第6話 亡き竜に捧げる詩
「ナセルさん。」
呼びかけられて、腕利きの鉄道保安官は、思わず飛び上がりそうになった。
二人が、伯爵閣下の寝室にはいってから、かれこれ、一時間が過ぎていた。
本人たちが、納得のことだったら、それは自己責任だ。だが、少しでも悲鳴が聞こえれば、彼は扉を蹴破って、助けに入るつもりだった。
そのために、待機していたのだ。
少年の顔は、前にも増して白い。
それが、照明をおとした通路に、ぼんやりと浮かび上がるのは、けっこうなホラーだった。
なにが起こっている?
少年の首を、アデルが締め上げている。
アデルは、泣いていた。
泣きながら、ルウエンの首を絞めている。
「ナセル、なんでもいいから、消毒薬をもってきて。ルウエンがまた噛まれた!」
世界は、滅びに向かっている。
そんな言葉を、若い頃の、ナセルが聞いたら、鼻で笑い飛ばしただろう。
数千の軍が動くような戦争は、もはや途絶えて久しかった。
もちろん、人の世には権謀術策、条約を巡って、あるいは封土を巡って、血は流れ続け、古代の賢者が予想したような楽土の時代は、訪れる兆しもなかった。
それでも、世の中は少しずつはよい方向に向かっていたはずだった。
以前ならば、ひと月もかかる旅路は、「鉄道」によって、数日の旅へと変更された。
様々な新技術、とくに「電気」は、夜の街にも昼間の明るさを届け、あるいは、飲める水が安価に供給される上水道。排泄物を含む汚液を処理する下水道の普及で、疫病の蔓延も改善されつつあった。
ナセルは、冒険者だったが、はやくに見切りをつけて、鉄道保安官へと転身した。
これは、今、思っても大英断だった。
新しいインフラである鉄道は、その特徴から他者の攻撃に常にさらされてきた。それを防ぐ、のではない。攻撃する気さえ起こさせないような腕利きを必要としていた。
冒険者の世界もある程度、年功序列。あるいは実力ではなく、実力者に取り入ることで、出世への道が開かれるようになる。
ナセルがいた国のギルドでは少なくともそうだった。
鉄道の保安部が求めていた腕利きには、そんなものは必要なかった。
「なにがどうなっているのか、説明してくれ。」
ナセルは、取り急ぎ自分の部屋に、ふたりを連れ込んだ。移動する列車の中で、乗務員の個室を持てるのは、保安官という役職を鉄道がどれだけ重視しているかがよくわかる。
もちろん、それほど、広いものではない。ベッドがあるだけの狭い空間だ。
そのベッドにルウエンを寝かせ、襟をひろげて、首筋をみて、ナセルは息を飲んだ。
通常は、“貴族”の与える傷は、牙の二本のみ。犠牲者を下僕にするのに、通常は複数回の吸血が必要だが、それ以上の傷を与えることはない。
だが。
ルウエンの首筋には、あらたな牙のあとが二本、刻まれていた。
まさか、あの部屋にルーデウス伯爵以外の吸血鬼が。
いや、そんなことはありえない。“貴族”が寝所に自分以外の“貴族”を招くことなどありえない。
「予想外だな。体調はどうだ・・・・いいわけがないか。これは何本に見える。」
ルウエンの目の前で、すばやく指を立てる。
「ああ、二本・・・アデルは大げさなんですよ。少し、栄養のあるものを食べて休めば治ります。」
「相手は、ルーデウス閣下か?」
「それはそうでしょう。ほかに誰がいます?」
「しかし、この傷は。」
ああ、それは。
と言いながら、ルウエンは体を起こした。ほんの少し横になっただけで、その顔色はだいぶましにはなっていた。
「ぼくが少し伯爵閣下をからかいすぎたからです。どうも精神的に不安定になっていらっしゃったので。
本当なら、さきほど、吸血されたばかりですので、断るつもりだったのですが。あのまま放置するのもお気の毒でしたので。」
少年は顔をしかめた。
「まったく、無茶をしてしまいました。でも、もう大丈夫です。」
「さっきは息も絶え絶えだったが。」
「それは、アデルに首を締められてたせいです。」
言われたアデルは、頬をふくらませて、そっぽを向いた。
「ナセル保安官!」
ドアが激しくノックされた。
ナセルは、厳しい顔をして立ち上がる。
「何事か。」
「5分前から黒雲が、並走しております。」
「すぐに行く。」
ナセルは、様々な魔道具を仕込んだベルトを身に着けた。ドアを開けると乗務員は蒼白な顔で立っていた。
早足で揺れる場内を歩きながら、報告を受ける。
「魔力値は? 測定できたのか?」
「ありえません。」
「いいから報告しろ。」
乗務員の述べた数値に、ナセルは、目をむいた。
測定器の間違いでなければ、それは伝説の魔物「竜」に匹敵する。
だが、竜など、この世界にはいない。
「最寄りの『駅』への連絡は?」
「いちばん近いところは、バルトフィルトです。」
乗務員は答えた。
「ククルセウ連合の軍は、ならずもの揃いで知られています。駅員は全員、この便で退避されております。」
「そういうことではない。応援をもとめられそうな『駅』はないか?」
「次の最寄りは『城』です。」
乗務員の顔は、こわばり、いまにも気を失いそうだった。
「つまり、すみやかに増援を求められる場所はありません。」
「弩弓は?」
「五基あります。装填は指示しましたが・・・・」
「それは、ひっこめてください。」
後ろから、少年の声がして、ナセルは振り向いた。
ルウエンとアデル。
若き冒険者たちは、ナセルと報告に来た乗務員のあとをしっかりと着いて来ていた。
「あれはもう死んでいます。」
列車の連結部に、4人は降りた。
たしかに、真っ暗な夜空にときおり、稲妻が走る。それは列車が進んでも変わらずに、列車と並行して移動していた。
「場所は?」
「ここは荒野だな。きちんとした地名はない。オルシオの街が10年まえまではあった。そのころは、ここも耕作地帯でいくつか村があったはずだが・・・」
「それは素敵じゃないか!」
アデルが、ぐるりと肩をまわした。冒険者の鎧などは、日常それを着て行動しなければならないので、ごく簡易なものだ。アデルの鎧も胸のあたりと胴巻きを革製の当て物で覆っただけで、肩のあたりはむき出しである。
夜目にも、筋肉の躍動がわかるような見事な鍛え方をしていた。
「少々派手にやっても問題にならないな。」
「やるのは足止め、でいい。物理的な暴力では分の悪い相手だと思う。」
ルウレンが言った。
「わたしは物理的な暴力が得意なんだが。」
アデルがぶうたれた。
「殴り倒せなければどうする?」
ルウレンが、世にも邪悪な笑みをうかべた。
「お手上げ・・・というところだけど、この列車にはなんと“貴族”サマがお乗りになっているんだ。なんて運がいいんだろう!
しかも一晩に二回もお相手してさしあげたあとで・・・・まさか、いやとは言わないだろう。」
いや、それは、きっちり拒むんじゃないかな。
と、ナセルは思った。
確かに、ルウレンの血を吸ったかわりに、バルトフェルの避難民を自分が借り切ったはずの特別客車にのせてやるなど、十分すぎるほど良心的な行動をとっている。だが、いくらなんでもあれだけの魔力を持つものと戦ってほしいと言っても拒否するだろう。
人間ごときのために、自らの身を危険さらす“貴族”などいない。
ルウエンは、自分の血の代償にそれをさせると言っているのだが、そもそも下僕に血を差し出させた代償になにかをする“貴族”など、ナセルはきいたことがなかった。
しかし、それよりも気になることがあった。
「あれがなにかわかるのか、ルウエン。」
ナセルが緊張した面持ちで尋ねた。
「世にも珍しいモノですよ。ぼくも出くわしたのははじめてだ。でもね、魔力量の大きさや質から、否応なしにわかりますよ。」
ルウエンは、じわじわと列車に近づく稲妻を見据えながら言った。
「あれはね。竜の亡霊です。この地で死んだ竜の恨みの残留思念です。」
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