分かりたくない

@rabbit090

第1話

 大事なことを見落としているのはいつも、自分だった。

 言い訳したって、彼女を傷付けてしまったことには変わりがない。

 そんな現実が嫌だったけれど、でも何もしないでいることも、耐えられなかったから仕方なく、私は彼女の好きなコーヒーショップの小さなギフトをもって家を訪ねた。

 ほんのちょっと前のことだった。

 彼女は、昔なじみの友人だった。そして、近くの会社で事務をしている私の元に、新人として現れた。

 「久しぶり。」

 「うわ、すごい久しぶり。いつぶり?高校生かな。」

 「だったかも、そうだね。あの頃までは割とよく遊んでたのに、今は全然だもんね。」

 「仕方ないよ。だって、江里えり、海外に行っちゃったんだもん。」

 「はは、父親について行っただけだけど。」

 「そんなことないよ、だってそのあと英語使った仕事してるって、あ、してたって、聞いたから。」

 「まあ、そうだったの。でもね、私向いてなかったの。外国企業向けの、書類を作成する業務だったんだけど、とても厳しいのよ、使えないって、切り捨てるの。嫌になっちゃった。」

 「そうなんだ…、ごめんね。言いづらいこと聞いちゃったかも。」

 「ううん、いいの。」

 いいの、全然。

 奈々ななは昔からそうだったから、私が言いたくないことをワザと言うように仕向けるというか、そういう言い回しがあって、周りも少し困ってた。

 私は、心の中で毒づきながら、愛想のいい(はず)笑顔で、笑った。

 

 私は、大学に入る前、父の出張に伴って海外に行くことになった。

 というのは、名目上の理由だった。

 本当は、もう会社の中でどこで勤務するのか、とか、そういう裁量が強く働けるようになっていた父が、私の希望を叶えて、体裁を作ってくれた。

 が、母は来なかった。というか呆れていた。

 日本を離れるのは嫌だと言ってたし、頑なとして海外へ行くことを拒んだ。

 けど、それは大丈夫だった。私は、母のことが勿論嫌いだった。

 どの程度かというと、生理的に大嫌いっていう程、それには、理由があった。

 「お父さん、お父さん。」

 私は、父のことを呼び続けた。

 父は、黙っているけれど、限界だったのだと思う。

 私は、その時になって初めて、自分が、わがままである、ということに気付いた。それ以来、誰かに対して何かを言うことは、やめようと思っていた。

 なのに、ダメだ。

 奈々が、入社してきただなんて、あり得ない。

 私は、母が嫌いだった。けれど、その母ですら私を気にかけていた。

 奈々は、私の友人だった。けれど、上手く女の子の輪に馴染めない私を、グループで執拗にいじめていた人間の一人だった。

 私はほとほと困り果てていたし、何かあればすぐに喧嘩腰になりお互い、泣いて父が止めるまで、口が止まらない程いさかいあっていた母とのこともあって、私の、逃げたい、というお願いを、父が、聞いてくれたのだった。


 「ピンポーン。」

 「…はい。」

 風邪を引いたような声だった。まさか、本当だったのか。

 私は買ったギフトを手に提げ、どうせ仮病だろうと踏んでいた奈々の、家の玄関の前に立っていた。

 最初は、良かったのだ。でも、嫌な予感は当たっていた。

 仲良く、やっていくっていう感じだったのに、すぐに奈々は口を出すようになり、仕事を教わっている立場なのに、命令までし始めた。

 私は、こういう所が嫌なのだ、と思っていた。

 この子たちは何?と思っていたけれど、その中でも奈々のことは特に嫌いだった。

 そして、理解できないことばかりが積み重なって、私は、奈々の頬を張った。

 「痛い。」

 無表情で、彼女はそう言った。

 けど、私は焦ることすらしなかった。辟易、ともしていなかった。とにかく、無感情でしかなかった。だが、奥底にあるのは、強い怒りなのだと、理解していた。

 そして、上司もその様子を見ていたし、その日は奈々は早退した。

 私は、私も、早退させてもらった。

 周りは驚いたような顔をしていたし、でも全く、何も思わなかった。

 自分でも驚くほど、何もなかったのだ。

 そして次の日、奈々は体調不良で休むと言っていた。

 私は、きっと昨日の出来事で気まずいのだろう、と思っていた。だから、形だけでも謝ろうと思って、今日ここまで来たのに。

 ねえ、何で?

 「別に、来なくてよかったのに。」

 「いや、え?」

 「誰?」

 「ああ、会社の同僚。挨拶しなよ。」

 「うん、分かった。」

 明るそうな男の声が聞こえた。

 そして、後ろから奈々の腰に手を回して、「大丈夫か。」と労っていた。が、私はその男の顔に見覚えがあった。

 あれ、

 「あ。」

 相手も、そのような反応だった。そりゃそうだ、私達は5年間も付き合っていたのに、まさか、まさか。

 「結婚してるの?」

 同棲、には見えなかったし、普段職場では外しているのか、奈々は結婚指輪をつけていた。

 「ああ、そうなの。苗字一緒だけど、彼、婿養子だから。知ってるでしょ?私んち、うるさいのよ。一応、お嬢様だから。」

 そうだ、私も奈々も、お嬢様学校に通っていた。

 そして、この男は私たちの共通の知り合いだった。近くの共学に通っていた人間で、私達の学校の前でよく、女の子をナンパしていた。

 私も、そこで知り合って連絡先を交換して、海外に行った後も付き合い続けていた。なのに、

 「………。」

 気まずそうに目を背けるその男は、私のことには触れなかった。

 きっと、奈々も知らないのだろう。

 私達は、今、何がしたいのかなんて分からなかった。

 私は、だから足を動かして、そのままその場を後にした。

 ボロボロ、だった。

 いつもボロボロになるのは私であるような気がして、馬鹿らしくて、笑ってしまった。

 

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