協奏曲

結井 凜香

第1話 挫折

上手くいかない、どう頑張っても何時間練習しても上手くいかない。高校1年生の冬、期末の実技試験に向けて必死の特訓を繰り返す。同じ小節で詰まり、その部分を何度もゆっくり繰り返してからまた流れに乗る。ピアノの練習はこの繰り返しだ。僕は常に誰よりも上手くなければならないーそのプレッシャーが、練習に拍車をかけるが同時に不安も襲う。もし僕より上手に弾けるやつがいたらー僕は家の名に恥じる男になる。世界的に有名なピアニストとして名を馳せ、幾多の賞を総ナメにし、プロアマ関係なく色んなオーケストラとコラボしてきた僕の父。しかも、僕が通うこの学校は、父が創立者の一人でもあった。帝聖学院高校音楽科、その中でも器楽コースは、1番歴史が古くて伝統のある学科だ。その中でトップに立たなければ、僕は同級生からからかわれいじめられる。先生達から落胆の目で見られる。「あの良太郎さんの息子なのにねえ」と嘲笑される。それだけは嫌だった。自分の可能性を信じてくれる父の顔に泥を塗るのは嫌だ。高校生なのにいじめられるのも嫌だ。そして、何回練習したってできない自分がーあああああッ!指が限界を迎えて力尽き、ガシャーン!とピアノが不協和音を奏でる。どうして、できないんだ。みんな当たり前に弾けているショパンの幻想即興曲。どうして指がもつれるんだ。どうして、表現できないんだ自分の世界を、この曲に対する溢れんばかりの情熱を。僕は、どうしてピアノを弾けないんだ。


兄ちゃんを超えたい。兄ちゃんを超えなきゃ、僕は人間として認められない。いつだってそうだ。スポーツだって僕は身体が小さいから兄ちゃんみたいに力を出せないし、体力だって無い。勉強も、国立の教育学部に入った兄ちゃんより成績が良かった試しはない。塾だって行ったけど、渋々、兄ちゃんに教えてもらわないと何もわからない。兄ちゃんは僕をすごく可愛がっているし、父さんが僕のできの悪さでどんなに僕を叱っても、兄ちゃんは僕をかばう。でも、僕だってひとりの人間だ。ちゃんと意志もあるし、自分で色んなことをちゃんとやれるようになりたい。兄ちゃんはいつまでも僕を小さい子ども扱いするけど僕だって高校生だ。比較されたらムカつくし、ましてやその比較対象にかばわれるのって正直ウザい。だから、僕がひとりの人間としてみんなに見られるためには、一人で何でもできるようにならなきゃいけないんだ。だけど…、どうすれば僕のピアノは変わるんだろう?得意の絶対音感から、その曲を紡いでいくのが僕のやり方。そこから自分なりの解釈を交えて色々表現をアレンジしているけど…。兄ちゃんみたいな、こう人をぐっと引き寄せるような、やさしさだったり温かさだったり、音に寄り添われているような、音と対話してるような、自然な形がどうしてもできない。僕が絶対音感、要は人真似しかできない、誰かがいないと何もできないタイプだからか?だとしたら僕は、どう変われば誰からも比較されないんだ?普通に一人の人間として、普通に評価されるんだ?

暗くなった冬の放課後の練習室に、ただただ必死で激しいショパンの幻想即興曲が止むことなくいつまでも響いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る