放課後トップレディ、誕生! ③

 ――篠沢商事の丸ノ内本社ビルは地上三十四階、地下二階の三十六階建ての超高層ビルだ。

 地下駐車場でクルマを降りたわたしたち三人は、地下一階の出入り口にある入構ゲートを抜けるとエレベーターに乗り込み、記者会見の会場となる二階の大ホールへ向かった。IDカードはエレベーターの中で首から提げた。


「――今日の会見で司会を担当するのは、総務課の久保くぼという男です。憶えていらっしゃいますか? お父さまの社葬の時にも司会進行を務めていたんですが」


「……ああ、何となく憶えてるかも。ちょっと軽い感じの人だよね、確か」


 久保さんという男性のことが記憶に残っていたのは、彼の持つ雰囲気がお葬式という場から少し浮いているように感じていたからだった。それは〝場違い〟という意味ではなくて、見た目が何となくチャラチャラしているように見えたからなのだけれど。


「……う~ん、確かにアイツはちょっとチャラチャラしてますよね。特に妙齢みょうれいの女性に対しての態度が」


 貢のコメントもなかなか辛辣しんらつだった。あの日が初対面だったわたしでさえそう感じたのだから、同僚として総務で一緒に仕事をしていた貢はわたしより久保さんのことをよく知っているはずなので、実感がこもっていた。


「っていうか、司会って広報の人がやるんじゃないんだね」


「確かに、そこは僕も不思議なんですよね。もしかしたら元々は広報の仕事だったのに、総務課長が手柄を横取りしたのかもしれません。あの人ならやりかねない」


 最後に彼は苦々しく吐き捨てた。わたしはその総務課長さんの人となりを彼の話でしか知れなかったけど、きっとものすごく自分勝手で横暴な人なんだろうなと想像がついた。


「まぁ、久保本人に訊いてみないと何とも言えませんけどね。アイツは目立ちたがりなんで、もしかしたら自分から『やりたい』と名乗りを上げたかもしれませんし」


「…………うん、なるほど」


 わたしは貢ほど久保さんのことを知っているわけではないので、曖昧あいまいに頷いておいた。



 そうこうしているうちにエレベーターは二階に到着し、わたしたちはホール正面のドアではなく側面のドアから入った。


「――絢乃会長、加奈子さん。コートとバッグは僕がお預かりしておきます。そして、こちらが会見のスピーチ原稿です」


「ありがとう。……うん、この内容で大丈夫」


「よかった」


 スピーチの内容は大丈夫そうだったけれど、大丈夫ではないことが別にあった。

 ステージ横のカーテン越しにホール内を覗いてみると、新聞社や雑誌社、TV局やニュースサイトの記者と思しきマスコミ関係者が大勢詰めかけ、会見が始まるのを今か今かと待ち構えていた。

 わたしはそれを見た途端に極度の緊張状態に襲われ、制服のスカートの裾をギュッと握りしめることでどうにか落ち着きを取り戻そうとした。


「――絢乃さん? もしかして緊張されてます?」


 わたしの異変に目ざとく気づいた貢が、優しく声をかけてくれた。ここで名前呼びだったのは、彼なりの気遣いだったんだと思う。


「うん……。だって、あのカメラ一台一台の向こう側に何万人、何十万人もの人がいるんだって思ったら……」


 父が倒れたパーティーの夜、大勢の人の前に出る恐怖はある程度克服こくふくできたと思っていたけれど。あの時とはそれこそケタ違いの人数で、緊張感だってあの時の比ではなかった。


「う~ん、なるほど……。僕、こういう時によく効くおまじないを知ってますよ。よろしければお教えしましょうか?」


「……おまじない?」


「はい」と彼は何だか得意げだった。もしかしたら、彼もわたしと同じくあがり症だったのかもしれない。


「子供の頃に、母から教わったベタなおまじないなんですけど。『目の前にいるのは人間じゃなく、カボチャだと思え』だそうです」


「カボチャ……。確かにベタだね」


 わたしは思わず笑ってしまった。昭和の昔からよく知られているベタベタなおまじないを、ボスであるわたしに得意げにレクチャーしてくれるなんて。彼は何ていうか、本当に純粋な人だ。


「ありがと、桐島さん。もう大丈夫! 貴方のおかげで、おまじないなしでもやれそうな気がしてきた」


 彼のおかげで思わぬ形で緊張が解け、勇気が出てきた。これならスピーチだけじゃなく、質疑応答でどんなことを訊かれても胸を張って答えられそうだと思えた。


「そうですか。僕は何も特別なことはしてませんが、お役に立てたようで何よりです」


 あくまで謙虚な彼。でも、わたしは彼のそういうところが好きだ。


『――お集りのメディア関係者のみなさま、お待たせ致しました。ただいまより、篠沢絢乃新会長の就任会見を始めたいと思います』


 演台のマイク越しに、久保さんのよく通る第一声が響いた。――いよいよだ!


「じゃあママ、行こう!」


「ええ」


 一つ深呼吸をして、わたしたち親子は壇上に上がった。わたし一人じゃなく母も一緒に会見に臨んだのは、母が会長の業務を代行することを発表するためだった。わたしの説明だけで伝わらない部分を、母の口から補足説明してもらうことになっていたのだ。


『――本日この場にお集りのメディア関係者のみなさま、TV・ネットワーク上でこの会見をご覧のみなさま、初めまして。わたしが本日付をもちまして篠沢グループの会長に就任致しました篠沢絢乃でございます。これまで亡き父が行ってきたこのグループの舵取りを、まだ高校生のわたしが引き継がせて頂くことになりました』


 貢が作成してくれた原稿どおりに、まずはそこまでを一息に話してから周囲の反応を窺ってみた。……案の定、記者のみなさんはわたしの制服姿にざわついていた。この会見はネットでも同時配信されていたというから、ネット上はもっとざわついていたことだろう。


『わたしの服装については、これからお話します。わたしは父の遺言で後継者として指名された時から決めていたことがあります。それは、高校生活と会長職との二刀流。つまり、学業と職務との両立を遂げるということです。会長に就任するにあたり、わたしが高校を辞めてしまうことを父は決して望んでいないと思います。――父は遺言書と一緒に、この手紙を遺していました。わたし宛ての個人的な遺書です』


 わたしはお守り代わりにブレザーの内ポケットに忍ばせていた封筒を取り出し、中の便箋を広げた。


『ここにはこう書かれています。「お前は会長に就任するからといって、楽しい高校生活まで手放すことはない。決めるのはお前だ。いずれこの地位を重荷に感じる時が来たら、他の人間に譲るのも退任するのもお前の自由だ」と。もちろん最初から退任するつもりで後継を受け入れたわけではありませんが、残り一年余りの高校生活に見切りをつけてまで会長という地位に固執する気もありません。ただ、その選択によって業務がとどこおってしまうようなことはあってはならないとわたしも思っています。そこで、わたしはその打開策を考えました。わたしが学校にいる間、この篠沢家の当主である母に会長の業務を代行してもらうという考えです』


 そこで母が演台の前にやってきて、この考えに自分も納得していること、自分は院政を行うつもりはまったくないということを説明し、再びわたしが今後このグループをどのように運営していきたいかを述べて、会見は質疑応答に移った。

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