第3話 声に打たれて

父のマモルが帰ってくる。

晩御飯食べて、後片付けの手伝いをする。

命をいただくものとしての礼儀だと、

あまり厳しくない父親から、それだけは言われていた。

いただきますと、ごちそうさまと、後片付け。

ネネの中ではそれは決まっていること、礼儀だと。

好きも嫌いもなく、それは生きていくうえで必要なものになっている。

ネネとしては、片付いているキッチンが好きかも知れない。

散らかっているよりはいい。


ネネは台所を片付けて、

二階のネネの部屋に行く。

色気もそっけもない部屋だ。

ポスターもない。

カレンダーもシンプルで、ベッドも柄物でなく、

キャラクターのキャの字もないような、

壁の白と、木のクリーム色っぽいもので統一された部屋だ。

ネネは学校のかばんを持ってきておろし、

机に向かう。

パソコンがある。

デスクトップのごついやつだ。

「拡張性があるから」と、

マモルがすすめてくれたタイプだ。

ネネは場所ばかり取るこのパソコンが嫌いだ。

インターネットさえ出来ればいいのに。

ネットさえ出来れば調べ物に事欠かないのに。

マモルに言ったことはないが、ネネは不満がある。

ネネは心の中で、

「無駄箱一号」と呼んでいる。

無駄にでかいばかりの箱。

最低限役に立つけど、それまでの箱。

ネネはパソコンをひとにらみすると、

かばんから問題集を取り出した。

ネットより、とにかく学校の勉強についていかないと。

今日、自分がなかなかついていけてないことを感じた。


ネネはふと、思い当たる。

誰かの声があの時したような。

よく通る声。

ネネはその声を思い出そうとする。

思い出そうとすると、いろいろな要素が声を形作り、

ネネの脳裏にはっきりと声が描かれる。


低くよく通る、男の声。

「いずれ後悔をしますよ」

真をつくように、まっすぐで、嘘偽りが感じられない。

ささやくようでありながら、意思の劣化が見られない。

ネネに向けられ、投げかけられた言葉だ。

「いずれ後悔をしますよ」

ネネはつぶやいてみた。

勉強のことだろうか。

そのほかのことだろうか。

今まででは、多分、いずれ後悔をすることが言いたいのだろう。

誰だろう。そんなことを言ってくれた、

多分、男は。


マモルの声ではない。

マモルの声が悪いわけではないが、

あの時聞こえた声は、清流のようによどみがなかった。

その声に打たれることがあったのだろうか。

ネネ自身は少し考える。

あのまま居眠りをしていたら、勉強についていけなくなっていた。

もっと悪いことになっていた。

「まぁ、どうにかしなくちゃね」

ネネはぼそっとつぶやく。

わからないなりに勉強だ。


問題集をいくつかこなす。

わからないことが、こんなにあったのかと思い直し、

少し、あきらめ半分になる。

こんなにわからなかったら、進級できなかったりするかもしれない。

ネネは危機感をはじめて持った。

ため息を一つ。

必死になっている自分が嫌い。

勉強させる環境が嫌い。

世界には勉強ができない人もいると、

ネネを恵まれている人というのも嫌い。

ネネは視線を上げた。

本棚に、アルバムが一つ。

ネネはそのアルバムを手にする。

表紙には、華道と書いてある。

ネネが今まで生けてきた花だ。

一枚一枚アルバムにとってある。

未熟といわれるかもしれないけれど、

ネネは自分の生けた花が好きだ。

イメージどおりにいけられると、

それは、とても、うれしいものだ。

ネネの数少ない、心からの好き。

ぎゅうと、凝縮されて、アルバムにはさまれている。


進級できなかったら、華道もできなくなるかも。

ネネは思う。それは嫌だと。

アルバムを丁寧に閉じて、大事に戻す。

愛しい花のために、勉強をしないといけないなと。

義務とか環境とか意思だとか。

いろいろあるけど花のため。

ネネに隠された、好きなもののため。

ネネはカリカリとシャーペンを走らせる。


それは夜遅くまで続いた。

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