第15話 それぞれの夜
「今日は誘ってくれてありがとう。楽しかったよ」
「こ、ここ、こちらこそっ。楽しかったですっ」
待ち合わせをしたときと同じく、俺たちは駅前で別れる。
長いようで短かった一日も終わり、空はすっかりオレンジ色に染まっていた。
行きにはなかった荷物が増えて腕にずっりとした重みがある。
その重みが今日の充実感を物語っているようだ。
「ただいまー」
家に着くと、玄関には奈々の靴があった。
もう帰っているのかと思いながら靴を脱いでいると、二階からドタドタと音。
そうして階段を駆け下りてきた奈々は、なぜか得意げな顔を浮かべていた。
「遅かったじゃん」
「そうか? まあ予定よりはな」
廊下へ上がり、洗面所へ向かう俺の後ろをひょこひょことついてくる。
「どうだったどうだった」
「結構楽しめたな。水族館なんて滅多に行かないし、新鮮だけど懐かしいみたいな」
「誰が水族館の感想を言えって言ったのよ」
「聞いてきたのはお前だろ」
なんなんだこいつは。
「もー、そうじゃなくて! ほら、女の子と二人で出かけたんだからさ」
……もしかしてこれはあれか。
『あんたあたしの女に手を出してないわよね』的な詰問?
帰ってきて早々にそのことを訊いてくるなんてどんだけ気を揉んでたんだよ。
「心配しなくても何もしてないって。そんなに疑うなら本人に訊いてみろ」
俺がそう答えると、なぜだか奈々はむっすーとした表情で睨んでくる。
洗面所を出てリビングへ向かう間、突き刺すような視線が俺の背中に向けられた。
「ああそうだ、これ」
「ん? なになに」
「クッキー。お土産だ」
「うひゃー、流石おにぃ、気が利く~」
お土産の入った紙袋を手渡すとすっかり上機嫌になった。
ちょろすぎる。
「ん? これなに?」
紙袋の中からマグカップを取り出して不思議そうにする。
そういえば入れっぱなしだったな。
「ああそれは――」
俺が端的に事情を説明すると、奈々はまたにんまりとする。
「なんだ、欲しいのか? いるならあげるけど」
「それはダメでしょ! おにぃ、最低! 罰としてクッキー分けてあげないから!」
「えぇ……」
気遣ったつもりだったが、なぜかお冠になった妹はクッキー箱を片手にドカドカと二階へ上がっていった。
◆ ◆ ◆
『それでね、お兄さんが着ていた服をかけてくれてねっ。お兄さんの匂いに包まれて、もう私頭の中ぐるぐるーってして――』
「うんうん、良かったね」
その日の夜。
あたしは自室であーちゃんと通話を繋いでいた。
今日の話を聞くや否や、壮絶なのろけが始まる。
『あとあと! カフェにも行ったんだけど――』
「うんうん」
『それとね! 服も褒めてくれて――』
「よかったね」
『変な人に囲まれたときも、助けてくれて――』
「ほうほう」
『記念写真なんかも撮ったんだけど――』
「…………」
『帰りの電車でも――』
「いや長いわ!」
思わず突っ込んでしまっていた。
あーちゃんとおにぃが仲良くしている話を聞けるのはいいことだけど、通話が始まってから向こう一時間。
止まることなく紡がれる惚気話に流石のあたしも叫んでいた。
スマホのスピーカーからあーちゃんの困惑する気配が伝わってくる。
「楽しむのもいいけど、そもそも今回のデートの目的は、一向に進展がない二人の仲を深めてオープンスクールの話をできるようにすること、でしょ? そこのところはどうなの?」
あたしが訊ねると、『デ、デートじゃないよぉ』という声がした。
それからどこか得意げな声が続く。
『オ、オープンスクールの話は、できたよ?』
「おー、やったじゃん。おにぃはなんて?」
『……忘れてるみたい』
「あちゃー、やっぱりかー」
『でもでも、ちゃんと話せたから、一歩前進……だよね?』
嬉しそうな声であーちゃんが確認してくる。
そんな彼女に対して、あたしは危機感を覚えていた。
そもそも当初の想定では、オープンスクールの話を聞いたおにぃが、
「おお、君があの時の素敵なレディか!」
「はいそうです、私のナイト様!」
「これは最早運命! デスティニー! 付き合おう!」
「喜んで!」
チャラララ~~~♪
という流れになるつもりだった。
だけどおにぃがまったく覚えていないのなら、そう上手く事は運ばない。
それどころか、
「あーちゃん、これは由々しき自体だよ」
『えぇ?! ど、どうしてっ』
「いい? あーちゃん。今日のデートの話を聞かせてもらった上で思ったことだけど、おにぃはあーちゃんのこと、女として見てないの」
『……っ!』
本人にも心当たりはあったのか、あーちゃんが息を呑む。
「ほんとう、あーちゃんみたいな可愛い子と二人で水族館に行って何も意識してないなんて信じられないけどねっ」
『で、でもそういうところもお兄さんの素敵なところだから……』
「あーちゃん!」
『ご、ごめんなさいぃっ』
隙あらば惚気るあーちゃんに活を入れつつ、現状の危機感をしっかりと共有する。
「いい? もし今あーちゃんがおにぃに告白しても、まず間違いなくふられる。それはあーちゃんがきらいとかじゃなくて、女の子として見られていないからっ。近所の子どもに告白されても『あははありがとう』って返すのと同じ。わかる?」
『……うん』
「だからもうね、これは作戦を組み直すしかない」
『作戦を、組み直す……』
あーちゃんがごくりと息を呑む。
「名付けて、堅物おにぃ籠絡作戦!」
『ろ、ろろ、籠絡ぅ……っ?!』
悲鳴のような声がスピーカーから轟く。
今まであたしがしていたことは、あーちゃんがおにぃに告白できるように手伝うこと。
だけどそれだと拉致があかない。
ここからは、おにぃがあーちゃんを好きになるように仕向ける。
おにぃに貰ったクッキーをベッドの上で囓りながら、あたしは早速頭をフル回転させた。
◆ ◆ ◆
「……なんか凄い寒気が」
自室の机に向かって学校の課題に取り組んでいた俺の背筋に悪寒が走る。
ほとんど無意識に妹の部屋を見ていた。
……これはもしかして、生存本能か何かが俺に警鐘を鳴らしている……?
心当たりがないわけではない。
今までは安城さんと極力距離を取っていたが、仕方のないこととはいえ今日一日は随分と近かった。
スマホを取り出した俺は、帰ってきて早々に安城さんから送られてきた写真を開いた。
そこには退館間際に撮影した写真が映っている。
お互いどこかぎこちなさはあるものの、カメラマンの指示で体が触れ合う距離になっている俺と安城さんは、兄妹というには違和感がある。
この写真を妹が見たら、暴れかねないな。
今頃妹は安城さんから今日の話を聞いていることだろう。
受け取り方によっては処されかねない。
「……明日からはより一層気を引き締めないとな」
百合の間に挟まった男に生きていく術はない。
それが妹ならなおのこと。
妹の恋を応援できないどころか、その邪魔をする兄になんてなりたくないものである。いや本当に。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます