第8話 一反木綿と美化委員

第8話Ep1.猫


 六月八日、水曜日。

 昼休み、十二時十分。渡り廊下。



 三限の家庭科の授業が終わり、特別棟から教室へ戻っていた神宮ジングウカイはふと足を止めた。

 今しがた自分が出てきた建物の影に、見覚えのある後ろ姿がしゃがんでいた。

数日前から三十度近い気温なのに律儀に着ている黒い学ラン。風に乗ってサラサラと揺れる髪。

 声を掛けようか迷って、カイはなんとなくそれをためらった。


(あれ、サトル先輩じゃん。なにやってんだろあんなところで)


 一瞬考え、すぐにその答えに行きつき憐れむように目を細める。


(ぼっち飯か……。先輩、友達いなさそうだもんな)


 見なかったことにしておこう。


 そう思って、カイは何も言わずに教室へと踵を返した。



♢ ♦ ♢




――――――――――

―2022.6.8 16:38―


サトル:

見てこれ


サトル:

[画像:お腹が白、背中が茶色の猫]

[画像:お腹が白、背中が茶色の猫]

[画像:お腹が白、背中が茶色の猫]


サトル:

かわいい


cocoro:

かわいい


サトル:

絶対おあげ

あげちゃん


cocoro:

は?絶対ちくわ

中白いし


cocoro:

ちくちゃん


cocoro:

ネーミングセンスなwwww


サトル:

ちくわぶと被るじゃん

つかおあげだって中白いが??

はい論破wwwwwww


cocoro:

そんなにおあげ好きなら一生

食べてろww

今日からおかずおあげだけなw


――――――――――




 六月八日、水曜日。

 放課後、十六時四十分。生活指導室。



「あ、猫。かわいー」

「うっわびっくりした他人のスマホ勝手に覗き込むのやめてください死罪です」


 後ろからカイに声を掛けられ、学ランを着込んだ男子生徒はびくりと肩を震わせた。と思ったのも一瞬、振り返って流れるように死罪を言い渡してくる。

 その拍子に長めの前髪がサラリと揺れ、金縁の丸眼鏡の奥の瞳を覗かせる。切れ長の一重とその上の形のいい眉が漫画みたいに綺麗にしかめられていた。


(出た。鬼畜眼鏡)


「信じられないくらい罪が重い」


 そんな先輩――二年生の問間トイマサトルに適当に相槌を打ちつつ鞄を降ろす。

自分がこの部活に入部して早二か月。始めは何かとびくびくしていたけれど、そろそろこの先輩のドS具合にも慣れてきたところだ。

 椅子を引いて隣に座りながら、


「猫飼ってるんですか?」

「飼ってるけどさっきのは違う子です。最近この辺で見かけるんですよ」

「サトルんすげぇ猫いるよなー。四匹だっけ?」


 カイとサトルのさらに後ろから三人目が話しかけてくる。ふたりが振り返った先にいたのは明るく染めた髪をカチューシャで雑に上げた男子生徒だった。シャツの裾はズボンからはみ出て胸元も大きく開けているけれど、その手にはしっかりと参考書が握られている。

 そんな三年で部長の仁吾ジンゴ未来ミライの言葉にサトルは、


「猫三匹と犬一匹です」


 とスマホを見せる。カイと移動してきたジンゴは揃ってそれを覗き込んだ。

 白い猫が三匹と白い小型犬が一匹、綺麗に横並びに座っている。


「いいなー、かわいい。名前なんて言うんですか?」

「あれだよなあれ、煮物シリーズ」

「おでんシリーズです。頭の上茶色いのがおもち、つま先茶色いのが大根、真っ白なのがちくわぶで犬がおとうふです」

「ああ、それでおあげなんですね。意外とかわいいネーミングセンスしてるんだなって思いましたもん」


 チラリと見えたスマホ画面を思い出しながら喋るカイにサトルはまた大袈裟に顔をしかめ、それから「この子どう思います」と別の画像を突き出してきた。

 写っているのはお腹が白で背中側が茶色い猫。カイが最初に見たのと同じ猫だ。

 サトルはそれを見せながら真剣な顔で、


「名前付けるなら僕は絶対おあげだと思うんですよ。でも妹は絶対ちくわだって。そもそもうちにはすでにちくわぶがいるのに、ちくわとかマジセンスなくないですか? ふたりはどう思います?」


(……どうしよう死ぬほどどうでもいい)


 「うぅん」ととりあえず悩んでる風の音を出したカイの横で、ジンゴも呆れたようにサトルを見る。


「ナニお前、そんなことでココロちゃんと喧嘩してんの」

「喧嘩はしてないですよ。喧嘩してたらこんなとこいないでさっさと帰って決着つけます」

「元ヤンこっわ……」

「元ヤンじゃないですけど。で、どっちがいいと思います」


 迫られふたりは顔を見合わせた。


「おあげでいんじゃね」

「ですね~~。ちくわぶがいるなら紛らわしいし……」

「真剣に考えてます??」

「考えてるって。まじまじ」

「真剣ですよ~あははは。ていうか先輩、その猫飼うんですか? 野良ですよね?」


 写真の猫が座っているのは舗装されたアスファルトの上で、どう見ても屋外だ。なんとなく見たことある景色な気もするけれど、ありふれ過ぎていてどこなのかまではわからない。「この辺り」と言っていたから通学途中の道路かもしれない。


(それに毛並みもぼさぼさだし、首輪とかないし……。外猫じゃなくて野良だよな、たぶん)


 そう思いながら言ったカイの台詞にサトルは眉を下げた。その顔は珍しく悲しそうだ。


「できるなら飼いたいんですけど、うちはもう厳しいですね……。すでに三匹いるし、ままは」

「まま」

「まま」


 反応していいものか迷ったけれど、ジンゴに釣られてついカイの口からもその言葉が出る。

 ふたりの視線の先でサトルの不気味なくらい白い肌がみるみる赤くなっていく。


「~~~~っ、お母さん、が、!」

「まま」

「まま」

「母親、がっ!!!!」

「まま」

「まま」

「、っ、あ、ああ!! ままがぁっ!! 白猫スキーなんでぇっ!!!! 茶色はちょっと厳しいかなぁと!!!!!」

「ままは白猫が好きなのか~」

「でもままに相談したら許してくれるかもしれませんよ~」

「サトルはままもぱぱも仲良いもんな~」

「ぱぱも白猫スキーなんですか~?」

「ぅ、クソ、サイアク…………」


 机に突っ伏して撃沈するサトルとそれを見てニヤニヤと笑みを浮かべるカイとジンゴ。ジンゴがさらに追い打ちをかけようとしたところで、ガラガラと生活指導室の扉が開いた。


「こんにちは、お悩み相談部ってやってますか? 布がいっぱい落ちてて、意見聞きたくて……」


 顔を覗かせたのは男子生徒に、「こんにちは!」「おう、入れよ」とカイとジンゴが明るく声を掛ける。


「……っ、お悩み相談部へ……! ようこそ……っ!」


 ふたりに続いてなんとかそう言ったサトルの顔は、まだ茹でだこみたいに真っ赤だった。




――――――――

作者コメント:

近況ノートに校内見取図を追加しました。ぜひ役立ててください~!

https://kakuyomu.jp/users/166P_himurinn/news/16818093089198533482

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