第15話(前編)

 もう日も暮れてきた頃です。

 夏とはいえ、山の夜はずいぶんと暗く感じます。

「話というのは……?」

 一颯かずさに連れられ、やってきたのは中庭です。山荘でもっとも風雅な場所で、手入れの行き届いた池や木々は、どこを切り取っても絵になります。虫や鳥の喧噪もどことなく遠く聞こえ、落ち着いた気分になれる場所です。

 みこと一颯かずさは、ただ二人で、えにし側に座っています。どちらもジャージ姿で、庭に似つかわしい恰好ではありません。しかし和や気品を思わせる雰囲気はなかなか合っていました。

「先輩にお願いしたいことがあるんです」

「私に、というと」

「ボクの家族のことです」

 烏丸からすま一颯かずさは、とつとつと語り始めました。


 都会に住む烏丸からすま夫妻のもとに一颯かずさは産まれました。

 父はIT関係で起業し、その事業は成功を収めました。情報を集め、考察し、時流を読んで行動するやり方は、息子の一颯かずさにも引き継がれています。

 母は、体が弱く、入退院を何度も繰り返していました。病名がつくわけでもなく、ただ健康であることが難しいのです。しかし決して落ち込むような人ではありません。心の強さとやさしさを持った人です。

 幼いころ、一颯かずさは医者になろうと思いました。そうすれば母の体調をよくできると考えたからです。

 しかし彼に転機が訪れます。先祖返りの世界とのつながりが生まれたのです。およそイメージのよくない『烏』の先祖返り。不吉な存在は医者になるべきではないと、面と向かって言われたことすらあります。

 一颯かずさが元気な姿を見せてくれるだけでいい。

 両親の言葉に嘘はないでしょう。

 それでも、どうしても無力感に苛まれていたとき、「暁烏あけがらすあき」の存在を知りました。

 数百年ぶりの八咫烏の先祖返り。人はおろか、国や世界の行く末すら揺るがす力を宿すとさえいわれるまさに伝説です。

 堂々と生きる彼の姿に、勇気をもらいつつ、別の希望も見つけました。

 それは加護の力です。

 ときに人知を超えた力を発揮する先祖返りの能力があれば、母を守れるかもしれない。先祖返りとして覚醒し、その力が『癒しの力』だったなら──。

 一颯かずさの能力は『音響調整』。技術による代替可能性の高さから、評価の低い能力です。

 それでもまだ、希望は終わらず。


「先祖返りの集まるさえずり学園で『癒しの力』を持つ人を探すと決めました」

 そしてついに──。

鶴雅つるが先輩は『癒し手』ですよね? 片手で数えるほどしかいないとされる、人を癒す奇跡の担い手ですよね?」

「……ええ、そうですよ」

 後輩のまっすぐな言葉を受け止め、みことは頷きました。

「母は、この近くで入院しています」

 夏季合宿の場所を聞いたときは、運命だと思いました。人工島の外に行く機会が少ない中で、病院と同じ県に行くことになったからです。しかも、探していた癒しの力を持つ人物、鶴雅つるがみこととともに行動できるとは。

「……」

「合宿が終わった後でいいんです。少しだけ、お時間をもらえれば──」

烏丸からすま君、私は──」

 ぎしっ、と床板が音を立てました。

 視線をやった先にいるのは、2人の風紀委員。

「ちーっす」

 軟派な笑みを浮かべる早輔そうすけとは対照的に、日陰ひかげは浮かない顔でした。できれば来たくなかったのだと、はっきり分かりました。

 2人はまっすぐに一颯かずさたちに近づいてきます。手で触れられる距離になると立ち止まり、そのまま座りませんでした。立ったまま、一颯かずさたちを見ています。

烏丸からすまクンさ、能力の私的利用は禁止、って知ってるじゃんね~」

 なにも待たずに、はっきりと言いました。

「おれっちたちは風紀委員として、勝手に能力を使わせようとする人は止めなきゃいけないんだよ」

「勝手ではありません」

 ぴしゃりとみことが言い放ちます。

烏丸からすま君は、私に頼みごとをしただけです。受けるか否かは私次第。違いますか?」

「……ほっほう、恐れながら」

 今度は日陰ひかげが伏し目がちのまま、口を開きました。

「あなた様次第だからこそ、今、割って入ったのです。返答があってからでは、場合によっては遅くなる。どうぞ、どうぞご理解ください」

「しかし──」

「そもそも烏丸からすまクンさ」

 早輔そうすけが口を挟みます。

鶴雅つるがパイセンの立場が悪くなるって思わなかったの?」

「……それは」

「癒し手は特別なんだよ。医学では理解できないんだ。なんだかよくわからないけど、怪我や病気が治るんだ。……すごい力だよね〜。原因なんて関係ない。万能の対処療法なんだよ」

「だから、ボクは鶴雅つるが先輩に」

「だから、決して、濫用されてはならない」

「……と、いうのが政府の考えでございます」

 一颯かずさは、俯きました。すると、あることに気づきました。

 風紀委員の2人は、靴を履いていました。土足禁止の廊下の上で、コンバットブーツを履いています。

 ばっと顔を上げます。ジャージのファスナーは一番上まで上げてあります。わずかに、首元から黒いインナーが覗きます。

「お二人は、風紀委員会でしたね」

「──ん? そうだねぇ、どしたの急に」

 必要があれば、動くのだろう。一颯かずさは考えました。その動きは決して素人にどうにかできるものではないでしょう。

「つまり、癒し手は政府の管理下にあり、能力の利用は、国益のために使われるわけですね? 重要人物に使うこともあれば、交渉材料になることもある」

 ありきたりな想像です。いわゆる「偉い人」が恩恵をあずかるだけでなく、たとえ「敵対的な相手」でも能力の代わりに譲歩させることができるでしょう。入学式で、担任の古木こぎが言っていた「国益」に適う使い方です。

「さようでございます。ご理解いただいている通り、特権として、交渉材料として、癒しの力はあまりにも大きい」

「しかしながら、これは私の力です」

 みことは立ち上がり、風紀委員たちと目を合わせます。

「ある程度の裁量が認められているのは、お2人もご存じのはず」

「程度を超えるかが、今回のケースだと難しいんすよ~」

「能力を使うかの最終判断は私がします」

「その是非は、あなた様以外の者が決めるのです。個人の判断で振るわれてよいほど、あなた様の力は小さくありません」

 一颯かずさが立ち上がります。

「ボクは──、必ず恩を返します。鶴雅つるが先輩個人に対してだけじゃない。国益を絶対にもたらしてみせます。だから」

「いや、いやだからさぁ。能力はそもそも個人の判断に任せるべきじゃないんだって」

「でもっ!」

「大体さぁ。烏丸からすまクン自身、すずめクンの能力を管理してるよね?」

 一颯かずさの体が、一瞬、揺れました。

「能力のコピー先の許可を取ること……大事だよね。能力ごとの注意点もあるだろうし、人のアイデンティティを損なうのはよろしくない。あとは、なんだっけ? 烏丸からすま一颯かずさの許可を取ることだっけ」

 そうです。

 すずめ忠太ちゅうたの強すぎる能力を、セーブするためのルールです。忠太ちゅうたを守るルールであり、SCVを守るルールであり、さえずり学園のみんなを守るルールです。

 とどのつまり。

「キミは、キミの都合で、ヒトの力を管理してるじゃん」

 なにも。

 なにも言い返せないまま、時間が過ぎました。




「……」

「いつまでむくれとるんじゃ」

 ちゃぶ台を囲う神気煌耀シェンメイの空気はどんよりしたものです。みこと春音しおんは不満を隠す気はまったくありません。二人の様子に、あきは落ち着かずせわしなく視線を動かします。ただ一人、紅蓮ぐれんだけが呆れた顔で言います。

「風紀委員の言うことも一理あるじゃろ。烏だけ特別扱いってわけにもいかん」

「分かっています」

「じゃったら何が気に入らんのじゃ」

「言いぐさもやり方も、なにもかも許容できません。私の立場が悪くなる、なんて。烏丸からすまくんを悪者扱いして、結局お国の都合でしょうに。何より──」

 声のトーンが一段落ちました。

「何より、風紀委員の2人が気の毒です。あれでは、敵のようではないですか」

 風鈴の音がして、一時の静寂が訪れました。言葉から熱が取れていき、どうにもならない現実を自覚し、ただ消化する時間でした。

「……ま、敵ではないのぉ。実際」

 紅蓮ぐれんが嘆息しました。がりがりと頭の後ろをかきます。

 あきたちも口を開きました。

「彼らは、護衛だ」

「そうだね。風紀委員は僕らを守ってくれてる。力を利用しようなんてやつ、いくらでもいる」

 夏季合宿初日に、護衛だと自称したのは嘘ではありません。人工島の外というアウェーにあって、安全が保たれているのは風紀委員の努力の賜物です。姿を見せない多くの委員や卒業生によって、この山荘は守られています。

「あまりにも、酷だとは思いませんか。すぐ近くに、助けたい人と助ける力があるのに」

「己の力でない限り、勘定に入れてはならん。現実はそう甘くない。……責める気などこれっぽっちもありゃせんが」




「カズサか。おい、目ぇ赤くなってんぞ」

「──っ!」

 とっさに自分の顔を手で覆います。さっきまで洗面台の鏡を覗いていました。えにしの二人はきっと鏡越しに顔を見たでしょう。

(まずい)

 さっきの今です。まだ気持ちの整理ができていません。いわれた言葉を反芻し、自分の感情がぐちゃぐちゃになっているままです。顔に出てるのもわかっています。せめて声に動揺が現れないように、気を張って、はきはきと喋りましょう。

「ごみが入ってしまって。お二人は?」

 瑠璃音るりおが軽くあくびをしながら言います。

「歯磨きして寝ちゃおっかな~って。昨日はグッズ妄想してて遅くなったから、今日はその分早寝しようと思ってさ。あ、烏丸からすまくんはなんのグッズがいいと思う?」

 寝巻姿の二人を見て、とっさに思いついたことを口にしました。

「……なんですかね。アイマスクとか?」

「いいねぇ! アイドルちゃんの目元アイマスク! 安眠用もいいし、美容とかもありだよね。さすが烏丸からすまくん!」

「ありがとうございます」

 一颯かずさの横の洗面台で、黒嗣くろつぐが水を出します。そして、鏡をまっすぐ見つめて言います。

「……なんかあったか」

 ひゅっ、と。鋭く息を吸ってしまいました。

 黒嗣くろつぐの視線は前にあり、一颯かずさのほうを見ようとはしません。

「特に、なにも……」

「なにもってこたぁねーだろ。オレたちでよけりゃ話聞くし、言いにくいならSCVの二人に──」

「ご心配なく。では」

 二人の間を横切って、廊下に出ます。そのままの勢いで歩いていきます。

(後で、謝らなくては)

 ぶしつけな態度だったと思います。黒嗣くろつぐの心配そうな顔を思い出しました。瑠璃音るりおも、思えば妙なテンションでした。気を使わせていたのかもしれません。みこと敬する先輩に申し訳ないと思います。

 それでもなお、今は一人になりたい。

 誰もいないところに行きたいという思いが先行します。

 ほとんど走るように、床を軋ませながら歩いていきます。心臓が、突き刺されたように痛くて、血が失われていくように寒気がして、拍動のたびに目の前がちかちかして。

 要するに、最悪の気分でした。

(ボクは、最低だ)

 歩いても歩いても。

 どこに行くべきかわかりません。

 どこにいるべきかわかりません。



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