第17話 夜遅く

 翌日の火曜日。

 この日は珍しく、奈々から事前に安城さんが遊びに来るという連絡が入った。


 水族館の一件以来、気を引き締め直すことにした俺は、生徒会の雑用を終えてから図書室へと向かう。


 中間試験が迫ることもあって、普段は人のほとんどいない図書室にはそれなりに席が埋まっていた。


 図書室奥の勉強スペースに着いて、俺はカバンから教科書とノートを取り出して自習に励む。

 仮にも生徒会役員が赤点は笑えないからな。


 そんなこんなで自習を進めること一時間。

 18時を告げるチャイムが鳴り響く。


 俺は勉強の手を止めて荷物を仕舞い、図書室を出た。

 折良く、健介からニャインが飛んでくる。


『部活、今終わったけど透どこだよ』


『図書室。今から昇降口に行く』


『あいよ。校門前集合な』


 連絡を終えてスマホを仕舞う。

 このまま勉強を続けてもよかったが、折角なので部活が終わったら遊ぼうと健介に事前に話していた。


 靴を履き替え、駐輪場から自転車に乗って校門に出ると、健介の姿があった。


「待たせたな。……っておい、健介。お前ワイシャツとネクタイはどうした」


 ブレザーの下にそれらしい影が見えなくて見とがめると、健介はにししと笑う。


「いいだろ? 練習着から着替えるのだるいんだよ」


「登下校中、原則ワイシャツとネクタイは着用しろって校則だが」


「堅いこというなって。どうせ見えねえんだから」


「たくっ。生徒会役員の前で堂々と校則違反するなよ」


 言いながら歩き出す。

 健介の家はここから徒歩十分ほど。

 俺は自転車を押しながら進む。


 月末に控える中間試験の話をしているうちに中島家に辿り着く。

 今時珍しい、木造の平屋だ。

 裏手には大きい庭が広がっていて、そこでよくサッカーボールを蹴っているらしい。


「健介の家に遊びに来るの、結構久しぶりだな」


 家に上がりながら、ふと懐かしさを覚えて呟く。

 すると健介が「何言ってんだ」と肩を竦める。


「だってお前、ななちゃんがいるからって放課後全然遊ばねえじゃん。俺は休みの日も部活があったりして、結局お前の家に行くことになるし」


「まあそうだな」


「今日はいいのか?」


「ああ。今日は家に奈々の友だちが遊びに来てるんだよ」


「なるほどな、兄貴の気遣いってやつか。シスコンも少しはマシになったかと思ったが、そんなことなかったな」


「だからシスコンじゃねえ」


 言い合いつつ、平屋奥の健介の自室へ。

 八畳ほどの広い和室には物が散乱している。

 サッカー関連のものが多いが、中には空手の道具も転がっていた。


 健介も昔姉である紅羽先輩の影響で空手を囓っていたが、その名残だろう。


 適当に空いている場所に座り、くだらない雑談に興じる。

 特に何かをするでもなく、俺たちはそうしてダラダラと過ごしていた。


 そのうち、辺りが暗くなり始めて健介が部屋の電気を点ける。


「……そろそろ帰るか」


 すでに19時を回っていた。

 小一時間ほど過ごしていたらしい。


「おー。また来いよ」


「今度は試験勉強でもするか」


「うげっ、聞きたくなかったぜ」


「もう二年だしな。そろそろ本腰入れないと」


 そんな会話と共に玄関へ向かうと、ちょうどガタガタと外で気配がした。

 そうして玄関の引き戸が引かれる。


「ぉ、姉貴」


「紅羽先輩」


 現れた人物は紅羽先輩だった。

 彼女は「およ?」という表情で俺を見る。


「透くんじゃん。めずらし~」


「お邪魔してました。今から帰るところです」


「え~、その前に折角来たんだから組み手してかない? 弟じゃ相手にならなくてさ」


 そう言いながら紅羽先輩が突きを放つ。

 風圧がこちらまで届いてきた。


「悪かったな、相手にならなくて。もうやってやんねえから」


 後ろで健介が拗ねている。

 俺は苦笑しつつ、その場に屈んで靴を履く。


「勘弁してください」


 この人は相変わらずバトルジャンキー過ぎる。


 俺は逃げるように中島家を後にした。


 外は暗く、街灯がポツポツと灯っている。

 自転車のライトが先を照らすが、国道に面していないこの辺りは少し頼りない。


 平日にこの時間まで外にいるのは、確かに久しぶりだな。


 新鮮な気分で自転車を走らせ、家に着く。

 中の明かりがじんわりと外に漏れている玄関を開くと、奈々の靴の隣に安城さんの靴が置かれていることに気が付いた。


「安城さん、まだいるのか……?」


 いつもはとっくに帰っている時間だ。

 外は暗く、制服姿の女の子が一人で歩くのには不安が残る。


 だからもういないと思っていたが……。


 ひとまず息を潜めてリビングへ向かおうとしたところ、階段の上から音がした。


 見上げると、ちょうど奈々が現れた。


「おにぃ、お帰り。遅かったじゃん」


「健介の家に行ってたんだよ。……というか、安城さんまだいるのか?」


 俺が訊ねると、奈々の後ろから安城さんがひょこりと顔を覗かせる。


「お、お邪魔してます……」


「いらっしゃい。ああ、怒ってたわけじゃないから……」


 なぜだか気まずそうというか、おどおどしている安城さんに慌ててフォローする。

 今の会話からして責めてるように聞こえたのかも知れない。


 俺たちのやり取りをよそに、奈々が口を開く。


「あーちゃん、今から帰るって」


「そうか。気をつけて――」


「今から! この暗い中!」


「……お、おう」


「帰るんだって!」


 ドタドタと階段を駆け下りてきた奈々は、俺を睨みあげるようにして詰め寄ってくる。

 階段の上に取り残された安城さんはおろおろとしていた。


 ……まあ確かに、危ないといえば危ないな。


「安城さんの家ってどの辺りにあるんだ?」


「っ、こ、ここから歩いて十五分ぐらいで……」


「じゃあ危ないし送るよ。奈々、晩ご飯遅くなるけどいいな」


「うんうん! 流石おにぃ」


 唐突に奈々の機嫌が良くなる。

 ……これはやっぱりそういうことだったか。

 あたしの大事な人を家まで送り届けろという。


「い、いいんですか?」


 窺うように訊ねてくる安城さんに頷き返す。

 彼女の方を振り返った奈々は、なぜかサムズアップしていた。


 安城さんが靴を履くのを待つ。

 その間、なぜか奈々は廊下に立ってこちらを眺めていた。


「ん? 奈々は来ないのか?」


「え、どうして?」


「いやどうしてって……普通についてくるものだと」


 俺がそう言うと、奈々はため息を零しつつ答える。


「やー、あたし今からアニメの配信見ないとさ」


 ……こいつ。

 そのうちマジで安城さんに愛想尽かされるんじゃないのか。


「そ、それじゃあお邪魔しました……っ。またね、ななちゃん」


「はいは~い。また明日~」


 満面の笑顔で手を振ってくる奈々を尻目に、俺と安城さんは家を出た。

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