第5話
部室の前に立った絆は、そっと引き戸に手をかける。音をたてないように細心の注意を払いながらゆっくりと開けると、素早く身を滑り込ませた。
今日は部活が休みの日だ。それにも関わらずこうして足を運んでいるのには、そもそもこの部活への入部を決めた理由が関係してくる。
社交ダンス部にはカップルで入る者が多い。社交ダンスは必然的に距離が近くなるので、カップルがいちゃいちゃするには都合がいい。優雅な音楽に乗せて踊るので雰囲気もばっちりだ。
ラジカセからはゆったりとしたワルツが流れている。それを目にとめながら入っていくと、カーテンのかかった窓辺には熱いキスを交わす2人の生徒がいた。軽くよりかかった一人はこちらに気づいたが、またか、と少し目を細めただけで特に気に留めることはない。もう一人は背を向けていて、可愛がられるのに精いっぱいで絆に気づく様子はなかった。
ホクホクとした顔でそれを眺めながら、少し離れたところで床に座る。
以前話してくれた2人の馴れ初めを頭に浮かべる。
(副部長たちは幼馴染だったよね。中等部に舞が入学してすぐにおとしたとか)
と、舞の背中を支えていた手がスカートの方に伸びていく。そこでハッとした顔になった副部長は、慌てて両肩を掴み、引き剥がす。
「
「……これ以上はダメ。寮に帰ろう、舞」
「え、なんで」
「流石に見せられない。けど、我慢も無理」
つられて後ろに視線をやった舞が、短く悲鳴をあげる。やはり絆には気づいていなかったようだ。
「気にしないでください、大丈夫ですよ」
「絆!! 空気になるのやめて! ってか鍵は、実里ちゃん!」
耳まで真っ赤にする舞を安心させるつもりで微笑んだのだが、更にヒートアップし実里へと飛び火する。
「閉め忘れてたっぽいね。ごめん」
「ほんとだよ! もー! 絆も入ってくるとか有り得ないし!!」
「私が入ったらちゃんと鍵閉めるから大丈夫」
「もー!」と文句を言い続けるのも、照れ隠しだと分かっているので舞を見る2人の目は生暖かい。
「絆だって菇藍蘭先輩とのキス見られたら恥ずかしいでしょ!?」
はて、どうだろうか。考えてみたものの、まだ初めてのキスから日の浅い絆は、菇藍蘭とキスをすること自体が恥ずかしくて、見られることまで気が回らないように思えた。更に実里から問いかけられる。
「てか、2人ってどこまで進んだの? そこそこ経ったよね?」
「つい先日初めてキスを、しました」
「え!?」
「絆って恋愛したらすぐ体の関係になると思ってた」
確かにそういうことへの興味はあるが、絆としては恋愛はあくまでフィクション、見て楽しむものだった。自分が体験するものだとは全く思っておらず、ふりかかってきた時どう関係を進めるべきなのかさっぱり分からないのだ。
「体の関係……ちょっとまだ、想像つかないですね」
「もしかしてあんまり仲良くない? 最近またあのコンビ引っついてるし」
元々馴染み深かった縁に菇藍蘭がしがみついて歩くスタイル。とんでもなく目立つそれは同学年の間ではもはや話題になることはなかった。しかし、しばらく見なくなっていたそれがいつの間にか復活している。そもそもの原因は菇藍蘭が絆と付き合うことで、縁が遠慮していたからだ。縁にもうくっつかないようにしないと、言われた話を聞いた絆は、不思議な気持ちだった。別に自分は気にしないし、これから先も2人の友情を理解できる人と付き合えばいい。そういう存在は誰でもいるわけじゃないんだから大事にした方がいい、と絆が答えたのだ。
「それって結構、すごいよね」
「うん、実里ちゃんが私以外の人とあの距離でいたら、生かしておけないもん」
「えっっ」
驚く実里に、舞が不満そうな顔で「何か困ること、ある?」と問う。
「あー、そう言われるとないね。まあ、本当は副部長だからもっとちゃんと部員に教えないといけないんだろうけど、その辺は部長がなんとかしてくれるし」
あたしも舞が誰かとくっついてるの、無理だわ。と小さく付け加える。基本的に2人はお手本を見せたり、助言をする程度だ。
決して指先ひとつ触れることはない。それは他のカップルにも言えることだ。
「部長が言ってたんでしょ、できる範囲でサポートしてくれればいいって」
「そうなんですか?」
「うん、別にあたしは副部長やりたかったわけじゃないし。踊る相手が固定されるくらいで報復の危険を回避できるなら、安いもんだって」
なんかあったんかねぇ。と零しながら、3人ともまああの人の場合は有り得るよなぁ……。と、微妙な沈黙が落ちる。
「部長みたいになる心配はないだろうけど、どこまで許せるかって擦り合わせはしといた方がいいよ、絆」
「そうそう。嫉妬ですれ違いとか、辛いだけだし。早めがいいよ」
付き合いの長い2人の言葉には重みを感じた。仲睦まじい様子を見ていると、なんだか菇藍蘭の声を聞きたくなってくる。寮に戻っているのだろうか。今から連絡すれば、少しだけでも会えないだろうか、とスマホを取り出す。
「そうします。えっと、じゃあ、今日は失礼しますね」
急に話を切ってしまう形にはなったが、空気を読める2人はじゃあまた明日ね、と絆を送り出す。
後ろで小さく、カチャ、と鍵が閉まる音が鳴ったことについ笑いながら、スマホを耳にあてた。
もうあなたとしか踊らない。 李紅影珠(いくえいじゅ) @eijunewwriter
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