紡ぐ

三浦彩緒(あお)

マタ、ミツケテネ (1)

 この街が、僕は好きだ。

 

 自分がどこで生まれたかも知らないし、どこに居たのかも、とうに記憶の底に沈めた。

 父親が居るのかも分からないし、母親の顔は、写真で知っているだけだ。


 いわゆる、『施設』という場所で育った僕は、小学三年の頃、母方の祖父母に引き取られ、この街に来た。

 祖父母は、よくある親子喧嘩で出て行ってしまった一人娘を探している中で、僕の存在を知る事となり、結果、僕を引き取ることになった。

 祖母は、とても優しい、穏やかな人だった。

 祖父は、少しだけ口が悪かったが、温かい人だった。

 

「おはよう、しき!今日は早いね。」

 近所に住む海月みつきが、出勤の為に、家の前を通りながら声をかけてきた。

「おはよう。うん、今日は通夜で、明日は告別式だ」

「そっか…私、明日休みだから、手伝うよ。今日、仕事終わったら、帰り寄るから、待ってて!じゃあ、後でね」

「ああ、ありがとう、気をつけて」

 海月は、軽く手を振りながら、駅へと向かって行った。


 そう。うちは、自営業だ。

 亡くなった祖父母から継いだ、この会社。

 耳を澄ますと、微かだか波の音が聴こえてくる場所にある。

 その名は、『藍沢葬儀社』――――


 通夜が終わり、喪主と告別式の打合せを終え、会社に戻った時には、二十二時を回ろうとしていた。

「お疲れ様、お腹空いたでしょう」

 待っていたのは、経理の貴子たかこさんだった。

「お疲れ様です、戻りました。貴子さんも、長い時間すみません」

 貴子さんは、もうずっと長く、ここに勤めている。貴子さんを含め、社員は六名。

 勿論、他のスタッフも、ここに居る年数は、長い。この人達のおかげで、たかだか二十六歳で『社長』になった僕は、やっていけるのだ。


「海月ちゃん、来てくれてね。私も、海月ちゃんとお夕飯頂いたのよ。社長も早く食べてね。じゃあ、私はそろそろ帰ります」

 貴子さんは、帰り支度を始めた。

「貴子さん、それはまだ慣れません。名前でお願いしたい」

 どうにもまだ、呼ばれ慣れないのだ。

「ふふ。慣れて頂戴。それにね、私達も、そう呼びたいのよ。じゃあ、また明日、社長」

「…わかりました、お疲れ様です。明日もお願いしますね。気をつけて」

 貴子さんの背中を見送ってから、居間へ繋がるドアに向かおうとすると、海月が先にドアを開けた。

「あ、お帰りなさい、ご飯食べるでしょ?」

 開いたドアの向こうから、更に空腹を煽ってくる香りが、漂ってくる。


「ただいま。ありがとう、今すぐ頂きます」

 ほんの数秒の、靴を揃えるだけの時間すらも惜しい程に空腹だった僕は、居間へと、素早く上がり込んだ。


 翌日。

 告別式は滞り無く終わり、その後は火葬場へと向かった。都心ほどひっ迫していないため、火葬炉の予約は4番目で、ご遺体を長らく安置すること無く、終われる。

 だが、待ち時間はそれなりで、僕も少し休憩する事にした。

 

 缶コーヒーを片手に外に出た。辺りを見回し、人気のない場所を探す。喫煙所付近に、僕よりも少し、歳の若そうな男性が一人居た。

 すると、男性の直ぐ側に、真っ白で、大きな犬が座っていた。

 こんなに大きいのに、近くに来るまで見えなかったな――

 飼い犬なのか、笑っているようにも見える表情で、僕も目が合う。

「大きいですけど、人懐こそうで、大人しいですね。もしかして、秋田犬、って犬種ですか?初めて近くで見ました――」

 その男性に話しかけると、途端に表情は強張り、見開いた目で、僕を見た。

 あ、何か不味い事を言ったかな――

 そう思うと同時に、男性が口を開いた。

「…秋田犬…って…何言ってるんだよ、あんた…犬なんて…どこに居るんだよ…やめろよ…!」

 

 ――――あ、やらかした。

 

 そう思った瞬間、その男性が僕を見る表情は、軽蔑や、可怪おかしな者を見る表情でも無く、今にも泣き出しそうな程、悲しみに満ちた、暗い表情に変わっていた。

「あ、あの、すみま――」

 謝ろうとすると同時に、その男性は、小走りで、その場を去った。


 ああ、すっかりと気を抜いていた。確かに、考えれば直ぐに分かる事だった。

「ここに、ペットなんて居ないよな…」

 と、僕は呟きながら、しゃがみ込んだ。

(オニイチャン、ボクノコトガ、ミエルノ?)

「…え…?」

 顔を上げると、目の前には、白い大きな犬の顔が、間近にあった。

「あ!うわあ!」

 驚いて、後ろに尻餅をついた。

(オニイチャン、ダイジョウブ?)

 その犬は、尻尾を振りながら、僕を見ている。

 優しい目、そして、口角が上がり、舌を出してハッハッと言っているその表情は、まさに『笑顔』を浮かべている様だ。

 それにしても、僕は、動物まで見えるようになったのか…

 しかも、動物の声まで…


(オニイチャン、オネガイガアルノ…“ヒロトクン”ニ、ツタエタイコトガ、アルノ)


 ああ、又。

 僕は、関わってしまった――――


                  続く





 

 

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