放課後トップレディ、誕生! ④

 ――記者会見が終了した後、母は「これからのことについて村上さんと打ち合わせしたいから、先に上に行ってるわね」と言って、エレベーターで重役フロアーである三十四階へ上がっていった。


「――あ、久保さん。司会進行お疲れさまでした!」


 わたしは貢と一緒に、父の葬儀に続いてこの会見の司会を務めてくれた貢の同期に声をかけた。


「会長! お疲れさまです。桐島も。わざわざどうされたんですか?」


「貴方の進行がよかったおかげで、記者会見がスムーズにできました。ありがとうございました。父もよくこうして社員の頑張りをねぎらっていたそうなんで、わたしもそれにならってみたんです」


 仕事に当たり前のことなんてないんだ、と父もよく言っていた。だから頑張った社員はちゃんと評価していたし、ミスをした社員がいたとしても厳しく叱責しっせきせず、必ず挽回ばんかいのチャンスをあげていたそうだ。願わくば、わたしもそうでありたい。


「ああ、そうでしたか。――ところで、どうして広報の人間じゃなくて総務の僕が司会をやってたんだ、って思ったでしょう? 桐島、お前もそう思ったよな?」


「ええ、確かに思いました。桐島さんや母と一緒に『どうしてだろうね』って不思議に思ってたんです。ね、桐島さん?」


「はい。――俺は、が広報から手柄を横取りしたんじゃないかって思ったけど……。違うのか、久保?」


 貢はどうやら、家族や同期、友人など親しい相手には一人称で「おれ」を使うらしい。というか、こちらが彼ののようだ。


「実は、広報にいる同期が今日の司会をやることになってたんですけど、急に体調を崩して休んでしまいましてね。それで『お前、司会は慣れてるだろ? 任せた』って本人から代打を頼まれたんです」


「なるほど。じゃあ、お前が自分からしゃしゃり出てきたわけじゃないんだな?」


「当たり前だろ? いくらオレが目立ちたがりだからって、こんな重要任務を『オレやりま~す!』なんて軽々しく言えるワケないじゃん。……あ、失礼しました」


 彼らはつい同期のノリで話していたけれど、わたしの存在を思い出すと神妙に姿勢を正した。


「なるほど。でも、貴方は確かに司会に向いているとわたしも思います。適材適所だったんじゃないかな。また何か会見をやる時は、久保さんに司会をお願いしてもいいですか?」


「最高のおめの言葉、ありがとうございます! その際はぜひお声がけ下さい!」


 わたしからの高評価に、久保さんは天にも昇るような気持ちだったに違いない。これが彼のやり甲斐に繋がれば、わたしはトップとして嬉しい限りだ。


「――会長、桐島は不器用だけどいいヤツですよ」


「え? うん……、知ってますけど」


「総務ではお人よしすぎて、上司からいいように使われてましたけど。真面目だし、仕事は丁寧だし、思い遣りもあるし。会長の秘書としても、絶対に頼りになると思います。……ですから桐島のこと、よろしくお願いします」


 同期を思う久保さんの熱い言葉に、わたしも胸を打たれた。彼は友人として、新たな道を歩み始めた貢の背中を押そうとしてくれているんだと思った。


「はい。彼のことはわたしにドンと任せて下さい! じゃあ失礼します。桐島さん、行こう」


「ええ。――じゃあ久保、またな」


 わたしも久保さんにペコリと頭を下げて、貢と一緒にエレベーターホールへ向かった。


「――それにしても、久保さんって同期の人の代理だったんだね。それも個人的に頼まれたって」


「ええ、僕も意外でした。課長の手柄じゃなかったなんて。でも後から揉めませんかね? 広報部と総務課」


「うん……。これはもう、部署ごとに仕事を割り振るシステムを変えていかなきゃいけないかなぁ」


 会長として早くも見つかった問題点。この、一人一人が自分に適性のある仕事を任せてもらえないという部署ごとの縦割りシステムは、色々なところで綻びが出ていただろうし、社員もきっと働きにくさを抱えていただろう。


「桐島さんだって、入社前にはこの会社でやってみたいと思った仕事があったでしょ? 総務課に配属されたのは貴方の意志じゃないはずだよね」


 わたしには、彼が最初から総務の仕事をバリバリやりたがっていたとは思えなかった。総務課は縁の下の力持ち、といえば聞こえはいいかもしれないけれど、その仕事内容はほとんど雑用だ。イベントの進行など、時々やり甲斐を感じられる大きな仕事もあるにはあるのだけど。


「はい。入社前には、この会社で大好きなコーヒーに関われる仕事をやってみたいと思ってたんです。マーケティング部とか海外事業部とか、そういう部署に配属されたらいいな、って。ですが、いざ入社してみたら配属先は総務課で正直ガッカリしました。でも一度決められた配属先に異議申し立てはできないじゃないですか。だから、与えられた仕事をこなしていくしかなかったんです」


「なるほど……。バリスタになりたかったんだもんね。じゃあ今は? そっちの方面の仕事にもう未練はないの?」


 もしかしたらわたしと父は、彼の夢を完全に奪ってしまったんじゃないかと良心が痛んだ。


「……未練は、ないこともないですけど。秘書でしたら望んでいた形ではないですが、少しはコーヒーに関わる仕事ができるので、それはそれで僕としては満足です」


「そっか。それならよかった」


 彼はどうしてバリスタになる夢を諦めてしまったのか、なかなかその理由を話そうとしなかったけれど。わたしの秘書になることで、形を変えて夢に一歩近づくことができるならわたしにも喜ばしいことだった。だって彼の喜びは、彼に恋をしているわたしの喜びでもあったから。



   * * * *



 ――会長室は重役専用フロアーである三十四階のいちばん奥にある。この階に他にあるのは社長室と小会議室、そして秘書室と給湯室で、給湯室を除く各部屋に専用の化粧室が完備されている。専務と常務の執務室は一応あるのだけれど、現在は人事部長と秘書室長が兼任しているため使用されていない。


 給湯室は会長室から直接繋がっていて、これは祖父がこのビルを建てた十年前にこういう設計にしてほしいと頼み込んだらしい。


 貢のIDを認証させて初めて入室した会長室は、シンプルながらも異空間のような重厚感があった。

 会長のデスクと秘書のデスクにはデスクトップのPCが完備され、会長のデスクは断熱だんねつ遮光しゃこうペアガラスがはめ込まれた西の窓に背を向ける形で配置されている。あとは大きな本棚やキャビネット、応接スペースにはグリーンのベルベット生地を使用し対面式のソファーセットと木製のローテーブルがあるだけ。なのに、インテリアのひとつひとつに高級感が漂っているのだ。


「――では、僕はコーヒーを入れて参ります。会長はデスクでお待ち下さい。お好みの味などあればおっしゃって下さいね」


「うん、分かった。じゃあミルクとお砂糖たっぷりでお願い」


「かしこまりました」


 貢は専用通路を通って給湯室へ入っていき、わたしは暖房が効いた室内でPCを起動させて待つことにした。自分のIDと、父が設定した〈Ayano0403〉というパスワードでログインし、動画配信サイトを開いた。記者会見がネットでも同時配信されていると聞いたので、どんなコメントが来ているか確かめたかったのだ。


「……おー、けっこう好意的なコメントが多い。――お?」


 コメント欄をスクロールさせていき、ある書き込みに「いいね」が多くついていることにわたしは目をみはった。


「――お待たせしました。……会長、どうかされました?」


 十分ほどで彼はトレーを抱えて戻ってきたけれど、それまでサイトのコメント画面に釘付けになっていたわたしは彼に声をかけられてやっと気がついた。


「あっ、桐島さん、おかえりなさい。ちょっとこれ見てみて!」


 わたしに手招きされて隣でPCの画面を覗き込んだ彼も、「おお!」と歓声を上げた。

 そこに書かれていたコメントがこれだった。



『放課後トップレディ、誕生! 彼女のこれからに期待‼』



「――これって最上の褒め言葉ですよね、会長」


「うん、嬉しいよね。――あ、コーヒーありがとう。いただきます。……わぁ、いいかおり!」


 わたしは会長としての最高のスタートに胸を高鳴らせながら、ピンク色のマグカップに入ったコーヒーの薫りに顔を綻ばせた。

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