第30話 ハプニング

 喫茶店で気を失った甫はそのまましばらく目を覚ますことなく、半端に帰宅させるのは危険という判断からそのまま寝室に運ばれていた。


「初めての大仕事で余程疲れたのね」


 そう律子が心配するのも無理はない。

 今回、兎小屋の浪人と戦った剣士たちの中には負傷者も散見している。

 外傷のない甫は他者からすれば元気が有り余っていると言われかねない。

 そうは言っても甫はまだ15歳。

 戦いによる肉体的疲労よりも事後作業による精神的疲労がキツいお年頃である。


「もうこんな時間だし先にお風呂に入っちゃおうかな」


 抱き抱えられての移動中にも起きない少年を寝かせたまま先に就寝準備を始める律子。

 鼻歌交じりで衣服を脱いでいる頃、少年は残り香に誘われていた。


「──律子さん──」


 本人的には嬉し恥ずかしいスキンシップな訳だが全て夢。

 キスは当然として思春期の男子が夢見るアレコレに寝ながらにして腰を抜かしてしまうほどだった。

 しばらくして夢から目覚めた甫は状況に困惑するも寝ぼけた頭で風呂場に向かう。

 早く身体を綺麗にしなければと感じる要因が彼にはあったのだが彼は知らない。

 風呂場には律子が居ることを。


「ひーと♪のー♪♪♪」


 律子は泡立てたボディソープを纏わせて鼻歌交じりで身体を洗っている。

 中の電気も点いていたし歌声も漏れていたのだから気づかないほうが不注意極まりない。

 だが脱衣所で衣服を脱いだ甫は下着の処理をしてから風呂場の戸を開けてしまう。

 そして湯気と泡で朧げなうえ背中だけだが律子の裸を覗いてしまった。

 物理的にはモヤがかかっているハズなのに夢よりも鮮明な姿。

 その刺激に目が冷めた甫は慌てて戸を閉じた。


「ご、ごめんなさい」


 一方の律子は戸を開けられた時点で背後に誰かが居ることに気付き、更にこの家にいるのは自分と甫だけという理由から、今のは寝起きの甫がうっかり戸を開けたのだと察していた。

 流石に中に入られたのなら別だが、すぐに出ていくのは悪気のない証拠。

 そのため叱る気もなし。


「別に良いわよ、今日はお疲れのようだし。だけどしばらく居間で待っていてね。なるべく早く出るから」

「僕のことは気にせず、ゆっくり入ってください。律子さんだってお疲れでしょうし」


 律子は既に洗髪は済ませてあり、あとは泡を流せば洗い終わる段階。

 湯船に浸かるのは後回しにして二度風呂でも構わないため「早く出る」と答えた。

 それに対して目が覚めるような刺激に悶々とした甫としては少し一人の時間が欲しい。

 そこでゆっくりしていてくれと押し切って、そのまま脱衣所を後にした。

 元より汚れを落とせればよかったので風呂である必要性はなし。

 台所の水場でもやりようがあるし、なにより気持ちを落ち着かせることが甫の新しい優先事項となっていた。


「遠慮しなくてもいいのに」


 泡を流した律子はお言葉に甘えて湯船に浸かる。

 一方で甫は一心地をつけてようやくもう夜遅いことに気がづいた。

 端末を確認すると既に根回し済ということだろう。

 明日の朝に駅まで迎えに行くと母からのメッセージが入っていた。

 思いがけずに追加されたもう一泊とハプニング。

 あの光景を甫が忘れる日が来るのは、だいぶ先の話になるだろう。

 しばらくは忘れる暇もないほどに脳内再生するであろうから。

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