5:邂逅

「アシュレイ。アチラさんの様子がおかしいぞ」


 その怪訝な声に、黒髪の青年は振り向いた。


「新手か?」


 応えたものの、そこは戦の最中である。アシュレイと呼ばれた青年は、新たに突っ込んできた相手を切り倒しながら、陣中の様子をうかがった。

 ルンファーリアの兵たちが、退がっていくのが見える。


「どういうことだ?」


 意図的に陣を動かしているというわけではなく、確かに兵を引いているようだ。こちらが押しているとは言いがたい戦況の中、理解に苦しむ動きだ。

 何かの策だろうか。新しくやって来たというルンファーリアの将は、かなり高位の神官だと聞いた。何かしら企んでいる可能性はある。


「好機だ。追い討ちをかけよう!」


 味方は今にも追撃をかけそうな勢いだ。しかしアシュレイは一瞬迷ったものの、それを制した。罠を警戒したのだ。


「こちらも一旦退くぞ。相手の退却の意図がわからない。下手に突っ込んでやることはない」


 そう断ずると、アシュレイは退却の合図をあげた。




「解らんな」


 そうつぶやいたのは褐色の肌に、銀の髪を短く刈り込んだ男だ。

 ムルトの草原を横切るように流れるペレス河を挟んで、両軍は向かい合っていた。朱の部隊は地の利を生かし、河に面した小高い崖の上に陣をしいている。不可解なルンファーリア軍の退却から、すでに二時間はにらみ合っていた。


「そうだなあ。いったい何だったんだろう? さっきの退却は。増援が来るというわけでもなければ、何かの策というわけでもなさそうだ」


 アシュレイは応える。警戒して退却したのはよいが、その後ルンファーリア側に動きが見られない。

 正直なところ意味不明すぎて怪しいので、うかつに手が出せないのだ。


「どうしようか? ギル」

「さあな。だが、新しい大将とやらが来たんだろう? 結構な地位にある者だということだし、用心するに越したことはないと思うが」

「だよなぁ」


 あまり考えたくないことだが、先ほどから感じている違和感をアシュレイは口にした。


「案外、ただの気まぐれだったりしてな」

「さすがにそれはないだろう?」

「そうかなぁ」


 呆れるギルを横目に、アシュレイは頭をかく。


「まあ、最終的にはあんたが決めてくれ。こっちの大将はあんただ。俺たちはその決定には従うさ。なあ? 《紅鷹》殿?」

「やめてくれ……」


 ギルと呼ばれた青年は、からかうようにひらひらと手を振った。


《朱》はルンファーリアに対抗するため、結成されたムルトの組織だ。

 否、組織というより同盟というのが適当かもしれない。ムルト地方に点在する部族の戦士や、街の自警団などが寄り集まったものなので、軍隊と呼べるほどの規律も統率力もない、いわゆる烏合の衆だ。しかし《アシュレイ・ハーノルドという英雄》の出現で、確実にその勢力と結束力を伸ばしていた。


 はじまりはランペレスという小さな村だった。もともと部族や文化の違いから、関係が良好とは言い難いムルトの民たちだ。ルンファーリアが侵攻してきたときもバラバラだった。そのような状態で大国の軍を防げるわけがない。実際いくつものムルトの村はルンファーリアに占拠され、ムルトの民は東へ東へと追いやられた。

 アシュレイが《朱》を起ち上げるまでは。


 アシュレイは自身が仲介となることで、これらの街と部族をまとめあげたのだ。ランペレスを拠点にムルト全体に影響を広げ、今ではルンファーリアの軍とも渡り合うまでに至っている。


 そういう組織なので、実際には部族や街ごとに彼らを取り仕切る《長》が居る。しかし、彼らを繋いだ中心として支持を集め、また先の戦いでルンファーリアの将を討ち取ったことも手伝って、アシュレイは特別な存在として英雄視されていた。

 近頃では、アシュレイのことを《紅鷹》などと呼ぶ者もいるらしい。《はじまりの唄》の英雄なんて、大層がすぎる。そういった《二つ名》的なものは、どうしても慣れない。自分が自分で無くなったような感覚になるのだ。まあ、そう呼ばないで欲しいと訴えたところで、誰も聞き入れてはくれないだろうが。


 アシュレイは隠れて息をつき、目の前の現実に意識を向けることにした。この状況を何とかしなくてはいけないのは確かだ。

 そして、それを判断するのは『大将』である自分だ。そう、言い聞かせる。


「アシュレイどの!」


 呼ばれて振り返ると、伝令のひとりが走ってくるのが見えた。


「どうした?」


 動くに動けない状況で、アシュレイは突破口となる情報を期待する。


「はい。どうやら敵の陣営から一騎、こちらに向かってくるとのことです」

 場に緊張が走った。

「動いたか。一騎だけなのか?」

「は、はい」

「妙だな」


 アシュレイは考え込んだ。敵陣に動きがあったことで、硬直状態は解かれた。それ自体はありがたいが、結局のところ相手の動きの意図は未だ読めない。何かの策か。

 それとも本当に『ただの気まぐれ』か。


「相手はどんな様子だ? 武装は?」


 ギルが横から問い、伝令があたふたと答えた。


「いえ、まだよく判らないのですが、その、どうやら女のようでして……」

「女だと? 交渉のつもりか?」


 女の戦士は少ないわけではないが、絶対数では男に劣る。交渉や陽動として女を使ってくるというのであれば、用心しなければならない。

「い、いえ。それも詳しくは。帯刀は、しているようなのですが……」

「とにかく行ってみよう。ここで待っていても埒があかない」


 アシュレイは剣を握りなおす。


「交渉であれば話を聞けばいい。闘いに来たのであれば、切ればいい」


 そう吐き、アシュレイとギルは伝令のあとを追った。



 そんなアシュレイたちの前に姿を現したのは、確かにひとりの女性だった。

 彼女は朱の陣営に近づくと馬を止め、深い緑の瞳を光らせ、そして、

「こんにちは」と、言った。


「……」

「……」

「……」


 わからない。

 意図の読めない行動に、アシュレイたち朱の面々はまず度肝を抜かれてしまった。


 ルンファーリアの神官にしては位を表すローブを纏っておらず、服装だけなら旅人か傭兵にすら見える。交渉役を引き受けただけの傭兵だろうか。それにしても警戒心がない。

 それでも彼女の穏やかな表情とは裏腹に、腰に帯びている剣を使わせたらかなりの腕であろうことが、アシュレイには感じとれた。


「あんたは、誰だ?」


 ギルが挑発的に問いかけ、アシュレイは様子をうかがう。ひとりが話して挑発し、もうひとりが観察する。これが彼らの役割分担のようだ。


「はじめまして。私はルンファーリアの第一神官シィリディーナ、名前をユタといいます。このたびは前任のランダー第三神官に代わり、かの軍隊の将を務めることになりました。よろしくどうぞ」


 ギルの挑発などいざ知らず、律儀に名乗り上げたユタの言葉に、朱の兵たちに動揺がはしった。彼女の位に驚いたのだろう。

 高いとは聞いていたが、まさか第一神官が出てくるとは、誰も考えていなかったに違いない。シィリディーナのような、ルンファーリアでも一二を争う位にある人間が、こんな辺境に出てくるなど、朱の連中にとってありえないことだった。


 そんな彼らの動揺に気付いているのかいないのか、ユタは群衆を一望すると馬から降りて前に出た。そして迷いのない足どりで歩を進め、アシュレイの前で立ち止まる。


「ふむ。あなたが《朱の大将》のアシュレイ・ハーノルド?」


 そう言い当てられ、アシュレイは驚いた。反射的にユタの顔を見返してしまい、心の中で「しまった」と毒づいたが、あとの祭りだ。

 興味深げな深い緑の瞳に顔をのぞき込まれて、アシュレイは腹をくくった。仕方がない。己を叱咤し、奮い立たせる。


「そうだ。俺がアシュレイ・ハーノルドだ。後方でふんぞり返っているだけの、ルンファーリアの神官殿が単身で敵陣においでとは、珍しいことで」


 アシュレイは、精一杯の皮肉をあびせる。もちろん大将が討たれれば、その軍は負けだ。後方にかまえ、戦の全体を見てとることは重要なことだろう。しかし彼は、自分が兵ならそんな大将にはついていきたくなかったし、自身がそう呼ばれるようになっても常に前線で戦ってきた。前線に出てこないことが常の、ルンファーリアの神官など。

 そんなアシュレイの思惑を知ってか知らないでか、ユタは笑って応えた。


「ああ、そのふんぞり返るのにいささか飽きてね。こうしてここまで来たというわけだ。まあ、少々?もめはしたけれど。その、紛らわしくして、悪かったね」


 そう、ユタはノルカの了承は得たものの、前線部隊の長らと盛大に言い争いを繰り広げてきたのだ。実のところルンファーリア軍の急な撤退も、ユタの奇行の煽りを食らったためであった。

 どこか楽しそうなユタの言動に、アシュレイも閉口するしかない。なめられているのか、演技なのか、本当にただの馬鹿なのか。


「それに」とユタは続ける。彼女の表情が自嘲にゆがんだ。

「皆が命をかけて戦っているのに、命令するだけで前線に出てこない大将なんて、気持ちが悪いだろう?」


 その場に居合わせた多くの者が、彼女の言葉の真意が解からず戸惑うなかで、アシュレイは少なからず驚き、また感心していた。ルンファーリアの神官が、そのような考えを持っているとは思わなかったのだ。

 少なくとも彼女の前任者は、部下を自分の駒としか認識していないような男だった。彼がこれまで出会ってきたルンファーリアの神官も、彼と同じような思考の持ち主ばかりだったので、二重の意味で驚いてもいた。

 こんな神官もルンファーリアには存在するのか、と半ば本気で感心し、さらにはこの神官に興味を持ってしまった。


「それで、何用でここに来たんだ? 何かの策かい?」


 こう訊くと、この第一神官はどう応えるのだろう? アシュレイは、そんな皮肉と期待の入り混じった問いをしかける。


「いや? ただ《朱の大将》と呼ばれる人と、直接会ってみたかったんだ。どんな人なのかと思って」


 ユタはなんでもないことのように、言い放った。


「こいつは……」

「まさかの『本物の馬鹿』のほうだったか?」


 あきれかえる周囲の表情に、ユタは「なんだかなぁ」とため息をついた。


「やっぱり変かな? でも相手の顔も知らないで戦うのは気持ちが悪いし、せめて挨拶だけでも、と思っただけだよ」


 『罠だ策だなんだと、どうでもよくなってきた気がする』


 自嘲気味に笑う『敵の将』を前に、アシュレイはそう思った。こう言うとギルは怒るだろうが、このユタという神官の言っていることは嘘偽りではない。本心からの言葉だ。あくまで勘ではあったが、彼女のことを不快に感じることはなく、むしろ好ましいとさえ思った。

 そう思い至ったとき、アシュレイは大声で笑い出していた。


「ア、アシュレイ?」


 いきなり笑い出した大将に、ギルはたじろいだ。

 彼は腹を抱えて笑っていたが、しばらくすると気が済んだのだろう。身体を起こすと、ユタの瞳をまっすぐ見つめた。


「ああ、はあ、おかしい。で、第一神官殿? お互い顔合わせは終わったぞ。この後はどうする。回れ右をして、自分の陣に帰るのか?」


 二人はしばらく見合っていたが、ユタはにやりと笑うと応えた。


「もちろん。そのつもりだよ」


 途端にユタの周りを、武器をもつ兵たちが囲む。さぞかし遠くからこの状況を見守るしかないルンファーリアの兵たちは、震えあがっていることだろう。


「あんたの前任も同じようなことを言っていたな。ここから逃げきれると、本当に思っているのか?」

「やってみないとわからないだろう。それに私は臆病者だから。逃げをうつのはそれなりに上手いつもりだよ?」

「へえ。たいした自信だ」

「そうでもないさ」


 ユタとアシュレイは臨戦体制に入りながらも、軽口を交わし続けている。追い詰められているユタも、追い詰めているアシュレイも、その表情はどこか楽しげだ。


「そうかい。……それじゃあ、」


 アシュレイはおもむろに剣を抜くと、ユタめがけて振り下ろした。


 実のところ単純に、この風変りな第一神官と戦ってみたかったのだ。他の神官とはどこか違う、好感さえ覚える彼女は、どこまで『面白い』のだろう。

 立ち姿や足運び、ふるまい方から、決して弱くないということは知れる。だが『どこまで?』それを突き詰めたくなる。

 このような他者に対する見境の無い興味の持ち方は、アシュレイの最大の魅力であり、短慮を引き起こす欠点でもあった。

 もちろん手加減などしない。手加減をして、どうにかなるような相手ではない。


「……っ」


 ユタも素早く腰に手をまわすと、剣を引き抜いた。最小の動きでアシュレイの初撃をさばいたかと思うと、いったいどのように動いたのか、身を翻した彼女は、いつのまにか包囲を抜けている。そのままアシュレイの追撃を流れるように躱した。


「さすがはルンファーリアの第一神官殿。余裕の強さだな! っとぉ!」

「そっちこそ。なんだ、その、馬鹿力は!」


 戸惑う兵たちを尻目に二人は、一撃、一撃と、刃を交し合う。アシュレイはユタの素早い動きを力でねじ伏せ、ユタはアシュレイの重い一撃をいなして流す。どちらも口調の割には余裕が残っており、どこか楽しげですらあった。


「アシュレイのやつ。遊んでいやがる。……悪い癖だ」


 はたからこの光景を眺め、ギルはため息をついた。全く。時と場所を考えない奴だ。副将として、後で一言文句をいれないと。


 それでいて「なんて奴らだろう」と、ギルは内心驚いてもいた。アシュレイの化物じみた強さは知っていたが、それと対等に渡りあえる者がいるなんて。しかも相手は女だ。ギルは女性を過小評価する人間ではなかったが、体格や筋力ではどうしても男に劣る者を、あえて闘う兵とすることには異をとなえていた。


 それがどうだ。まともに打ちあえば、ギルでさえ剣を取り落としてしまうアシュレイの剣戟を、ユタが余裕をもってさばいているという事実には、思わず首の後ろがチリチリと痛んだ。ランダーとかいう前任神官は、いくらも保たなかったというのに。


 目の前の女性がルンファーリアの高位の神官であること、そしてその位に見あうだけの実力を持っているということは、少なくとも嘘偽りではないようだ。

 周囲はしばらくの間、この勝負の行方を見守っていたが、一向に決着がつく様子はない。


 が、そんな折 ―――― 突然、ユタの動きに動揺がはしった。急に剣の動きを止めると、アシュレイから大きく間合いを開けたのだ。


「なあっっ!」


 肩透かしを喰らったアシュレイはバランスを崩したが、なんとか持ちこたえた。

 ユタは草原の、とある方向を見据えている。その表情には、緊張がにじんでいた。


「なんだ?」


 アシュレイも同じ方向に注意を向けていたが、みるみる同じようにその表情を歪ませた。

 目隠しをしたまま崖の淵に立っているような、落ち着かない感覚。言いようのない、不安と焦燥感。そんな感覚が、身体を震わせる。


 アシュレイは、以前にも同じ感覚を味わったことがあった。その時のことは思い出したくもない。同行していたキャラバンは、あっという間に彼を残して全滅した。あの、無力感。

「己ごときの力ではどうすることもできないのだ」と、ただただ思い知らされる『あの怪物』の気配だ。


 情けないことだが、身体の芯が震えるのを感じた。


「アシュレイ・ハーノルド」

「ああ。これってまさか」

「そう。わかるのなら話が早い。今すぐ軍を率いて移動しろ」

「………」

「グラーチィアだ。それほど遠くない。……くそ、なんで気づかなかったんだ」


 ユタは拳を握り締めた。準備不足が過ぎる。迎え撃つにしても、ひとりでは心もとない。《朱》に頼むわけにはいかないし、ノルカに援軍を頼むのがベストだろうがどうだろう。どう動くべきか。


「グラーチィアだと? ふざけるな! 逃げるための方便ならもう少し、ましなものを考えたらどうだ!」


 ギルがくってかかったが、ユタは反論する。


「そんな押し問答をしている時間はない。いいから早くここから去れ!」


 ユタはそう言い放ち、黙ったままのアシュレイの漆黒の瞳を見据えた。


「アシュレイ・ハーノルド。あなたは、グラーチィアに襲われたことがあるな?」


 アシュレイは大きく目を見開くと、ユタの深緑の瞳を見返した。不思議なことに、震えがひいていく。それは奇妙な感覚だったが、身体に力が戻っていくのを感じた。


「ああ」

「それならわかるだろう? 早く離れないと。ここは人が多すぎる」

「……」

「……」


 しばらくふたりは視線を交わしていたが、


「……わかった」


 アシュレイはひとつ息をつくと、兵を引きにかかった。ギルや周りの反対を抑え、てきぱきと退却の指示を出していく。


 ユタはその姿を確認すると、きびすを返す。いや、きびすを返そうとした。

 しかし――


「退却と言ったら退却だ。急いでこの場を離れてランペレスまで戻れ。ギル、あとは頼んだぞ。俺はコイツと一緒に残るから」


「……」

「……」

「……」


「「はああああ??」」


 見事に重なったユタとギルの叫びの声に、アシュレイは肩をすくめた。


「ちょっと待て! アシュレイ!」

「そうだ。ちょっと待て。アシュレイ・ハーノルド。誰が、なんだって?」


 ユタとギルという奇妙なタッグに問い詰められ、アシュレイはため息を漏らす。


「俺が、この場所に、ついでに言うならこのルンファーリアの神官殿と一緒に、残ると言ったんだよ。聞こえたか?」


 それでもアシュレイは、はっきりと言い切った。


「おい。アシュレイ。何を考えてるんだ?」

「いいから行けよ。ギル。こいつの言っていることは本当だ。グラーチィアが近くに居るっていうのは間違いない、……と思う」

「何故、そんなことが分かる。グラーチィアってのは突然現れるもんだろうが!」


 ギルは当然の言い分をぶつけ、くってかかった。アシュレイの首元をつかみ、いまにも締め上げそうな勢いだ。


「さあな? 理屈はわからん。でも分かるんだよ。俺は、旅の途中でグラーチィアに出会ったことがある。一緒にいたキャラバンの連中がどうなったのか、具体的に知りたいか?」

「それは……」

「俺たちが引きつけておくから、その間に離れろ」


 しばらく二人は言い争っていたが、結局ギルが折れた。


「くそっ! 勝手にしろ!」


 ギルは捨て台詞を吐き、怒りを周囲に振り撒きながら去っていく。アシュレイはのんきなもので、のほほんと手を振り見送った。


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