第38話 掛ける刃

 昼食を終えた律子が池袋近郊を調べ終えたのは午後3時過ぎ。

 妖気の気配に集中しながらの散策でヘトヘトである。

 結果としては律子が感じた同じ妖気の矛先は博物館の展示品で15世紀の欧州で使われていた呪具から放たれていた。

 概要によれば「装着者が裏切りった場合に輪の内側を妖気で切り裂く」「無理に外そうとしても同様」だという。

 同室の妖気というだけで道具の効果まで同じとは限らないとは言え、仮に同じ効力を持っていたうえで戯れで装着していたらと、律子も恐怖を感じた。


「杉田さんが言うようにコレは本当に危険な代物なのかもしれないわね。だけどそうなるとフォー・カスの人たちも危なくない? みんなお揃いで持っていると言っていたし」


 この場合の仮説は次の通り。


①当該品は呪具の核を転用して作られているが正しくおまもりである。

②小山内たちは当該品を呪具だと知らずに、おまもりと信じて身につけている。

③編集部関係者が揃いで所持しているおまもりという話が嘘であり、編集部が音信不通となった下須フミハルに対して裏切り防止の枷として、当該品を身に着けさせていた。


 当然答えは③。

 しかも枷をかけたのは別の黒い人々というおまけ付きなうえ、フミハルの身柄は札付きの浪人たちに確保されており、真の依頼主は奪われた金づるを律子に捜索させている状態だ。

 報酬に気を取られての安請け合いだったわけだが③でなくとも面倒そうなこの依頼。

 依頼の前提条件を無視して警察を頼るのも一つの手段だが、あえて律子は腹をくくった。

 妖刀事件に関わる以上は腰を深く落とさねばと。


「いや……最悪なのはフォー・カスの人たちが嘘をついているケースね」


 池袋駅を降りた段階では「散策を終えたら買い物でもして行こう」と浮かれていた律子も様変わり。

 小休止の一服を挟んで次の目的地、千束へと向かった。

 携帯端末の設定を確認して不測の事態には銀時へ早急に連絡が取れるように準備。

 カバンから取り出して髪を束ねたカチューシャは端末操作用の思考デバイスである。

 万が一に備えた状態でたどり着いた先はフミハルが住んでいたアパート。

 ポストにフルネームが書かれていたことで律子もそれが一目で判断できた。

 恐る恐るノックしてみると鍵が空いており、扉を開けて様子を伺えば昨日フミハル連れ去られた後に極道者が散らかしたため荒れ狂った状態である。

 事件性を感じた律子は流石に警察案件であろうと電話をつなげようとしたわけだがアパートのドアを開けた段階で既に遅い。


「アニキが言うように釣れやがった」


 元々フミハルの部屋を見張るために極道者が使用していた別室に控えていた狙撃手が長距離から麻酔弾を撃ち込んだからだ。

 殺傷能力は非常に低いが身体の何処かに当たれば気化した睡眠薬によりたちまち眠りにつく旧時代には考えられなかった最先端技術の粋をうけた律子はひとたまりもない。

 撃たれたことにも気づかぬまま膝から崩れ落ちた彼女の姿を確認した狙撃手は別働隊に彼女の回収を命じた。

 彼は相手が自分たちの仲間がフミハル捜索のために雇った探偵だという事を知らない。

 ただこのタイミングでフミハルの部屋に現れる見知らぬ人物など誘拐犯の仲間に決まっているという判断である。

 あるいはフミハルに脅されている女か。

 どちらにせよ眠らせてインタビューsるのが先決という判断だった。

 どちらにしても女が来た以上は尋問に乗じて楽しめる。

 自分以外の連中だって楽しみたいだろう。

 生唾を飲んで律子が運ばれてくるのを彼は待っていた。

 律子に迫る極道者は二人。

 もちろん彼らも野獣のような雄であり、不審者であるかなどどうでもいいと言いたそうなほどに鼻息が荒い。

 意識のない乙女に汚れた指先が触れようとしたその刹那。

 彼は間に合った。


「ーーーーー!」


 驚愕と怒りによる言葉にならない声。

 少年の雄叫びに一瞬手が止まった隙を逆さの刃が闇を切り裂く。

 いわゆる峰打ち。

 それでも手首を砕くのには充分な威力があり、男二人はたちどころの一手に悶絶して律子から離れた。


「ガキが!」


 邪魔者を女の仲間だと判断した狙撃手は彼を狙うわけだが、間合いの外からの一方的な狙撃で気づかれる理由もないと思っていたソレを彼は弾く。

 いくら鉛玉と比べれば遅いとはいえ獲物は小さな弾丸。

 仮に刀で打ち付けたところで拡散した睡眠薬が周囲に巻き散らかされて少年も眠らせるだけのハズ。

 だが実際に麻酔弾を弾いたのは刀身ではなく剣気による衝撃波。

 感知したさっきに向けてのカウンターが麻酔弾を空中で爆ぜさせていた。


「この距離なら行ける」


 妖刀の事など疎い立場では不可解としか言えない現象に狙撃を阻まれたことで困惑する狙撃手が次弾を準備するまでの数秒間。

 殺気の根本をたどった少年は彼の視界から姿を消していた。

 一瞬の見落としで見失った狙撃手は焦って周囲を見渡すわけだが、約20メートル先にあるアパート近辺には見当たらない。

 狙撃を迎撃した以上は次に備えて隠れているのか。

 ならば姿を見せた時が最後だ。

 そう考えていた彼のスコープを真下の死角から飛び上がってきた少年の刀が切り落とした。


「なっ⁉」


 壁伝いに登ってくるにしても5階建てビルの屋上であり狙撃手からすれば想定外。

 だが訓練された士の跳躍力はこれを可能にしていた。

 少年もぶっつけ本番であり「理屈の上では出来る」と思いつつも「実際に出来た」のは気持ちの問題が大きい。

 律子が傷つけられた怒りは彼を爆発させていた。

 狙撃手も壊れたスコープから目を離して短くなった銃身を向けようとするが、腹ばいの状態では立った相手に有利は難い。

 背後を取られた彼の首には少年の刃が突き立てられていた。


「律子さんに何をした!」


 少年は怒鳴る。


「そ……そっちこそ何が目的だ」


 対する狙撃手は震えた声で質問に質問で返す。


「……ま、麻酔弾だよ。当たっても死にはしないタイプの。だから落ち着いてくれ」


 だが首筋に薄っすらと刺さる切っ先の痛みに降参した狙撃手は謝るように答えた。


「ふー」


 ひとまず律子は眠っているだけだと言う話に少年は安堵するが、だったら今度は何故撃ったのかが新たな疑問。

 深呼吸してから質問を続ける。


「どうしてそんな事をしたんですか?」

「下須の部屋を物色しようとしていたからだ。アイツが部屋になにかを隠したとでも吐いたから取りに来たんだろう? アンタらは」

「違う」


 狙撃手の言葉から察するに律子が探している下須フミハルが失踪ではなく誘拐されたのは少年にもわかる。

 そして彼らは不用意にフミハルの部屋に入ろうとした律子をその犯人の仲間だと判断したことも。

 麻酔銃というのは正規の手続きにおいては士の持ち歩く刀よりも手順が面倒なシロモノ。

 そんなモノを躊躇なく人間に使う時点でこの狙撃手がカタギではないのは少年の目にも明らかだった。


「あなたたちと下須フミハルの関係なんて僕らには図りかねますが、もし律子さんに手がかりとして預けた呪具であの人に何かをする気だったのなら……あなたたちを許すことは出来ません!」

(呪具……もしかして魔弾が下須に持たせていたっていうミサンガのことか?

 たしかフォー・カスの連中を通してその手の道具を辿れる探偵を雇って資料として同じモノを貸したとは聞いていたが、コイツらがソウだってのか。

 兄貴は「ヘタを売ったらミサンガを付けて売り飛ばせ」とは言っていたがとんでもねえ。女はまだしもこのガキは覚悟のキマり具合を含めたら魔弾よりも上だ。少なくとも俺にはどうにも出来ねええ)


 一方で狙撃手は極道者でありながら少年の気迫に屈していた。

 この男は雇っている浪人──魔弾のピノキオに対しても臆していなかった。

 自分の間合いならば負けないという銃の腕前に対しての自負もあるし、なによりピノキオが虚勢で生きるホラ吹きであると本能的に感じ取っていたのだろう。

 そんな士顔負けの極道者も青い春に生きる若人には屈してしまった。


「わかったよ。本当に何もしていねえ。むしろお前さんらと目的は同じだよ。だからその刀を退けてくれ。危なくて仕方がねえ」


 降参した狙撃手は自分たちが極道者であること、下須がフリーライターという職業の裏で女性たちを脅迫していたこと、そして自分たちと組んで脅した女性を夜鷹に追い落としていたことをすべて白状してしまう。

 そこまで言う必要があるかと他人は言うであろうが、一切合切を言わなければこの少年は躊躇なく首を切り落とすと彼は直感していた。

 少年も人の子。

 いくら士であっても人殺しに嫌悪感を持っているわけだが、この日の少年の精神状態を加味した判断として彼は正解である。

 少年は狙撃手を含めたこの場の極道者たちを捕縛するとネムリ続ける律子を抱えて事務所に戻る。

 後始末を管轄の警察署に任せたため自ずと極道者たちは逮捕されることとなった。


「これでよし」


 事務所までは警察署のパトカーに送ってもらった少年は、ベッドに寝かした彼女に薬を飲ませる。

 この薬は一度眠れば容易に覚醒しない麻酔薬の効力を打ち消す拮抗薬。

 狙撃手からしっかりと引き渡させていたモノである。


「ん……」


 投与すれば早速であろう。

 麻酔の効果が切れた律子は寝起きで混濁した意識の中で少年を見る。

 誰かに後ろから攻撃されて意識を失った自分の前にはこの場にいないはずの彼。

 まだ夢の中かと困惑する律子に夢ではないと教えるように少年は呼びかけた。


「良かった。目が覚めたんですね」

「は……ハジメくん?」

「麻酔で眠らされていたのでまだぼーっとしているでしょうけれど、もう大丈夫です」

「ん……なんでハジメくんが居るの。もしかして土曜日まで寝てた?」

「そんなことありませんって。杉田さんから連絡を受けて学校を早退して駆けつけました。お陰で律子さんを助けられたので良かったです」

「そ……そうだったんだ。杉田さんにも警告されていたのに先走ってゴメン」

「気にしないでください」

「気にするわよ。学校サボらせちゃったし」


 少年の正体はここまで隠す意味もないほど紛うことなく甫。

 出会って一週間に満たない関係とはいえ、昨日一日会えなかっただけで律子のことが気になって仕方がなくなっていた彼からすれば「律子に会いに行ける大義名分が出来て好都合」とさえ思うほど。

 だがそれはあくまで取越苦労に終わってくれればこそ。

 ギリギリで助けられたとは言え有事は起きてしまったのだから気が気でないという意味では律子にも注意をしてほしかった。


「だったらこれだけは約束してください。今回みたいに危険な兆候があった場合は気にせず僕を呼び出してください」

「わかった」


 差し出した甫の手を律子が握るのは指切りげんまんのようなもの。

 律子は初めての失敗を胸に刻み、甫は律子との約束自体に胸の奥を熱くしていた。

 その後、甫が実家に帰ったのは翌日水曜日のこと。

 授業の欠席は1日半だが、この程度なら風邪を引いて寝込んだ程度の影響だろう。

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