第7話 お仕事は議事録から
かくして今日の朝議は始まった。時刻は二の刻半、日本で言えば朝の八時頃。爽やかな朝日の差し込む雅な部屋の中で、二重に組まれた長方形の会議机に八人の院長とお供の者達がずらりと並んでいる。どうやら二名の院長は欠席らしい。
八人が院長だと分かったのは、白蓮様や先ほどの弦邑様と同様に内側の机に座っているからだ。それに漂う雰囲気や眼光が明らかに只者ではない。各院長の年齢は白蓮様や
そんな中に子供が一人。私である。十代の、それも決して発育が良いとはいえない少女。少年侍従の衣装を着るとさらに幼く、誰がどう見ても間違って迷い込んできた子供にしか見えない。場違い感が半端ないのだ。事実、白蓮様と弦邑様以外の全ての人が、白蓮様の後ろに隠れるように座った私を二度見している。そりゃそうでしょうよ。誰よりも一番場違いに感じてるのはこの私自身なんだから。
好奇と驚愕の視線に晒されて冷や汗の止まらない私は、白蓮様の後ろの席でとにかく小さくなる。今からでも遅くない。私は腹のあたりで拳を握ると気合を入れた。とにかく何でもいいから理由をつけて一刻も早くこの場から逃げだすのだ。そう私が意を決してわずかに腰を浮かせた時、白蓮様の向かいに座る人物が、ぱしりと鋭い音を立てて手にした扇を閉じた。同時に室内が一瞬で静まり返る。
うううっ、こ、これは……この空気はマズい。私は浮かせかけた腰を慌てて椅子に戻す。とても席を立てるような雰囲気ではない。むしろ今立ち上がったら、一瞬でこれまで以上の注目を集めることになるだろう。仕方ない、この朝議とやらが終わるまでなんとかやり過ごすしかない。そして終わったら速攻で白蓮様に事情を説明して元の仕事に戻るのだ。すでに戻る予定の時間を大幅に超過している私は、迷惑をかけまくっているに違いない雪に心の中で謝りまくる。
雪ちゃん、ご、ごめん……本当にごめん……。
「おや、
白蓮様の向かいに座る男性が二つの空席に視線を向けた。先程、扇の一閃で室内を静まり返らせた人物である。肩口で切りそろえられた真っ直ぐの髪はさらさらの濃い紫色。切れ長の瞳も同色だ。涼やかで恐ろしく上品な雰囲気の男性だった。しかし表情の変わらない淡々した話し方は非常に冷たい印象を与える。
年は白蓮様よりも更に数歳若いだろうか。それでも周囲の様子からは、男性がこの場に居並ぶ各院長の中でも、さらに一目置かれる存在であることがひしひしと伝わってくる。
「
外側の席に腰掛けた三人の中で、最も年嵩の一人が手巾で額の汗を拭いながら返答する。外商院の副院長なのだろう。
「自由な気風は外商院の御家柄ですか。こうも連日欠席なさるとは、さすが平民出の院長殿は仕事熱心でいらっしゃる」
空席の隣に座った男性が扇で口元を隠しこれみよがしな声で独り言のように呟く。ひええ、こういうの朝からはやめてほしい……。というかあの紫色の髪の方、とても若く見えるけど行政院長様なんだ。外商院の副院長は申し訳ございませんと再度、丁寧に謝ってその場を無難に収めた。
「本日は、土木院も副院長の私が代席させていただきます。院長は昨夜から新しい離宮の設計のため製図室に籠られておりまして。着想の神がご降臨されている間は出席は難しいかと存じます」
着想の……神? なんだそれ。一体どんな芸術家よ。
「ふむ、降臨されていますか。ならばいたしかたないですね」
え? それはしかたないで済んじゃうの……? 基準が全然分からないんですけれど!? しかし周囲も土木院長の不在理由に特に疑問を抱いている様子はない。むしろ好意的な感じでそれぞれ頷いている。
「新しい離宮のお目見えを楽しみにいたしましょう。外商院は代理出席を認めますが、長期の不在でも院長との連携は密にしておくように。では本日の朝議をはじめます」
白蓮様の向かいの男性は外商院に一言釘を刺すと、すぐに話を切り替えて淡々とした口調で会議の開始を告げた。再び扇を開いた時にちらりとこちらの方を見た気がする。が、気のせいだと思いたい。私は必死に下を向いてその視線には気づかなかった振りをした。
「では、昨日の夕議から連絡事項をお伝えいたします」
行政院長の隣に控えていた副官と思しき人物がてきぱきと連絡事項を話しはじめた。
そしていざはじまってみるとこの朝議。私にとってはかなり馴染み深いものだった。この半年ですっかり下女生活に適応してしまっていたが、前の世界での私はそこそこの大企業に勤める勤続十三年のサラリーマン。朝議はそのころに散々参加していた、朝の連絡会議とか週一の定例会とかに酷似している。
前の世界にいた時は、毎日毎回会議室に沢山の人々が集まって長々と連絡事項を報告するだけの会議なんて、これほど非効率的はことはないと思っていた。WEB会議やメール連絡だけでいいのにと何度文句を言ったか分からない。
しかしこの世界、つまりスマホもパソコンも存在しない伝達手段の非常に限られた世界では、直接人が集まって行う連絡会議は実に理にかなっていた。当然、コピー機なんて便利なものもないから資料配布も簡単にはできない。最も素早く正確な情報伝達方法は、対面で直接口頭説明することなのだ。
あれはそういう時代の名残だったのかぁ。おじさんたちの娯楽ではなかったのね。私は一人で妙な感慨に耽る。そうして自分の仕事ではない、場違いだなどと散々文句を言いながらも、実は私はすでに朝議の基本的な流れは把握していた。今朝、白蓮様の執務室で散々書類整理をした際に過去の議事録の整理もしたし、直近のものと前年同月の近しい日付の朝議の議事録を探して持ってきたからだ。
ううっ、この矛盾した私の行動。しかしどんな会議でも下調べと事前準備を欠かさないのは、十三年間のサラリーマン生活で私の骨身に沁みた習慣だ。かつて新人だったころ、その基本を疎かにして大失敗をやらかしたことがある。以来約十年、私はどんなに小さな会議でもこの習慣を欠かさない。準備にかかった多少の労力が無駄になることなど、あの失敗をもう一度することを考えたら安いものだ。そしてどんなに不本意であろうとも、引き受けたからには中途半端にしておけないのも、また私の難儀な性分──。理不尽な扱いにすっかり慣れてしまった自分が悲しい。
私は白蓮様の後ろで小さくなりながら手元の資料をめくる。過去の議事録によれば朝議の流れは毎回ほぼ同じだ。まずはじめに
あ、もしかして白蓮様の向かいの方、
しまった! 私も白蓮様に控えを頼まれていたんだった。しかも今朝の白蓮様のお供は私一人。この世界じゃ後で写真撮らせてとか、コピーさせてとかもできないよ! な、なんて不便なの!!
私は慌てて筆をとる。通信技術はもちろん筆記用具一つとっても前の世界とは違う。この世界の筆記用具のスタンダードは筆だ。机にはあらかじめ紙と墨液の並々と満たされた硯が用意されている。私は急いで持参した筆を取り出すと、穂先を墨液に浸し勢いよく議事録をとりはじめた。
ところで故あって私の趣味は渋い。幼い頃に色々あり祖母に女手一つで育ててもらったからだ。もう亡くなってしまったけれど、祖母はかつて芸者をしていたという粋な人だった。芸事の嗜みはもちろん、趣味人で数寄者だったから、その影響を受けて私も色々と習い事に通っていた。
しかしピアノやバレエなどというハイカラなものには縁遠い。祖母の趣味が基本になっているから、とにかく私の習い事も渋い。書道もその一つだった。だから突然の筆生活になっても私はそれほど慌ててはいないのである。
──いない、つもりだったのだけど。私は己の筆跡を睨む。現代の書道はあくまでも観賞用であって、生活の道具ではなかった……。筆書で議事録をとりながら私はその現実を突きつけられる。筆で議事録、やってみると分かるが、これまさに鬼畜の所業。
そもそも現代の書道は絵画に近い。日常的に使用するものとは考えられていないから、所作や見た目の美しさが追求され効率性は重視されていない。私が四苦八苦しながら筆書で議事録をとる間に朝議はどんどん進んでゆく。夕議の内容共有が終わって各院からの連絡事項に移り、さらに懸案中の議題に関する話し合いがはじまる。私は必死に筆を動かした。
まず
この国では毎年二回、夏至と冬至の日に季節の移り変わりを祝う大規模な祭礼が行われる。簡単に言うとお盆と年末のようなものだ。民の休暇時期ともなっており、国全体がお祭りムードに包まれる。祭礼の前後は街でも城でも様々な催し物があるらしい。
そして案の定、毎年この時期は酔って騒いでの喧嘩、事故、急病、騒ぎの隙をねらった各種の犯罪など、ありとあらゆるトラブルが発生するようだ。そのため主幹である宮内院祭礼局を中心に、数ヶ月前から各院連携しての体制整備が進められている。現在その準備が佳境を迎えてるようだ。細かな連絡事項にさらに細かく鋭い質問が飛び交い、どの院もかなり神経質になっている。
次に
終始にこやかに会場を見回しながら話す行政院の副長に対し、どの院長も微妙に視線を逸らし気味だ。なるほど、考えただけでも身分の高い他国の遊学者を受け入れるのは相当な面倒事に違いない。
他には
その後、各院からの質疑応答があり、最後の質問が終わったのは三の刻半に近い時刻だった。およそ二時間のみっちりと内容の詰まった会議である。
慣れない用語を必死に聞き取りつつ、これまた慣れない筆で議事録をとり続けていた私は、緊張と集中でほとんど今日一日分のエネルギーをぼ使い果たしてしまった。朝議が終わると同時にすらりと立ち上がった白蓮様は、脱力して机に突っ伏した私と書き散らかした議事録を一瞥して身を翻す。
「寝るな。すぐに出る」
「はひ……」
私は急いで机の上のものをかき集めると、すでに扉近くまで移動した白蓮様を追いかける。次の外商院おの打合せまで時間がない。市井の組合との対外交渉も多い外商院は西門の近くに部署を構えているから、王城の中心に近いここからは最も遠いのだ。マラソン覚悟で白蓮様の後ろに飛びだすと私は急に足をとめた彼の背中に突っ込んだ。
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