腕から生じた赤い鎌は、マシュケートの長刀を受け止めた・・・いや、魔力で構成されたはずのロウの赤い鎌は切断され、左肩から胸にかけて血が飛び散った。

「ルウエン!!」

マシュケートの長刀は、翻る。かわしたはずのロウの太ももからも血がほとばしった。

「ルウエン!」



ダン!

ルウエンの動きが疾くなった。まるで硬い地面を蹴るようにダッシュして、落ちてくる岩をかわす。かわす。かわす。

さきほどまでの水の流れに足をとられていたのが、うそのようだった。


「きさま!」

ブテルパが叫んだ。

「水を凍らせて足場をつくっているのか。だが、いつまで逃げ切れるものでは・・・・・おおおおっ!?」


目の前に出現した「光の剣」をブデルパの手甲がかろうじて弾き返した。


出現?

そう。

この光の剣は、投じられたのではない。

転移魔法によって、突然、ブテルパの前に現れたのだ。



無詠唱の光の剣。

出現された光の剣を投げずに、そのまま「剣」として扱う技量。

足場を確保するために、水を部分的に凍らせる技術。

(かりに氷魔法が使えたとしても、綿密な制御がなければ、自分の足ごと水を凍らせてしまってそれでも終わりだったろう。)

そして。

光の剣を転移されて、相手の目の前に出現されるなど。

そんな高高度な魔術を、使いこなせる魔導師は、ブデルパは一人しかしらない。



「な、なんだ。おまえは?」

ブテルパは叫んでいた。

「おまえは、“災厄の女神”さまのいったい、なんなのだ!」


「なんでもない。」

ルウエンは答えた。

光の剣をさえぎったその一瞬に、泉の水は逆巻き、ブテルバが飛ばした岩に波となって叩きつけられ・・・・岩ごと凍結させた。

ブテルパが動かせる岩が、自分がのった大岩だけになった。

「ふざけるな。ここまで戦いに熟練した駆け出し魔法士がいてたまるか! しかも光の剣を剣として扱うのも、光の剣を転移させて攻撃するのも、この世界であの方だけができる究極魔法なのだ。そこいらの有象無象に真似はできん! できるはずがない。」


「体力、再生力、魔力ともに吸血鬼を凌ぐので、“吸血鬼殺し”でしたか、ね。」


いまでは、すっかり廃れた「吸血鬼」という呼び方。

その言葉を平然と口にしながら、白く凍結した。湖水面をルウエンは歩く。


「さて、それではいろいろと比べていきましょうよ。まず、魔術はぼくが『上』でよいですかね?」

「ふざけるな。」


がああ。吠えるようにブテルパは叫んだ。その口の中。舌の先に至るまで、びっしりと入れ墨が彫られたいた。

その叫びが短縮圧縮呪文になっていたのだろう。

彼の影から、数十本の影の矢が出現した。それはいっせいにルウエンめがけて襲いかかった。


その細身の。華奢と言っても良い少年の体が砕け散った。いや違う。砕けたのは、彼の姿を移した氷の鏡面だ。


つづけて、ブテルパの周りに現れた光の剣は、八本。

八本の光の剣を無詠唱で同時出現させて、転移で相手のまわりに送り込んだのか。

そんなことが、可能なのか。

いや。可能だ。可能なのだ。“災の女神”そのひとならば。


ブテルパととっさに自分ののった大岩を急浮上させた。八本の光の剣は、かれが腰掛けにつかっていた大岩に炸裂し。それを爆散させた。


「こ、これは“女神”さまの秘技・・・・・」

「あ、こんな古臭い手をいまだに得意にしてんの、フィオリナってば。」


そして、“女神”の名を不用意に口にするこいつは。


「そいつの名前を口にするな!」

アデルは自らをからめとる網に手をかけた。

「無駄じゃあ、嬢ちゃん。」

カバロ婆は、その様子をせせら笑った。

「幽玄蛾の繭からとれた糸を、月光で洗って作った糸を三日三晩少女の生き血にさらしてつくった特殊糸で編んだ網じゃ。力では破れん。」


びりびりぶり。


普通に布が裂ける音がして、カバロの顎ががくんと落ちた。


「いや、それ幽玄蛾の糸で・・・・」

「成分教えてくれたら、そちゃちょっとそれが弱いくなる呪文とかくすりとか、使うよね。」


アデルは、それでもしつこく絡む網に、液体をスプレーしながら言った。


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