幕:ユィートネルムの 白の唄

「ユタ! 一人、そっちに行ったぞ!」

「わかった。ファート、顔を出しちゃ駄目! 隠れてなさい!」

「う、うん!」


 ユタとアシュレイは身構え、ファートは荷駄の陰に身を隠した。飛んできた短剣をアシュレイが弾き落とし、その刃がファートの足元を滑っていく。



 三人はノドアの街から陸路で大洋へ向かっていたが、その間もルンファーリアからの追手は後を絶たなかった。神殿で『特務』と呼ばれる、裏事に従事する部隊だ。

 決して楽な相手ではなかったが、簡単に捕まってやるつもりはない。

 ユタについては微妙なところだが、ファートには「生きていること」がその条件に含まれているはずだ。少なくとも「まとめて火事で……」などという強引な手は使ってこないだろう。

 手練れの襲撃は増えたものの、その分、備えやすいのはありがたかった。



 二人は追手を撃退すると、剣を払って息をつく。


「はあ、こうも続くと、さすがに面倒だなぁ」


 アシュレイは汗をぬぐい、ぼやいている。

 ユタは笑って、周囲を見まわした。


「ファート? もう出てきて大丈夫だよ」

「お、いたいた。ほれ」


 ユタの声に顔を出したファートの首根っこをつかみ、アシュレイは力にまかせて彼を持ち上げた。ファートは手足をバタつかせ、その腕の主をにらむ。


「痛い! アシュレイは、どうしてそんなに乱暴なんだよ! ねえ、ユィタ」


 不貞腐れた表情で、ファートはアシュレイをねめつけている。

 ファートが「不機嫌」をあらわにするなど、ルンファーリアに居たときには考えられなかったことだ。しかし近頃、ファートの感情は急速な成長をみせている。


 というのも……


「そうか? いざとなったらユタの方が、ずっと大胆で乱暴だと思うぞ?」

「そんなことない! ユィタのこと、馬鹿にするな」

「馬鹿になんかしてないさ。ユタは『勇ましい』って褒めているんだ」

「ユィタは『乱暴』でも『勇ましい』でもなくて『カッコいい』だよ! アシュレイはわかってない!」

「そうかぁ。ファートは『かわいい』なぁ」

「かわいいって言うな!」


 ……この調子である。

 


 アシュレイとは、ノアドの街で落ち合った。

 ファートをルンファーリアから連れ出したいと、うすうす考えていたユタは、トンコウでこの案を思いついた。そして「適当にふらふらする」というアシュレイを、この旅に誘ったのだ。彼の戦力はあてにできるし、女と子供の二人旅も、男が一人加わるだけでいろいろと楽になる。

 アシュレイとしてもこの申し出は渡りに船で、多少の下心とともに快諾した。


 アシュレイと出会ったファートは、まずは警戒し、次に押し黙り、そして反発した。

 ユタは理由を訊ねてみたが「よくわからないけれど、気に食わない」らしい。以来ファートはアシュレイに反発しっぱなしで、どうしたものかとユタは頭を悩ませていた。今ではことあるごとに、なにかと嚙みつき、言いあっている。


 ファート自身も湧き上がる謎の感情に戸惑い、振りまわされているようだった。

 彼にしてみれば、いきなり知らない大人の男が同行することになったのだ。人と極端に関わらない生活をしてきた彼にとっては試練だろう、などとユタは思ったが、アシュレイに言わせれば「ただのカワイイ嫉妬」だという。

 のんきなものでアシュレイは、「俺、兄貴はいたけど下は妹ばっかりだったから。『弟』って新鮮なんだよなぁ」などと笑い、憎まれ役を楽しんでいる。


 ままならないアシュレイとの旅は、幸か不幸かファートの感情を育む大きな要因になっていた。



「もう、これだからアシュレイは!」


 ファートは今日も、『気に食わないやつ』相手にぶつくさ文句を言っている。

しかしそれでいて、戦い方 ——これはユタが教えるような術ではなく、拳を使う体術などの戦い方ことだ―― やら、屋台の菓子の値切り方やら、魚釣りのコツやら、一緒に蟻の行列を眺めていたりやら、妙なところで懐いてもいる。

 これもアシュレイに言わせると、『男同士の何とやら』というもので「別モノ」らしい。釈然としないものはあるが、それでも悪い関係ではないのだろう。

 ユタはそう思い、じゃれあっている二人に声をかけた。


「ファート! アシュレイ! 出発するよ」

「「はーい!」」


 どうやら返事は揃うらしい。




 街道を歩いていると、突然ファートが唄を歌いだした。近ごろ気がつくと歌っているので、どうやら彼の流行のようだ。どこでどう覚えたのか、色々な唄を歌っている。


「———— ・ ―——— ・ ―———」

「あれ? ファート、その唄って……」


 その聞き覚えのある旋律に、アシュレイはファートに訊ねた。


「ん? ユィタが教えてくれた唄だよ」

「そうなのか?」

「ああ。まあ教えたというか、私の鼻唄を聴いて覚えたみたい」


 それはユタがムルトの草原で舞いながら、口ずさんでいた唄だった。

 そして同時に、グラーチィアを鎮めた唄でもある。


「へぇ。いい唄じゃないか。ファート、もっと聴かせてくれよ」

「……わかった。いいよ」


 珍しく素直に、ファートはアシュレイの要望を受け入れる。


「なんていう唄なんだ?」

「え、と。ユタ?」

「ユィートネルムの、白の唄」


 ファートの少し照れくさそうな歌声が、街道に響いた。





――――  第1部:紅の大地と白の唄:  完 ―———

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