第1章
序:赤い髪の少年
「お前、どうしたんだ?」
そう言って、目の前の少年は手を差し出した。
「迷子か? 名前は?」
ファートはその手を取り立ちあがると、黙って少年を見返した。
くせの強い赤毛をうねらせ、黄色がかった薄い緑の瞳が光る少年だった。布の多いダボついた服を身に着けており、それはファートにルンファーリアの神殿を思い起こさせた。
少年の意図がわからずぼんやりとしていると、赤毛の少年はまくしたててきた。
「だから名前だよ、お前の名前! ……もしかして、聞こえてないのか?」
「……いや、聞こえては、いるけど。なんで、僕の名前を、知りたいの?」
ファートがそう答えると、ものすごく奇妙な顔をされた。先日、初めて口にした「梅の塩漬け」を食べたときみたいだ。
そうだ。あの塩漬けも、アシュレイがふざけて食べさせてきたんだ。ユィタは「酸っぱいから気を付けて」と言ってくれたのに「甘いぞ」なんて嘘をついてきて。
本当になんなんだ。あの男は。
「だって名前がわからないと、お前のことどう呼ぶんだよ。困るだろ」
「困るって……それなら君から名乗りなよ。自分から名乗るのが、礼儀だと思う」
言い返したファートに少年は眉をひそめたが、すぐ面白そうに笑った。
そして「もしかして……」と楽しそうに尋ねてくる。
「お前、旅人か? その歳で? まさか、一人旅?」
「旅人だけど、別に、一人じゃない。ユィタと、もうひとり、三人旅だよ」
そう言ってファートは、自分がユィタ達とはぐれてしまったことを想った。
海を渡って、港からたくさん歩いてこの街まで来た。大きな街だから、この国でも主要な都市なのだろう。たくさんの店がたっていて、初めて見るモノばかりだった。
ちょうど旅にも慣れてきたところで、油断してしまったのだろう。溢れる情報に目移りしているうちに、ユィタ達を見失ってしまったのだ。
正直、ファートは困り果てていた。
「ユィタがそばに居ない」という状況は、これまでにもあった。
しかしそれは、あらかじめ心積もりができたていたものだ。不意に、唐突に、意図せず彼女とはぐれてしまったのはこれが初めてだった。
こんなにもそわそわと、足元がおぼつかない気持ちになったことはない。
その感情の名前もわからないまま、ファートはユィタたちを探そうと闇雲に歩き回った。そしてものの見事に、知らない街の路地裏に迷い込んでしまったのだ。
くやしいが、完全な迷子だ。
そうして、どうしようもなくなり地面に座り込んでいたところで、この赤毛の少年に話しかけられたのだった。
「なんだ。お前、やっぱり迷子なのか」
「……」
この言動の馴れ馴れしさ、「あの男」を思い起こさせる。どうしてユィタは、あの男に気を許すんだ。彼を目の前にすると、胸のあたりがモヤモヤしてくる。
「しかたないさ。この辺りは路が入り組んでいるから、土地勘がない奴はたいてい迷うんだ。お前どこまで行きたいんだ? 連れて行ってやるよ」
もしかしたら、存外悪い奴ではないのかもしれない。と思った。だが……
「よくわからない。ユィタたちと一緒に、街を歩いていた途中ではぐれたから」
「なんだお前、自分がどこに行くのか知らないのにはぐれたのかよ」
「む。君には、関係ないだろ」
その通りだったが、つい反論してしまう。
「ふうん。じゃあ、お前はどんな場所を歩いていたんだ?」
「……市場、なのかな。たくさん出店が並んでいる通りだったけど」
「たくさんの出店が並ぶ通りかぁ。旅人が通るってんならラムシド通り、かなぁ」
赤毛の少年は、うーんと考え込んだ。やはり、どうやら悪い奴ではないらしい。
「……ファート」
「ん?」
「ファート。僕の、名前」
悪い奴ではないと思ったのと、「お前」と呼び続けられるのも癪だったので名前を伝えた。
「ファートか。俺はアルカディア。ええっと、アルカって呼んでくれ」
「わかった、アルカ。……何?」
差し出された手に、ファートは戸惑う。それが何を意味するものなのか、彼にはわからなかったのだ。
「なんだ、知らないのか? 握手だよ」
「あく、しゅ?」
「ほら、こうするんだよ。まあ、なんだ。『よろしく』っていう、東大陸式の挨拶だ」
アルカはファートの手を握り、ブンブンと振り回した。強引で、ちょっと偉そうところはどうかと思うが、ファートは赤毛の少年に、不思議と好感を持ったのだった。
それから二人は、街中を歩き回った。
何しろファートが覚えている情報が「たくさんの出店」くらいしかないのだ。しらみつぶしに目ぼしい通りをまわり、ユタとアシュレイを探したが成果はあがらなかった。
すでに日は傾きかけており、このままでは夜になってしまう。
そんな時だ。路地の向こうから、甲冑を身にまとった集団が近づいてきたのだ。
「まずい。走るぞ、ファート。ええと、……こっちだ」
彼らに気付いたアルカは露骨に顔をしかめ、ファートの手を引っぱった。
「な、何? あいつら」
「いいから。逃げるぞ!」
アルカに連れられるまま、ファートは走った。後方で甲冑の連中が大声で叫んでいるのが聞こえたが、ふり返らない。「こういう時」下手に振り返るのは危険だと、ファートは知っていた。
「しつこいなぁ、もう!」
悪態をついて走るアルカだったが、相手は大人で多人数だ。あっと言う間に袋小路に追い込まれてしまった。長と思しき甲冑が進み出て、話しかけてきた。
「アルカディア様、ここまでです。お戻りください」
「断る。何度も言っているだろう。俺は戻らないぞ」
アルカは強気に叫んだが、どこか怯えているような印象をファートは覚えた。
アルカは口が悪いし態度もでかい、ちょっと横暴な奴だ。でも、困っている自分を助けてくれた。そんなやさしい奴でもある。
理不尽に追われる恐怖は、わかる。自分の言葉や行動を無理やり押さえつけられ、制限される腹立たしさや悔しさも、今は何となくだが、わかってきた。
「アルカのことを助けたい」ファートはそう思ったのだ。
「アルカ。あいつらは、アルカの敵?」
「敵、かどうかは微妙だけど、捕まりたくない。って、どうする気だよ。あいつら腐っても騎士だぞ。戦うのを仕事にしている奴らだ。下手に抵抗するのは危ない。怪我するぞ!」
「大丈夫。アルカは、下がっていて」
「お、おい!」
止めようとするアルカを背に、ファートは両手を男たちのほうへ向ける。
「お願い。ウィス」
このとき初めて、ファートは自分の意志で「力」を使った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます