第26話 萌芽
乱心事件被害者の鎮圧と犯人を取り逃したものの大臣暗殺を阻止したことで現場の緊張は次第に解けていく。
刻を同じくして各所に出没していた浪人たちも敗走し、結果だけで言えば士以外の被害者は数人の軽症者を出すだけに留まっていた。
これまでの乱心事件と比較すれば上出来の対応だろう。
安全を確保し終えたことで大臣はSPを連れて立ち去っていき残された警察官や士たちは事後処理に追われているうちに日が暮れていく。
律子たちが開放されたのは夕方の6時手前だった。
「お疲れ様。それに今回は役に立たなくてゴメンね」
事務所への帰還後、秘窟に誘った律子は甫を労う。
彼女が言うように今回は剣を振るった甫の活躍が大きかった反面で頭脳担当の律子は何もできていなかった。
大臣暗殺が目的だった浪人──通称ドクターリヒターはまだしも乱心した少女の方は律子を狙ったかもしれない。
そのとき銀時は彼女を護ったのか。
足手まといどころか殺されていた可能性すらあった事を律子は気にしていた。
「逆ですよ」
そんな彼女に甫は答える。
「律子さんがあの場に居たから僕は頑張れたんです」
「そうなの?」
「操られた娘が暴れているとき、僕は律子さんの安全ばかり考えていました。おかげで昨日のような躊躇いう暇も無かったですよ」
厳密には律子に良い格好を見せて異性として意識してほしいという功名心も何割かあったが思春期の恥じらいで皆までは言わない。
甫自身が口にした通り、今日の彼のパフォーマンスは律子が居たからこそなのは疑いようもなかった。
少年の告白にフフフと小さく笑みを浮かべた律子は体を寄せる。
少し汗の匂いがするのか熱気のようなモノを感じる甫には少し刺激が強い。
「心配してくれるのは嬉しいけれど……もっと割り当てられた仕事に集中しないとダメよ」
トンと差し出したのは注文したコーヒの付け合せだったお茶請けの菓子。
自分の分を少年に差し出すだけなのはだいぶ小さな恩赦だが、その前の無自覚だけで彼には充分と言える。
「来てもらったばかりでいきなりの大活躍だったし、本当だったらボーナスの一つもあげないとダメなんだけれどね。今はそれで我慢してくれないかな」
「せっかく律子さんが注文したモノなのに悪いですって。僕の分はちゃんとありますし」
「硬いこと言わないでって。ここの豆菓子はそこいらのとは格が違うんだから。騙されたと思って、さあさあ」
遠慮する甫に詰め寄る律子は胸が当っていた。
彼女としては出会って3日ですっかり打ち解けていてさながら友人に対してのソレである。
だが名探偵の不手際は相手が思春期の少年というところ。
若干背が低いのもあり律子は失念しているが彼は高校生。
しかも既に自分に気があるのだからこうもなろう。
「だだだ──」
顔を赤らめた甫は頬の赤面と緩み具合による緊張と恥ずかしさにのぼせてしまった。
「急に変な声を出して、大丈夫?」
甫も思っていた以上に緊張やらあれこれで疲れていたのだろう。
立ち眩みめいてそのまま気を失った少年は夢の中という桃源郷に旅立ってしまった。
ひとまず大事ないことを確認した律子はコーヒを啜りながらソファーに寝かされた甫を見る。
彼の気が緩んだ姿は年齢相応どころか年齢よりも幼いくらいなわけだが3日間の大立ち回りを通してか律子も少年の中の雄を本能的に感じていた。
もしかしたら珠玉の肉体を少年に重ねたのはそんな無意識がイタズラしたのかもしれない。
甫が出会ってすぐの律子に対して異性としての意識を向けていたのに比べるとゆっくりとした歩み寄り。
だが、まだまだ若い二人の恋路にはこれくらいの速度が丁度いいのかもしれない。
(変にドキドキしている)
甫の寝顔を見ているうちに不意に豊満な乳房の上から胸に手を当てた律子は心臓の高鳴りを感じ取る。
このビートが彼女なりの恋心だと気づくには彼女はまだ異性というモノを知らなかった。
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