白川さんは104回目のファシリテイター

広路なゆる

01.P1

「あなたは主任になりたいですか?」


 男が俺に問いかける。

 俺よりも年下と思われる、いかにも人事部らしい意識高そうな男だ。


「は、はい」


 推挙してくれた上司の面子もある。なりたくないとは言えない。

 実際、給料が上がることを考えると、なりたくないということもない。むしろなりたい。

 より多くの賃金が欲しいからだ。


「なぜ主任になりたいのですか?」


 まるで俺の心を読んだかのような問いが来る。


 しかし、給料が上がるからです……などというこのを受ける九割方の人間が抱いている本音。

 その本音を口にしようものなら不合格最有力候補として、高い序列に列挙されることだろう。


 そう、この試験は建前を前提としたなのだ。


 しかし大丈夫だ。こんな茶番のような質問がされることはすでに上司から聞かされている。だから、事前に回答を準備しているのだ。


「!」


 あ、やばい……! 頭が真っ白に……! 嘘八百を並べて準備した答えが完全に俺の脳内のニューロンネットワークから抹消されている。


「どうされましたか?」


 俺が言葉に詰まっていると、すかさず意識高そうなツーブロックの面接官が追い打ちをかける。


 とりあえず何か答えなければ……。


「えーと……仕事の幅が広がるからです」


「仕事の幅とは具体的に何ですか?」


「え、具体的? えーと、チームのリーダー……とか?」


「はぁ……チームリーダーですか……」


 意識の低い回答に露骨に面接官は怪訝そうな顔を見せる。


 主任の試験を受けるような人物はすでに小さなチームをまとめ上げているような人物である必要がある。これからリーダーになるなどとのたまっている時点で、かなりのマイナス評価だからだ。


 質問をしながらも手元のメモに何かを書き込んでいるのが目に入る。説明能力なしなどと書かれているのだろうか。


「では、質問の方向性を少し変えます。平吉さんは趣味などないでしょうか?」


「!」


 趣味!? 流石に昇格試験で、そんな質問がされるとは想定していなかった。

 これはもう落とされる方向へ舵を取られたのであろうか。

 しかし、それでも何か……答えなければ……。


「平吉さん?」


「……」


 言葉が出ない。何か言わないといけないと思えば思うほど、逆に何も思い浮かばなくなっている。頭の中では、なぜか昨日やったゲームの戦闘用BGMが流れ始める。


「平吉さん、趣味ですよ? ありのままに言っていただければよいのですが……」


「あ……ありのまま……あーえーと、じゃあ、〝バグ報告〟です」


「はい……? バグ報告? あ、いや、それは仕事であって趣味ではないのでは? うちはシステム開発の会社ですからね……」


「あ、いや、私、世に公開されているアプリやゲームのバグを粗探しして、運営に報告するのが趣味なんです」


「はぁ……」


「報告すると、人助けとでもいいましょうか……喜ばれるのは、それはもう一つの生き甲斐……ライフワークでして……」


 何言ってんだ、俺……。これは終わったな。


 ◇


「はぁ……」


 今日も生ける屍のように最寄りの駅から幾分距離のある社屋へ歩を進める。


 寒い季節だ。年も明け、新しい年の序盤。年に一度の給与更改の時期だ。


 冬。ここ日本には四季がある。日本の良いところを尋ねると四季があること、なんて答える人が多いそうだ。


 でもさ、実際のところ、冬、長くね? 十月後半くらいから三月くらいまで五か月くらい寒いと思う。そう考えると、四季とか言いながらほとんど半分は冬だ。


 しかし、俺の気持ちがどこか寒いのは外気温によるものだけではない。


 俺、平吉(35)、彼女いない歴、齢に同じ……趣味、アプリのバグ探し及びその報告……の給与は据え置かれることとなった。


 面接直後、いや面接中から予想できた結果ではあった。


 元々、そんなに強く昇進したいわけでもなかったはずだ。だが、いざ落とされてみるとそれなりに悲しいものがある。


 俺って会社にとって要らない存在なんですかね? 手前味噌かもしれないが、プログラミングや設計スキルにおいては劣っているとは思わない。


 だが、会社が必要としているのは、そういった個人の能力ではなく、個人の能力を動かすマネジメントの能力ということだろうか。


 ふと我が上司、木田きだ課長との会話を思い出す。


 ◆


「平吉、お前はITスキルはとても高い。俺としてはお前を高く買っている」


「あ、ありがとうございます」


「だが、もう少し人をまとめ上げるようなことをやってみないか」


「え……」


「個人の力はいずれ限界が来る。もっと高い視点に立ち、チームを率いるような……」


「いえ……私は今の仕事で十分です。人をまとめ上げるなんてとても……」


「……そうか」


「えぇ……」


「だが、そうなると今のうちの会社の仕組みだと、なかなか上には行き難いぞ」


「……そうですね」


 ◆


 まだ学生だった頃、親の会社における役職なんてものに興味はなかった。お笑いコンビに役職らしきものを並べたコンビ名があったが、部長だの課長だの係長だのというものの上下関係や、どの程度の違いがあるのかなど全く理解はしていなかった。

 適当にサラリーマンをやっていれば皆なれるんでしょ? くらいに思っていたかもしれない。


 係長は望めばなれる人が多いだろう。そんなに係なんかないだろうというくらい係長はわんさかいる。

 まぁ、俺は、その前段階である主任試験にすら落ちたわけだが……。


 係長の上には課長がいる。課長になれる者は決して多くない。

 課長以上は社員全体の十パーセント程で、エリートと言って、差し支えない。


 社によって呼び方は違ったりもするが、その上に、次長があり、部長は更にその上だ。

 当然、役職が上になれば貰える報酬も大きくなる。


 学生時代の部長と言えば部活動のおさのイメージが強く、大抵がやらされてなる職位であり、大したことない印象を抱いていたが、企業の部長とは、とんでもないエリートであったのだ。


 そして、多くの企業において役職を持つ者エリートに求められる力は<マネジメント能力>という謎のステータスだ。


 マネジメント能力とは、簡単に言えば、ヒト・モノ・カネを俯瞰し、動かす力。

 企業の利益に結び付けること……らしい。


 そして、俺、平吉に対する評価はこうだ。

 ITスキル:〇

 マネジメント能力:×


 一般的な企業において、業務スキルがあるだけのコミュ障では、社会的地位、及びそれに伴う賃金の上昇を期待することは難しい。


 木田課長はそのことを率直に伝えてくれる。俺のような人間が正当な評価を受けられない現状の会社の制度には問題があるとさえ、言ってくれる。


 そして、俺がマネジメント能力とやらに重大な欠陥を抱えていることを承知の上で、昇進試験に推挙してくれたのだ。


 そんなこともあり、俺は木田課長の人間性が嫌いでなかった。


 恐らく上司が木田でなかったら俺はこんな試験を受けられてもいなかっただろう。

 仮に受けていたとしても不合格となったことにこんなに落ち込んではいなかっただろう。


「はぁ……」


 再び、溜息が出る……。


 自分で自分の姿を擬態語で表すならば、まさにトボトボという言葉が相応しいだろう。


 元気がないだけならよかった。だが、悪いことに著しく注意力を欠いていたのだ。


「危ない!!」


 誰かが危険を知らせる言葉を発する。


「え……?」


 本能なのだろうか。それが自分に向けられた声であると察する。

 その瞬間、まず自身が横断歩道を渡っていたことに気づく。

 信号のない横断歩道だ。


「あ……」


 次に大型のトラックがすぐそこまで迫っていることに気づく。


 恐らく、俺が止まると確信してスピードを緩めずに直進して来たのだろう。


 駄目じゃないか、だろう運転は……などと生命の存続には必要のない怒りを覚えながらも、もう間に合わないことを悟る。


 一瞬で血圧が限界まで吹き上がるような感覚に襲われる。


 強烈な金属の摩擦音と共に大型トラックが猛烈に速度を落とす。


 しかし、俺がいた場所への到達までにはには十分な速度を保って通過した。


 だが、とりわけ奇妙なことは、俺がそれをこうして客観的に観察できているという点だ。


「あ、あれ……?」


 俺は予想外すぎる事象に対し、無意識に疑問の声を上げていた。


「大丈夫ですか?」


 大の大人一人、しかもおれをお姫様抱っこする人物が俺に向けて、労りの言葉を向ける。

 俺もその人物から得られる外見の情報を全力でインプットしようとする。


 そこには信じられないほどの美少女……ではなく、俺とさほど変わらないスーツ姿、サラリーマン風情の男性がいた。


「あ、ありがとうございます……、おかげ様で何の問題もなく……」


 俺は死にかける、からの瞬間移動でもしたかのような危機からの離脱。

 そして、リーマンのお姫様抱っこという一連の流れに、かなり動揺しながらも何とかお礼と自身の状態を伝えるという最低限のタスクを成し遂げた。


「それならよかった……では……」


「……あ」


 あの状況から一体、どうやって、いやいや、それ以上に、社会人なりに後日、しっかりとしたお礼をしなければという思いが想起する。

 が、しかし……、


「あ、そうだそうだ……これは言わないといけないのでした……」


「ん……?」



「はい……?」


 リーマンは謎の言葉を残して颯爽と去って行った。

 なお、トラックも謝ることもせず颯爽と去っていった。


 一体、あれは何だったんだ。いや、マジで死にかけた。怖え……。


 でも助かってよかった。いや、いっそのこと死んだ方がよかったのか俺なんて、などとモヤモヤと考えが巡る。

 しかし、もはや悲しい本能としか言いようがないのだが、歩みは元の目的地から変更されることはなく、そのまま会社に出社する。


 ◇


「おかげさまで昨日の本番リリースは今のところ大きな問題は起きていない。チームも規模が拡大し、現在、ちょうど二百名となった。引き続き、社に貢献すべくご協力をお願いしたい」


 出社すると部長の日比谷による朝礼の挨拶が行われていた。

 フロアの二百人がわらわらと集まり、その一人の人物の言葉に耳を傾けた。


 しかし、朝礼と言っても毎日行われるわけではない。今日は、この部署にとって、それなりの一大イベントであったのだ。一年もの期間をかけて、開発を行っていたシステムのリリースが昨晩行われ、今日から実際に稼働するというわけだ。


 俺の勤め先は、システム開発を行っているIT企業だ。

 その中で、俺が現在所属している部署は日比谷部長の朝礼挨拶によると現在、ちょうど二百名らしい。


 これはまずまずの規模の部署であると言えるだろう。実際には人件費が安い海外にも一部発注しているため、更に規模は大きい。


 朝礼が終わり、自席に着く。


 今日は例のお姫様抱っこの事件があったせいか始業時間ギリギリに出社した。


 自席に着くと、まずコンピュータの電源を入れる。コンピュータが立ち上がるまでの間、しばし、ぼんやりとする。


 ふと隣の島の席にいる美人社員さんが視界に入る。


「なーに、視姦してんだよ……!」


「お?」


 別の人物に話しかけられる。

 同期の友沢だ。


「あまり下品な言葉を使わないで欲しいね。ただ、人を見るだけで犯罪者扱いされてしまったら、普通の日常生活を送れないじゃないか」


「残念だったな。最近じゃ、相手がハラスメントと感じたら、それはもうハラスメントになるらしい。お前にとっての普通が、相手にとっては精神的な凌辱りょうじょくと感じ取られてもおかしくはないんだよ」


 友沢はトレードマークの黒縁眼鏡をきらりと光らせ、ニヤニヤしながら高説を垂れる。


「うっ……確かに……」


「ま、冗談だよ」


「で、何しに来たんだよ。まさかこんなこと言うために来たわけじゃねえよな」


 まぁ、何となくはわかるが……。


「あぁ、どうだったんだ? 例の試験の方は? そろそろ結果出たんだろ?」


 やはりそれか……と少々、気が滅入めいる。


「……落ちました」


「え!? まじか!?」


「……」


 俺は大学卒業後、二年間の修士課程を修了した……いわゆる院卒だ。

 一方、友沢は大学卒業後、すぐに就職した学部卒。

 そのため、同期ではあるが、年齢は二歳下ということだ。


 だが、友沢は、すでに俺が落ちた主任という役職を得ている。まぁ、要するに社会的地位において、すでに抜かれてしまったというわけだ。


「なんかごめんな……、ドンマイ…、流石に受かると思ってたわ……。いや、馬鹿にしてるわけじゃなくて、平吉の現場での仕事を見てるからな」


 友沢は少し気まずそうにしている。本当に受かっていると思っていたのだろうか。


「いいんだよ……、気にかけてくれてありがとな」


 友沢はフロアが同じということもあるが、同期では唯一、いまだに馬鹿話がし合える仲だ。


 普通に良い奴で、仕事もしっかりできるので、昇進が早いのも妥当だと思える。


 内心どう思っているのかは知らないが、少なくとも俺の前では、昇進したからといって、上から目線になることもなく対等に付き合ってくれている。


「俺が昇進する前に友沢がまた昇進しちまうかもな……」


「いやいや、俺なんかより、水谷みずたに課長殿の方が先かもしれないぜ?」


 友沢がニヤりとしながらそんなことを言う。


「そうかもな」


 水谷……こいつも同じフロアにいる同期だ。


 水谷は俺と同じ院卒だが、入社以来、とんとん拍子で昇進を続け、すでに昨年から課長の職に就いている。


 三十四、五で課長になるのはこの会社では最早らしく、一般の日本の企業では、だいたいそれくらいだ。

 日比谷部長にも大変気に入られており、いわゆる出世ルートに乗っているというわけだ。


 座席がいくつか連なった塊を島と呼ぶのだが、三つ隣りの島の主、水谷を眺める。


 課長に昇進することで着席することが許された島の先端部分、いわゆる誕生日席。その誕生日席に鎮座し、訪れた部下のキラキラ系女性社員と何やら談笑している。


 キラキラ系女性社員が女の顔をしているような気がしないでもないが気にしないでおこう。


「さて……もうとっくにPCも立ち上がっているし、仕事に戻るかな……。しかし、今日は稼働初日ってこともあって、出社率高いな」


「そうだな……。日比谷部長が今日は極力、出社して欲しいと要請しているらしいぞ」


「そうか……、何も……が起きないといいん……」


「!?」


 友沢との会話の締めに入ろうとしていた時、突然、まるで光線銃の効果音のような奇妙な連続音が聞こえ始める。


「え……?」


 音だけじゃない。フロア全体がグニャグニャと歪んでいるように見える。目眩めまいだろうかと自分自身を疑ったが、周囲もざわついているため、恐らく自分だけに起きていることではない。


「うわ……なんgfsp……msfrs……」


 友沢が何かを言っているが音の伝達にも支障をきたしているようだ。空間の歪みは急激に増大し続ける。



 ◇



「初めまして。私は<ファシリテイター>と申します。これから貴方にいくつか質問をさせていただきます」


 ん……? なんだ……?

 ファシリテイター? どこかで聞いたような……。


「お名前は?」

「平吉です」

「貴方の年齢は?」

「35」


 うつろな意識の中、頭の中に響くような声で次々に質問される。


「役職は?」

「……平ですが」

「平吉で平ですか……」


 やかましいわ!


「……何か特技はありますか?」


 なんすかこれ? 面接か?

 こっちは先日、昇進試験で爆死して、もう面接はこりごりなんだよ……!


「ゲームとかのバグの発見ですが、何か?」

「ほう……どの程度、取り組んでいますか?」

「ほぼ毎日のように様々なアプリやゲームのバグを発見しては運営に報告しています。報告すると、運営の人は律儀にありがとうございますとか返事してくれて、有名なアプリなんかで、自分の報告したバグがアップデートにより修正されるとなんだか嬉しくて……でも、運営の人は内心は、うざがってるだろうなぁ……」

「はぁ、そうですか……」


 興味なさそうだな……。


「では、Mサイズのスキルコアを進呈します」

「あ、どうも」


 Mサイズ? スキルコアって何ぞ?


 ◇


 目が覚める。何だったんだ、今の質問は……。

 まぁ、目が覚めたってことは夢だったのだろうか。などと考えながら上体を起こす。


 人間の目は、目を開けている限り、自動的に視覚情報をインプットする。そして思わず口に出す。


「……どこここ?」


 何もない灰色の部屋にいた。さっきまでは会社のフロアにいたはずだった。


 大きさは元いたフロアと同じくらいであろうか。そこにフロアにいた二百人の同僚達もいて、俺と同じように続々と目を覚まし、動揺している。


 服装はスーツから動きやすそうな簡素な物になっている。


 部屋には出口らしきものもなく、数名が壁を叩いているようだが、何らかの成果を得られているようには見えない。


 ひとまず頬を引っ張ってみる。


 感覚はあるようだ。


 状況把握もままならないうちに一つの変化が起こる。


「皆さん、お疲れ様です」


 そんな声を発しながら、フロア中央上部から女性のシルエットをした灰色のホログラムのような人型が出現した。


 皆の視線がそれに向かい、固唾を呑む。


「私が皆さんの今回の仕事の<ファシリテイター>を務めさせていただきます」


 ファシリテイター? さっきの質問をしていた奴もそう名乗っていたような……。ミーティングのリーダー的な役割を担う人のことを時々、そう呼ぶが、この場においては何を言っているのか、さっぱりわからない。


「あなた方は拉致、監禁されたと思っていただければ概ね認識相違ございません」


 当然、ざわめきが生じるが女性の声は淡々と説明を続ける。


「ですが、その目的は至って建設的なものでございます」


 拉致監禁なんて人権を無視した暴挙を働いておいて、建設的などという身勝手なことを宣言しているファシリテイターはこの理不尽の目的を告げる……、


「あなた方にはゲーム感覚で、この世界を救っていただきます」


 が、ちょっとよくわからなかった。


「何この夢……リアル過ぎなんですけど……」


 フロア1のキラキラ系女子、星野さんが動揺した様子で呟く。

 星野さんは少しパーマのかかった長め、かつ、やや明るめの茶髪の綺麗な女性だ。声が大きめで、フロアでは、くずしたしゃべり声が割と遠くまで聞こえてきたため存在感が強い。


「夢ではありません」


 ファシリテイターはその声を聞き取ったのか、星野さんの言葉を否定する。


「どうやったら解放されるんだ!?」


 皆がまず聞きたかったことを問いただしてくれたのは次長の火野ひのであった。


 火野次長はこのフロアにおいて部長に次ぐ、ナンバー2だ。

 年齢は恐らく五十代であろう。少し強面の外見で、外見通りの中身をしており、割と強め……というか、きつめの性格だ。そのおかげでこのような場面においても一歩踏み込んだ発言ができるのであろうが。


「順を追って説明いたします」


「順を追ってじゃねえんだよ!! まずそこから説明しろ!」


 火野はファシリテイターに対して部下を攻め立てるかのように命令する。

 現実離れしたこの状況で、よくそんな強気でいけるなと不敬にも感心してしまう。


「解放の条件だけを抜粋して説明しても恐らく理解が難しいため、順を追って説明させていただきます」


 ファシリテイターは淡々とマニュアル回答のような対応を見せる。


「ふざけやがって……!」


 火野が毒づく。


「まぁまぁ、火野さん、まずは話を聞こうじゃないか」


 そこへフロアの最重役である部長の日比谷が熱くなっている火野を諌める。


「……はい、わかりました」


 日比谷部長は四十代前半であるため、火野は日比谷より年上であるのだが、自身も管理職であるが故に、上司に対しては分をわきまえている。

 日比谷は短髪で渋い顔立ちをしており、いわゆるダンディなおじさんの佇まいをしている。


「流石、部長さま。賢明で、助かります」


 ファシリテイターがおだてる様に日比谷を称賛する。日比谷はファシリテイターに対し、自身の手のひらを見せ、どうぞのジェスチャーで応える。


「それでは、説明を続行させていただきます。まず、このコントロールヘッドギアセットを装着してください」


 目の前に突然、ヘッドギアとゲームのコントローラのようなもの、そして仰々しい椅子が出現した。


「何これ……すご……!」


 フロア1のキラキラ系女子、星野さんがまたしても分かりやすいリアクションをしてくれる。


 いや、実際、これ一体、どこからどうやって湧いてきたんだろうと思う。


 しかし、他にどうしようもなく言われるままに、椅子に腰かけ、コントローラを手に持ち、ヘッドギアを装着する。


 目の前には、まるで現実世界のような映像が映し出される。


 ただ、ヘッドギアをつけるまでにいた灰色の部屋と大差はなかった。

 違いと言えば、壁が白いこと、かなり広いこと、そして巨大な扉があるということだ。


 周囲には、やはり部内の二百人がいて、全員、その場で静止している。


 服装は灰色の部屋における軽装ではなく、目覚める前に着ていた服装になっているようだ。スーツ姿の人とカジュアルスタイルの人が半々くらいである。


 FPSのように一人称視点となっているため、自分自身の顔は確認できていないが服装は普段通りのジャケットを脱いだ状態のスーツ姿であることが確認できた。


 周りを見渡すと、空間に浮遊するようにマップや数値などが表示されている。


 ファシリテイターはゲーム感覚で世界を救うなどと言っていたが、確かにゲームさながらだ。


「全員、装着したようですね」


 ファシリテイターによるその確認と同時に、耳元で何かを施錠するような音が聞こえる。


 皆、何となく同様の予想ができたのだろう。また、ざわめきが起きる。そして、その予想が正しいことをファシリテイターが伝える。


「ヘッドギアセットをロックいたしました。ミッションをクリアすれば外れますので、ご安心ください」


 何を安心しろと言うのだろうか? と思うが、反論の余地があるようには思えない。


「貴方達は手元のコントローラを使用することで、貴方達自身を操作することができます。コントローラは万が一、手元から落下したとしても自動的に元に戻ります。それでは、コントローラによる操作をオンにします」


 その言葉と同時に気の早い者達が動き出す。

 自分もどちらかといえば、その部類だ。手元のコントローラを恐る恐る動かしてみる。


「……」


 動いている。確かにゲームみたいだ。より強くスティックを押し込む。


「!!」


 速い! 現実ではなかなか体験することのできないスピード感のある動きだ。


 周りからも今までの張り詰めた空気を少し緩和するかのような小さな歓声がところどころから聞こえてくる。


 実際、これはすごいぞ。俺も思わず、スティックをグリグリ動かして、そのスピード感を堪能する。


「痛っ!!」


 つい調子に乗って動き過ぎたせいで、誰かと衝突してしまった。


 しかし、声が出たということは、どうやら発声することは普通にできるようだ。

 というかそれよりも痛いということは感覚もリンクしているのか……?


「どうも、すみませんでした」


 俺はぶつかって尻もちをついている相手にひとまず謝罪する。


「こちらこそ……すみません……」


「……!」


 その相手と目が合うことで思わず息を呑む。


 それもそのはずだ。そこには普通のリーマン……ではなく、絶世の美女がいたからだ。


 透き通るような肩の辺りまでの髪、大きな目に黒目がちな瞳がこちらをきょとんと見つめている。


 フロアに、こんな綺麗な方いたっけ? いやいや、いないだろ。こんな綺麗な人に気付かないことは難しい。


「な、なんか大変なことになっちゃいましたね」


 皮肉にも共通の話題を持っていたため、俺は何となく会話を開始する。


「は、はい。私、今日がここでの仕事の初日だったのですが……」


 なるほど、そういうことか。システム開発の会社であるわが社では、月初めに、ほぼ必ずと言っていいほど新たにプロジェクト参画者がいるものだ。しかし、初日でこんなのに巻き込まれるとは、


「お気の毒に……」


「はい……」


「実は自分も、朝方、トラックに轢かれそうになって死にかけたんですよ。不運って続く物ですね……。あ、でも、その時は、嘘みたいなんですけど、目にも止まらぬ速さで現れたリーマンにお姫様抱っこで助けられちゃって……」


「へぇー、そんなことってあるんですね……。無事でよかったですね」


「あ、はい……」


「……」


 早くも会話が途切れる。

 なのでひとまず名乗ってみることにする。


「あ、えーと、すみません。私、平吉って言います。よろしくお願いします」


「あ、はい……私は白川しらかわと申します。こちらこそよろしくお願いします」


 彼女は白川さんというらしい。


 挨拶してくれただけではあるが、感じのいい人だな……などと思っていると、白川さんは、そのまま静止状態になってしまった。


 どうやら積極的に操作は行っていないようだ。こちらが一方的にぶつかってしまったのだろう。申し訳ないことをした。


 一方、白川さんとは対照的に、やたらと動き回っている人物が視界に入る。

 彼女は早海さんという女性だ。二人目の〝四天王〟である。


 実はこのフロアには四人の美女がおり、社会人になっても中学生並みのノリの男性達からは陰で美女四天王と呼ばれていた。その中で最も目立つタイプなのが、先のキラキラ星野さんであるが、この早海さんも四天王の一角であった。しかし、白川さんの登場でもはや天王にしなければならなそうだが、今は置いておこう。


早海さんは、四天王の中でも、真面目そうな女性だ。完璧に均整の取れた顔立ちで、顔面すら生真面目にパーツを配置したのだろうか……。

長くも短くもないボブスタイルで、画面と向き合う時だけ眼鏡を掛けている点も一部の男性からは熱烈な支持を受けている。

振る舞いも真面目で落ち着いた様子であり、四天王の中では圧倒的に癖が少なく、〝普通力〟はハイスコア……と、思いきや、一方で、ITスキルが高く、プログラミング能力に長けているという一面も持つ。

仕事が尋常ではなく速いことで有名であり<疾風はやての早海>という少々口に出すのが恥ずかしい異名を持っている。


そんな早海さんは好奇心旺盛なのかいろいろと試しているようだ。


「早海さん、熱心だねぇ」


 火野次長がお気に入りの早海さんを讃えているが、当の本人には、あまり聞こえていないようで無視するように練習を続けている。


 この探究心が仕事ができる秘訣なのだろうか……と考えているとファシリテイターの声が聞こえてくる。


「試しに動かすのはよいですが、あまり色々やり過ぎるのは――」


 その言葉が最後まで発せられる前に、早海さんのアバターから突如、光り輝く刃状のものが発生する。


 聞きなれない切断音と共に、何かが二つに分かれ、片方が宙に浮く。


 その宙に浮いた方、胸の辺りから上だけとなった火野次長と目が合ってしまう。


 一瞬、時が凍りついたように感じられた。

火野次長の上半身は重力に従い、地面にぼとんと落下し、うつ伏せに倒れる。下半身もゆっくりと力を失い、地面に叩きつけられる。


「きゃぁああああ」


 女性が悲鳴を上げる。

 俺は呆気に取られて、その光景を眺めていた。

 火野次長の体の断面からは大量の血液が流れ出ている。


 しかし、次第に火野次長から光の玉のようなものが放出され、強く発光し始める。

その光が、彗星のように尾を引いて、まるで吸収されるかのように早海さんに向かっていった。


 その演出で全員が言葉を失う。


 演出のおかげで、これはバーチャルでの出来事であると、逆に幾分、冷静さを取り戻すことができた。

それにしても、結構、グロテスクな演出だ。

 バーチャルであるとわかっていても背筋が凍りつくようだ。


「一応、処理しておきましょうか……」


 ファシリテイターがそう呟くと、火野次長の体は炎に包まれ、燃え尽きるように消滅してしまった。


「申し訳ありません。説明が遅れました。あまり色々やり過ぎるのは危険です。L+R同時押しで戦闘モードに切り替わりますので、お気を付けください」


 ファシリテイターは相も変わらず平淡に続ける。


 しかし、戦闘モードがあるということは……、


「我々は……何と戦うのだろうか?」


 日比谷部長が俺の疑問を代弁するかのように険しい口調で確認する。


と呼ばれるです」


 ファシリテイターの口から、さも当然であるかのように、いかにもモンスターらしき名称が発せられる。


「……キメラ?」


 二次元に縁のなさそうな日比谷部長には、あまり聞きなれない言葉ではあるかもしれない。しかし、キメラはファンタジーでは常用単語の一つだ。複数種が混合したモンスターのイメージであるが、そのイメージで正しいのだろうか。


「怪物だと思っていただければ差支えないかと」


「少なくとも我々同士が戦うものではないという認識で正しいか?」


「YESです。それが目的ではありません。冒頭に申し上げた通り、あなた方には世界を救っていただきたいのですから」


「……ひとまず承知した。だが、まさかバーチャルでゲームオーバーになったら現実でも死ぬってことはないよな?」


 日比谷部長がとんでもないことを質問する。


 ファシリテイターは回答にそれほど間を置いてはいなかっただろう。

しかし、その一瞬は胸が跳ね上がるような感覚であった。


「回答として、その質問内容は起こり得ません」


「……そうですか。わかりました」


 日比谷部長は質問内容が該当しない旨の回答を得て、ほっとしている様子だ。俺自身もその回答に少し……いや、かなり安心する。


「それでは引き続き、説明します。戦闘モードに切り替わった状態でAボタンを押下することで通常攻撃が行われます。通常攻撃はブレイドです」


 空中にコントローラのグラフィックが出現し、ボタンの解説が始まる。


「Bボタンでジャンプ」


 何人かが飛び跳ねている。垂直跳びで軽く人間一人分くらいは超えている。ものすごい跳躍力だ。俺も恐る恐るではあるが、戦闘モードへ切り替える。少し重心を下げたような体勢へと変化する。


「そして、Cボタンは固有スキルです」


固有スキル……?


「固有スキルは、一人に一つずつ配布しております。Cボタンを一度押下することで固有スキルの内容が表示されます。固有スキルの能力については事前アンケートを元に、有能と思われる方に優先的に大きなスキルコアを埋め込んでおります。大きなスキルコア程、強い能力が発現しやすくなります」


 俺の固有スキルは<シールド>か。簡単な説明も表示されている。


<防御壁を展開し、攻撃から身を守ることができる>とある。


 地味だな……。


 事前アンケートとは、最初に目を覚ます前に行われていた面接のような尋問のようなあれか。そういえばMサイズのスキルコアとかなんとか言っていたな。


 響き的には、平均くらいのランクのものだろうか。まぁ、平社員だしな。Sサイズじゃなかっただけマシか……。


「Lボタン+Cボタンで固有スキルを発動することができます。攻撃系のスキルをお持ちの方はフィールドに出てからお試しすることをお勧めします。なお、固有スキルの中には常時発動型やON/OFF切替え型のものもあります」


 ファシリテイターの説明を受け、自身のスキルは防御系スキルであったので、試しに使ってみることにする。


 Cボタンを押下すると、左前腕の外側を中心として、1メートル大の正八角形を組み合わせたような透明なエフェクトが発生した。


 使いやすそうではあるが、特殊能力感は薄い能力だ……。


「操作に関する説明はこのくらいです。あとは、ご自身で適当に試してみてください。それでは、これからミッションに挑戦していただきます」


 ファシリテイターは大して話を引っ張ることもなく本題へと進んでいく。


「今回の皆さんのミッションクリア条件は、外の世界に出て、三時間以内に合計百体以上のキメラを討伐して、ここに戻ってきてください」


 条件の宣言と共に、ゲームのインフォメーションメニューのように200という数値、0/100という分数表示の数値、そして3:00:00という文字が表示された。


 0/100というのは、恐らくキメラとやらの討伐数だろうか? 制限時間についてもわかりやすい。


 となると、200というのはプレイヤーの人数であろうか。たまたま今日、日比谷部長が朝礼で人員がちょうど二百人になったと言っていたので間違いない。


 ってあれ……? 200……?

 数値おかしくね?


「最初のミッションなので、チュートリアルみたいなものですよ。恐れずに挑戦してください。それと、皆様の関心事である解放条件ですが、今回のミッションを含めて、四ミッションクリアすることです」


 散々、引っ張っておいて、さらりと解放条件を告知する。しかし、ゲームの四ステージならそれほど多くはなく、絶望的な数値ではないように思える。


「それでは皆様もそろそろ世界を救いたくて、うずうずしていらっしゃる頃でしょうし、始めましょうか」


 その言葉と共に、巨大な扉が上にスライドするようにゆっくりと開く。


 空間に表示されている3:00:00が2:59:59へと変わる。


 そのまま58、57……と数値は小さくなっていく。


 始まるや否や、戸惑うこともなく一人の女性が走って扉へ向かっていった。


 美女四天王の三人目、<ロケット宇佐ちゃん>こと、宇佐さんだ。


 宇佐さんは、四天王の中で俺が、唯一、まともな面識がある。と言っても、能動的に得た面識ではなく、たまたまグループが同じだったというだけなのだが。


宇佐さんは美人である。


そこは疑いようがないのだが、四天王の中でも異彩を放っている。まず、特記すべきはロケット定時退社だ。毎日、終業の鐘と共に脱兎のごとく去っていく。ゆえに一部では、そのまんまだが<ロケット宇佐ちゃん>と呼ばれている。


また、昼休みも鐘と共に、うつ伏せになり、食事もせずに机と一体化しているかのように眠っている。昼明けは、くせっ毛気味で、肩までの少し長めの髪が跳ねていることがあり、少々だらしないのだが、そこが良いという人もいる。


いつもアンニュイな雰囲気で気だるげというか眠そうな感じで、少し話しかけ辛いが、仕事の会話には支障はない。残念なことに右手薬指に指輪を付けており、ロケット退社後は彼氏と会って朝までファイトしているのではないかという下品な予想が大多数だ。


 そんな宇佐さんは誰かを待つこともなく、一人で行ってしまう勢いだ。


 たまたま扉の近くにいた意外な人物がそれに続く……。俺だ。


「宇佐さん、待って。僕も行く」


 なぜ引き留めたのか。確固たる理由はない。ただ、なんとなく一人で行かせるのは嫌だったのだと思う。


「あ、はい……どうぞ」


 俺の声掛けにより、宇佐さんは足を止める。無表情ではあるが、帰ってきた言葉は、幸いにして拒否の言葉ではなかった。


「平吉、ゲームとか好きそうだし、俺も付いていこっかな」


 また、誰かが後ろからそんなことを言う。

誰かと思えば、同期でフロア内で俺にとって唯一友人といえる関係である主任の友沢であった。


「じゃあ、行っちゃいます」


 扉を出ようとしていた宇佐さんはもう待ち切れないようだ。


「お、おーけー! ついていくよ」


 俺は宇佐さんに続く。

扉を出ると、短い通路があり、その通路を抜け、無機質な階段を登ると外の開けた場所へと出られた。


「へぇー、本格的だな」


 しっかりついて来ていた友沢が声を上げる。


 確かにステージは極めてリアルに作り込まれている印象だ。

 荒廃した都市のようなステージだ。

 今までいたのは地下であろうか。

 階段から出た目の前にはビル群に囲まれた四車線程度の広さのある道路であった。


ステージのクオリティの高さに驚いていると、宇佐さんが離れていく。


「あっ! 宇佐さん!?」


「大丈夫です。一人では行きません。でも、少し離れていてください」


「えっ!? あ……あぁ……」


 宇佐さんはそそくさと離れていくと、いきなり拡散レーザーのようなものを乱射し始めた。


 ふよふよと浮遊する数十個の光球を発信源とし、輝く直線状の光が派手な破壊音と共に建造物を粉砕する。


 かなりの当たりスキルじゃないですかと少々、羨ましく思う。


 レーザーが収まると、宇佐さんはジャンプしてみたり、ブレイドを出し入れしてみたり、その場でいろいろな動きをしている。


 なんとなく予想はついたのだが、恐る恐る聞いてみる。


「な、何したの?」


「え…? 試し撃ち」


 無事に予想通りの回答が返ってくる。


 こ、この人……多分、ゲーマーだ……。


 すぐに外に出て行ったのは、早くレーザーをぶっ放ちたくて、居ても立っても居られなかったのだろうか。


 しかし、自分も宇佐さんを習い、いろいろなアクションを試してみることにした。趣味〝バグ発見〟の血が疼く。


 ブレイドアクションを行うと手中に光刃が出現し、それを剣のように振り回すことができた。


 ブレイドによる攻撃以外には、走る、ジャンプするは勿論のこと、しゃがむ、転がる、サイドステップ、バックステップといった割と自由度の高いアクションができるようであった。


「平吉のスキルはシールドか?」


 友沢が話しかけてくる。


「あぁ、見ての通りだよ。友沢は?」


「俺は<視力強化>みたいだ」


「なんだそれ?」


「単純な視力強化と透視の掛け合わせみたいだな。おかげ様でかなり遠くまで視認可能だわ」


 友沢のトレードマークである黒縁眼鏡が強化されたかのような能力だなと思ってしまう。


「スケスケメガネってか? って、お前、いかがわしいことになってないだろうな!?」


「肝心なところは闇だな」


 ちゃっかり確認してんじゃねえか……! と思いつつ、ゲーム的にも、便利な能力だなと、また少し羨ましく思う。


「いい能力ですね」


 宇佐さんも友沢の能力を高く評価する。


「お、そうかな? 宇佐さんのド派手レーザーの方が羨ましいけどなぁ」


 友沢の能力が宇佐さんに褒められているのを見て、羨ましさが少し増量する。


 些細な羨望心を押し殺しつつ、周りを見渡す。ざっくりだが、外に出ているのは半分の百人くらいだろうか。


 フィールドはかなり広く、各人が密集し合うことなく適度にばらけており、気のおける数名でなんとなくグループを形成しているようだ。


 俺の近くには宇佐さんと友沢がいたわけだが、もう一人、比較的、近くにいるのだが、誰かとグループになっているわけでもなく、漂うようにしている人物がいた。


 先程、少しだけ会話をしたその人物は自主的に一人になっているのか、それとも孤立してしまっているのか判断できなくはあった。

しかし、後者であった場合、流石に不憫なため、拒絶覚悟で声をかけてみる。


「あ、えーと、白川さん……でしたっけ?」


 でしたっけ、などという言葉を選択したが、完璧に覚えていた。


「あ、はい……えーと、先程の……平吉さん」


「ですです」


 ちゃんと覚えていてくれたのかと、内心かなり感動する。


「えぇ!? 平吉!! 誰や、その美人は!?」


 友沢が早速、反応する。


「こちら、白川さんです……。さっきたまたま話をしたんだけど、なんと……今日からこの現場で勤務だったそうで……」


「マジですか!?」


「あ、はい……そうなります」


 白川さんは眉を八の字にして、少し困ったような顔で返答する。少しあざといとすら思える表情だ。


「もしそのせいでグループを作り辛いのだとしたら、僕達と一緒に来ませんか? こんな状況でいろいろと不安なのはお互い様でしょうし……」


 思い切って、直球で誘ってみる。


「……はい……是非……」


 少しだけ沈黙があったが、白川さんは、こちらの提案を受け入れてくれた。


「よかった……えーと、こちらは友沢、それとこちらは……宇佐さんです」


 宇佐さんを、さもグループの一員のように紹介してもよかったのか、発言の前後で迷いが生じたが……、


「……よろしくです。宇佐と言います」


 宇佐さんも白川さんに挨拶をしてくれたため、一応、しばらくは俺達と行動を共にしてくれる方針のようだ。


「あ、私は白川です。よろしくお願いします」


「ひゃっほー、美人二人でテンション上がってきたぜ。お前、グッジョブ!」


 友沢が小声で伝えてくる。なりゆきによる部分がほとんどであり、それほど下心があったわけでもなかったのだが、冷静に考えると確かにそうだなと自分もいくらかテンションが上がる。


「で、どこ行けばいいんだろ」


 友沢が素朴な疑問を口にする。


「多分、あっち」


 宇佐さんが特定の方向を指差す。指差した先に目印になるようなものは特にない。だが、彼女が差した方向については俺も概ね同意できた。なぜなら、空間表示されたマップに進行方向を示すかのような矢印が表示されていたからだ。


「あ、前の奴らもそっちに向かうみたいだな」


 友沢の言うように、他の者達もすでにそれに気づいていたようで、複数のグループが呼応するように大きな集団として動き始めた。


 自分達は集団の進行方向の中央付近にいたようであり、前のグループの流れに続く。


 集団の先頭を引っ張っていたのは割と目立つタイプのグループのようだ。


 視力強化の能力がなくとも、美女四天王、フロア1のキラキラ系女子、星野さんの後ろ姿はキラキラオーラを放っているので、簡単に視認可能だ。


 ◇


 集団としてマップの矢印の方向に移動を始めてから三キロメートル程度移動しただろうか。


 風景に大きな変化はなく、荒廃した都市のビル群の中の大通りを進んできた。


 ふと時間表示に目をやると、すでに30分程度が経過している。


 と言っても、最初の20分は試し動作等に要したもので、走り出してからは10分ほどが経過した計算だ。


 しかし、三キロメートルを10分ということは、マラソン選手並みの速度感で走って来たのだが、現時点で全く疲労感はない。ゲームって楽でいいわ……とついつい思ってしまう。


「結構、走って来たけど、何も起きないなぁ」


 友沢が呟く。


「そうだな……」


 今のところキメラどころか生物にすら遭遇していない。荒廃した世界観にマッチしていると言えば、そうなのかもしれないが……。


「えっ!?」


 友沢が急に驚きの声を上げる。視力強化のスキルで何か変化を捉えたのだろうか。


「どうした?」


「い、いや……前の方にいた奴が一人、一瞬で消えた……ような……」


「え……?」


 具体的な内容が前方から聞こえてくる。


「おぉー、なんか出たぞぉ。安川が食われたぁ」


 安川……さん……? 面識のない人だな…… 伝わってきた声からは、あまり緊張感を感じ取ることはできないが、食われたってどういうことだ……? 空間上に表示されている数値が200から199へと変わる。


「何こいつらきもい」


 キラキラ星野さんがそう評するのも頷ける。


 上半身はカエル。下半身はやたら強靭な肉体を持つ人間。体長は2・5メートル程だろうか。そんな生物が、ざっと見で三十体ほど直立していた。こいつらがキメラだ。人並み以下の洞察力であっても、理解するには十分な風体のモンスターがいた。


「み、水谷課長、どうしま……」


 隣にいた目立つタイプのグループの先頭にいた頼りになる男への助言を求めかけたその時、星野さんの体にはピンク色のつるつるした物が巻き付いていた。次の瞬間には、星野さんはそれまでいた場所から消えている。


「えっ」


 星野さんの上半身だけがカエルの口の中から出ている。その光景を見て、先刻のピンク色がカエルの舌であったことを認識する。


「きゃぁあ、あははは、何これぇ、気持ち悪ぅう」


 星野さんがカエルの口の中から生えて、きゃははと笑っているという奇妙な光景が眼前で展開されている。


「ちょ、なに、何これ? え? 本当に気持ち悪い、ってか、え? きゃ、きゃぁあああああああ……あ」


 ちゅるんという音が聞こえてきたような気がした。星野さんの姿はもう視認することができない。一時いっときの静寂の後、数値が199から198へと変わる。

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