第26話 お仕事は後始末が肝要(後編)

「……雪ちゃんは、どうなったのでしょうか?」

「医者としては、回復途中の患者にあまり刺激を与えるようなことはしたくないのですが」


 桂夏はじっと私を見つめた後、諦めたように小さく肩を竦めた。


「ですが、やっぱり君は知らないと気が済まない、そういう顔をしていますね。本当に知りたいですか?」


 桂夏の問いに、彼の瞳を真っ直ぐ見返して私は頷いた。

 桂夏が語った続きはこうだ。私を攫った馬車に同乗していた四人の男達は全員死んだ。三人は現場で切り捨てられ、残りの一人も尋問中に自害したらしい。

 雪と早は今朝早く、王都城下外れの河原で溺死体となって発見された。彼等はお互いの片手片足をそれぞれ二人三脚のように赤い紐で結びつけた姿で河原に打ち上げられていた。どこからどう見ても、心中した恋人同士にしか見えなかったという──。


「そんな……」


 混乱して言葉がでてこない。私の中で暴力的な何かが渦を巻く。縋りつくように掛布の端を力一杯握り締めたが、今にも沸騰しそうな頭はぐらぐらと酷い目眩をおこした。そんな私の状態を知ってか知らずか、桂夏は変わらぬ穏やかな声で淡々と続ける。


「聞きたいことも、言いたいことも色々とあるでしょう。しかしこの件は、下女の拐かし未遂と無理心中という、二つの事件として処理されることになります。君の拐かし未遂の方は、自害した最後の一人が尋問中に、君に邪な思いを抱いていたと、そういう趣旨の自白をしているそうです。痴情のもつれから思い余ってと、そういうことになるでしょう」

「まさか……」


 私は頭を抱えた。殺されようとした最後まで顔も見なかった男だ。一体に何をどうしたら痴情が発生するというのか。雪と早が心中だって? そんな馬鹿な! 二人は絶対にそんな関係ではなかったはずだ。彼らが共謀して私を拐かそうとしたはずなのに、別の事件として処理される? 私は混乱しすぎて頭が痛くなった。


「捜査は司法院調伺局が引き継ぎます」


 桂夏がじっと私の様子を伺っているのが気配でわかる。私は一体どんな顔をしているだろうか。相手の意向を推し量ることも、事情の裏を推測することも、自分の見かけを繕うことも、何もできない。ただ頭を抱えて、混沌の嵐に押し流されないように必死にうずくまっているのが精一杯だ。そんな私をどう思っているのか、桂夏は変わらぬ静かな声で話し続ける。


「引き継ぎますが、捜査はおそらく自然消滅になるでしょう。澪君にとっては大変なことだったと思いますが、君は下女ですし、少なくとも役持ち以上の被害者でないと調伺局は本腰を入れてはくれません。彼らにも人員が限られるという事情がありますから。雪、というのは君の友人だったのでしょう? このような結果になったのは非常に残念ですし、澪君も大きな衝撃を受けているでしょう。しかし心中事件は……時々あることです。人の心というものは、たとえどれほど身近な人であっても、時に他人には決して理解できない深淵を抱えているものです」


 桂夏の言葉が右から左に抜けてゆく。


「それに、これはあくまでもの意見ですが」


 桂夏の噛んで含めるような物言いに、私はのろのろと視線を向けた。


「この件は、これ以上深入りはしない方がいいでしょう。色々と思うところもあって心中複雑でしょうが、不運な事故だったと、そう思って忘れた方がいい。特にこういう痴情のもつれが絡みそうな案件は、下手に騒ぐと痛くもない腹を探られてあっという間に風評の餌食になります。そうなっては君の評判に関わる。王城は広いようでいて実は非常に狭い世界ですから、評判は非常に重要です。今後のことを考えても、この件はこのままそっとしておいて、忘れられるのを待つのがいい。それに西門の入場記録の件といい、色々と大きな力が働いている可能性もある。下手に深入りすると逆に──、聞いていますか澪君?」


 私はゆっくりと頷いた。悲しいとか怒っているとかそういうことではなく、何か一言でも口からでたら必死に押し込めている感情が溢れだし、泣きだしてしまいそうだ。


「実際、あのような目にあって、君はちょっと驚くほどの軽傷です。自分が助かったことを幸運と感謝して、自分の体を一番大事に考えなさい」

「でも……でも……、それでは助けてくださった方々に、申し訳が……」

「大丈夫です、彼らもその辺りの事情は察しています。あくまでも個人的な、良心に依拠した助太刀だったといってくれています」

「個人的、な……?」

「友人、知人として当然のことをしたと、そういうことです」

「友人、知人……」


 私は呆然と桂夏の言葉を繰り返した。


「それよりも」


 桂夏は軽く咳払いすると、がらりと語調を改めた。私の背中がぴりりと引き締まる。


「澪君、君は今後のことを考えなければなりませんよ」


 私は握り締めていた掛布を離て顔をあげた。私の頭はまだ混乱したままだ。様々な事が同時に起こりすぎて完全に私の処理能力を超えている。しばらくどころか一生考えても腑に落ちるような結果を得られないだろう。一生付き合っていくべき、そういう問題だ。

 私はなけなしの理性を振り絞って必死に思考を切り替えると、のろのろと起き上がって寝台の上に正座した。そして敷布に揃えて両手をつき深々と頭をさげる。

 少しの間、雪の件は棚上げだ。これからいくらでも考える時間はある。そしてその考える時間を得るためにも、私はもう一つのことに向き合わなければならない。自分がしでかしたことに、きちんと落とし前をつける時がきたのだ。 


「この度は大変なご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございませんでした。勘違いからとはいえ、下女が侍従の真似事をするなど決して許されないこと。弁解のしようもございません」

「海星君から話は聞いています。それに先生からも。そのことで今夜、人事院と君の処遇について相談します。本来は昨夕その話し合いをする予定でしたが、君があんな事件に巻き込まれてしまいましたから。今夜に延期されました。まだ体が辛いでしょうが、今後に備えて早めに対処する必要がある問題です。重要な打ち合わせですから、澪君も必ず同席するように」

「畏まりました」


 私は寝台の上で再び深々と頭をさげた。

 その後、司法院調伺局の局員が医薬院に訪ねてきて、私も昨夜の事件に関する事情聴取された。しかし書類を整えるためだけのごく事務的なものだった。そしてそれ以降、この件に関して、誰からも一切の音沙汰はない。

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