第三話 〝ひとりばこ〟は〝人捕り箱〟?

「――ん……む……?」


 もぞもぞと背中で藍奈あいなが動き出したのは、クマゼミたちの声がかげり、ヒグラシが入れ替わって合唱会を始めた頃だった。


「よかった。目覚めなかったらどうしようかと思った」

「おまえ……待ちなさい。なぜニッカポッカが私をぶっているのですか」

「そりゃあ、藍奈が気を失っていたから」

しき……これは悪しき……」


 自分で歩けると暴れるので、素直に降ろすと、彼女は両手で顔をおおってしまう。

 おー、意外とかわいいところあるな。

 顔は元から綺麗だけど。


「うーん……!」


 あたしは、凝り固まった筋肉をほぐすように、大きくをした。


「いやぁ、けっこー大変だったよ。肉片まみれのひしゃげた車から藍奈を引っ張り出して、移動手段アシがないから背負って山の中を歩いて。そうそう、異萬里峠いまりとうげまであとちょっとなんだけど」

「そうですか。ところで、〝ひとりばこ〟は――」


「ああ、あたしは触っちゃいない」


 たった一言ですべてを察したのだろう。

 彼女は懐をあさり、唸った。

 取り出された箱は、一回りも肥大化していたからだ。


 ずっしりと、重量の増加を理解した彼女は。

 祈るように振り返る。


 道があった。

 赤く染め上げられた、血色の道が。


「ここまできて、まだ信じられないんだけどさ」

「言わなくても構いません」

「……目が覚めたとき、タンカーには誰も乗っていなかったよ。ただ、箱が落ちていて、箱の周りに、肉片だけが散らばってたんだ。藍奈、その箱は、マジのマジで――」

「悪しき。沈黙は金だと言ったはずですっ」


 胸ぐらを掴まれ、夜の湖畔こはんのように静謐な眼で睨み付けられる。

 この女は、これほど声を荒げてもなお、感情を顔に出しはしないのだと感心した。

 ひとつ、ため息を吐く。


「ひとりばこ。ひょっとして、こういう文字を書くんじゃない?」


 木の枝を使って、地面に描く。

 人捕ひととはこ、と。


「つまり、箱の本質は開けたくなることじゃなくて、なのでは?」

「……専門家でもない洟垂はなたれが、私に意見ですか」

「いや? だったらなおさら、最後まで運ばなきゃなと思っただけ」


 絶対に、この仕事はやり遂げなければならないと、勝手に誓っただけだ。


「…………」


 仕事を続ける意志があるという表明を、藍奈がどう受け取ったのかは解らない。

 ただ、彼女は重い息を吐くとともに手を放した。

 そうして。


「……おまえからは、死臭がします」


 と、頭痛でもこらえるように額を押さえた。


「先ほど負った傷でもないでしょう。〝ひとりばこ〟によるものなら、生きているはずがありません。説明しなさい。まさか、歩くしかばねたぐいではないでしょうね?」

「ゾンビってこと? 巫女さんは表現が独特だ。でも、まあ」


 隠すようなことでもないか。


 あたしは、上着のおなか辺りをめくってみせた。

 巫女が、嫌悪に呻く。

 ジグソーパズルのような傷痕きずあとが、よほど気持ち悪かったのだろう。


「いっぱい売ったからさ。藍奈の言うとおり、長くはない。でも、借金は完済したいんだ」


 服を直して、歩き出す。

 今度は、藍奈もついてきた。


「自己破産でもなんでもすればいいでしょう。取り立てが、それほど危険ですか」

春原すのはらあねさんはいい人だよ。餞別せんべつはくれるし。口と性根と星廻ほしめぐりが最悪なだけで」


 だから、自力で完済したいと願っているのは、エゴの類いだ。


「そうしないと、生きた気がしない。胸を張って生きたと言えない」

「死にそうではないですか」

「そーだけどさー」

「額は、どのくらいですか」

「こんだけ」


 あたしは、指を一本立ててみせる。


「一千万。大金ですね」

「にゃー、十億」

「じゅ!? おっ!?」

「にゃははは、藍奈もちゃんと驚くんだね」

「おまえ、私を揶揄からかって!」

「いや――額はほんと」


 あたしはマジで、十億の借金を抱えている。


「小娘一個人がえる額ではないでしょう。どうやったらそんなことになるのですか」

「なんでかなぁ。初めはパパとママに押しつけられて、新興宗教やって……なりゆきで目の前の人間を引っ張り上げたり、風呂に沈められたりいろいろあって」


 途中で親切な姐さんに助けられて。

 その善意すらも、自分を切り売りすることで無碍むげにして。


「でもさ。これはあたしの借金だから。十億完済して、生きて死ぬ。そのためにも」


 今回のバイトは、なんとしてでも成功させなくてはならない。

 最後までやりたいと、強く思う。


「というのが建前。本音を言うと、そいつがマジで危ないもんだって解ったから。だから、箱がなにを誘惑してこようが、あたしは負けないよ。封印だっけ? それが出来るとこまで、運んでみせる」

「…………」

「大勢死ぬのは、後味悪いしね」


 そこまで黙って聞いて、藍奈は瞑目めいもくした。

 しばらくの無言のあと。

 彼女は、疲れ切った言葉を吐き出す。


「……言いたいことはいくつもあります。が、ニッカポッカ。これだけは伝えておきます」


 なにさ。


「おまえで、かったと思います。この仕事の、相棒が」

「――――」

「気色の悪い顔をしないでください。いや、本当キモい」

「態度が三百六十度回転してるじゃん!」

「一周してどうするのですか……」

「あ、待って! 見えてきた。藍奈、あれがたぶん目的の廃神社――」


「ニッカポッカ!」


 逼迫ひっぱくした巫女の叫びに、あたしは反射的に身構え、ポケットの中の手榴弾を握りしめる。


砥上とがみ藍奈あいな。その〝箱〟を、渡してもらおうか」


 ――神出鬼没。


 先ほどまでは影すらなかった場所に、男がいた。


 異様に背の高い、喪服の巨漢が。


 廃神社を背にして、あたしたちの前に立ち塞がっている――

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