サプリ

時無紅音

サプリ

「あれ、前川、いま帰りか?」

 塾からの帰り道、駅で電車を待っていると、背後から四条くんの声がした。

 私と四条くんは、学校では同じクラスだが塾のコースが違う。四条くんのほうが数十分ほど拘束時間が長い。だからこれは先生に質問があって数十分の居残り授業を受けていた私の真面目さが生んだ奇跡だ。

「うん、そっちも?」

 四条くんは頷いて、鞄から英単語帳を取り出した。私も倣って、古文の単語集に目をやる。

 受験生の間に会話は不要だ。ただでさえ学力の足りていない私はこれから人一倍勉学に励まなければならないし、たまたま四条くんと会えたからといって怠けてはいられない。

 数分間、頭の中で単語を反芻しながら四条くんの囁く英単語に耳を傾けていると、電車がやってきた。四条くんと私の最寄り駅は四つ先。隣にいられる残りの十三分を噛みしめながら、練習問題に目を通していると、ふと来月に行われる夏祭りのことを思い出した。

 がたんごとんと電車に合わせて身体を揺らしながら、練習問題がまったく頭に入っていないことに気づく。頭の中に浮かぶのは現代の言葉ばかりで、いくつもの誘い文句が浮かんでは消えていく。四条くんはずっと口を動かし続けていて、電車の中だから声を出すのは自重しながらも真剣に勉強していた。その横顔を眺めていると、いつの間にか最寄り駅に到着していて、四条くんと一緒に電車を降りる。

「前川、どっち?」

 駅には北口と南口がある。私は「あっち」と南口を指さした。私の家は北口のほうにあるが、四条くんの家は下校時の方角から察するに南口側のはずだ。

「四条くんは?」

「同じだよ」

 想像通りの答えが返ってきて、四条くんは南口に向けて歩き出した。私もそれに続く。南口にはあまり来ないので、改札もどこか居心地が悪い。お母さんに遅くなる旨のメッセージを送って、四条くんの隣に並ぶ。歩きながらの勉強は危ないので、私も四条くんも単語帳は鞄の中。夏祭りに誘うには、きっと今が絶好のチャンスだ。これから先、二人きりになれる機会なんてそうそうない。意を決して、まずは深呼吸を一つした。

「あのさ、四条くん」

 呼びかけると、四条くんは足を止めた。信号が点滅して、赤に変わる。

「なに?」

 四条くんは振り返って、怪訝そうに眉を顰めた。

「あのね、えっと、」

 口の中で言葉を編むが、なかなか良い文章が作れない。そのくせ口はぱくぱくと開けているから、口内が乾いてひりひりする。その感覚は、サプリを食べた後に残る痛みと似ていた。

「その……、」

 夏祭り、一緒に行こう。

 たったそれだけなのに、それだけが喉から出てくれない。車が一台、通り過ぎた。信号が変わろうとしている。

「……この辺、昔は商店街っていうのがあったんだって」

 散々迷った末に出てきたのは、そんな言葉だった。

「商店街?」

 初めて聞いた言葉だったのか、四条くんは首を捻った。

「うん。おばあちゃんが言ってたんだけどね動物のお肉だったり、野菜っていう草だったり、食べ物を売ってるお店がいっぱいあっていつでも人でにぎわってたんだって」

 四条くんはぴんと来ていないようだった。私たちは生まれたときからずっと完全栄養サプリを食べて生きているから、無理もないだろう。私だっておばあちゃんの話を聞いているときは、夢の中にいるような心地だった。牛や魚の死体が平然と売っていて、その辺に生えている草を食べる。そんな酷い時代がかつてはあったらしい。その程度の認識でしかない。

 だから揚げたてのコロッケなんて言われても分からない。食べ物に熱い冷たいがあることも知らないし、「甘い」はにおいに使うものだ。私たちにとって食事とは機械からでてくるサプリのことで、「煮る」「焼く」「蒸す」「揚げる」の違いなんて言われたって分かるはずがない。

「昔の人ってさ、訳わかんないよね。動物の死体を薄く切って食べるとか」

「そういや、じいちゃんも言ってたな。昔はお祝いの席で魚の薄切りを草の種に乗っけて食べてたんだって」

 お寿司というやつだろう。時代劇で見たことがある。ほんの五十年前くらいの人たちが好んでいたらしいが、実際にドラマでお寿司を食べた俳優は「むにゅむにゅしてて気持ち悪い」と言っていたし、あまり心地のよいものではないのだろう。そもそも動物の死骸を口に入れるなんて残虐な行為は誰が最初に思いついたのか。

「まあたぶん、身体には悪かったんだろうな。昔の人って百歳くらいで大体みんな死んでたらしいし、病院の数も今の五倍はあったっていうからな」

「昔は栄養素が不足してるせいで病気になる人、多かったらしいもんね」

「それに食事にかける時間も長かったんだろ。酷いときは何時間とか普通に経ってて、禄に眠れない日もあったらしい。たかが栄養取るのにそんなにかけたくねえよな」

 そう考えると、昔の人はつくづく非効率だ。食物の殆どは包丁で切ったり火を通したり、”調理”が必要だったと聞く。魚であれば鱗を落として、頭と胴体に分けて、胴体を背骨に沿って三つに切っていたらしいし、牛や豚などは魚のように食べる部位を切って、そのうえで火を通さないといけなかったのだとか。どうしてそこまでの手間をかけてまで動物の死骸を食べたいのか、理解ができない。

「でも、昔の食事は楽しかったって、おばあちゃんは言ってたな」

「楽しい? 食事が?」

 食事とは栄養を取るだけの行為であり、そこに楽しめる要素はない。四条くんはそう言いたいのだろうし、私もそう思う。私の知る限り、同じように思っている人ばかりだ。

「うん。昔は大勢で同じ”料理”を食べたり、食べながら雑談とかカラオケしてて、それが楽しかったって」

「まあ、今じゃみんなで食事なんてないしな。サプリ食べるだけだし」

「それに、昔は食事にも”味”っていうのがあったらしいじゃん。この料理は”甘い”、この料理は”酸っぱい”とか」

「甘いとか酸っぱいとか、食事に使う言葉じゃないだろ」

「昔は使ってたんだって。今じゃにおいを表す言葉だけどさ」

「意味わかんねえな、昔って」

「他にも、美味しいとか不味いって言い方もあったっておばあちゃん言ってた」

「どういう意味だ?」

「味が良いものと悪いもの」

「味の悪いものっていよいよ存在価値ないだろ。無駄に時間だけ使って、栄養も禄にとれなくて、そのうえ味も酷いって」

「そっちの方が栄養がある場合も多かったらしいけどね」

「どのみちサプリほどじゃないだろ」

「それはそうだけど」

 あれは個人の習慣や体格も含めて完璧なバランスで人間に必要な栄養を凝縮しているのだから。人類史上最高の発明だと言われているものに、昔の食べ物が敵うはずもない。

「てか、サプリって味的にはどうなんだろうな。美味しいのか、不味いのか」

「栄養いっぱいだし、不味いんじゃない?」

 今となっては食べ物に”味”は存在しないけれど。

 詰め込まれた栄養素の化学反応によって、サプリには舌を麻痺させる物質が含まれている。だから生まれたときからサプリで生きている私たちは味を感じ取ることができないし、”味”がどういうものなのか知らない。もっとも、サプリ以外を口にすることはないから、さして問題はないのだけど。

 そんな話をしているうちに、駅前特有の喧噪はいつの間にかなくなっていて、閑静な住宅街にたどり着いた。

 これ以上一緒にいては、さすがに不審に思われるかもしれない。たぶん四条くんの家はもうすぐ近くだし、こんなにも家が近いのであれば今まで一度も道であったことがないのはおかしいだろう。

「私、こっちだから」

 そう言って十字路を、四条くんとは反対の方角に曲がる。

「ああ、また明日──」

「四条くん」

 別れの挨拶を遮って、大きく息を吸った。

「来月の夏祭り、一緒に行かない?」

 血の巡りが早い。鼓膜が内側から揺れている。耳にこもった熱が、徐々に顔に漏れていく。

「え、うん、いいけど」

 四条くんは恥ずかしそうに目線をそらした。その様子と返答に、私も四条くんを見れなくなる。目が焼けるように熱かった。

「じゃあ、また明日」

 耐えきれなくなって、私は早足で逃げ出した。

 家とは反対方向に来てしまったので、ひとまず駅に戻ることにした。

 道中、もう一つおばあちゃんの話を思い出した。

 おばあちゃんが小さいころの夏祭りは、いろんな食べ物であふれかえっていたらしい。

 豚肉の腸詰め、砕いた氷、鶏の細切れを揚げたもの。それ以外にも、いろいろ。

 それらを食べながら花火を見るのが、夏祭りの醍醐味だったのだとか。それらを食べたくなる気持ちは分からないけど、”美味しい”ものを食べながら見る花火は、今よりずっと、綺麗だったらしい。

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サプリ 時無紅音 @ninnjinn1004

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