第40話・断ち切るべきもの

 陛下は寝間着から着替えられたら、集めた衛兵を連れ立って、クラークスの自室に立ち入った。


「父上、お目覚めになられたのですか?」


 クラークスはまず、床についていたはずの国王陛下が立ち歩いていることに驚き、それからすぐ陛下の後ろに連なる兵に気づいて、スッと目を細めた。


「おや、父上。どうかされたのですか、どこかの国にご出陣ですか?」

「クラークス。お前に確認せねばならんことがある。大人しくついてきてもらおうか」

「確認……? 今ここで聞くのではダメなのですか?」


「……クラークス様……」


 衛兵たちの後ろに控えているカメリアが、彼らの背の隙間からクラークスを見つけたらしい。小さな声だったが、わずかに弾んだその声をクラークスの耳は拾ったらしい。片眉がぴくりと動く。


「――『聖女』を監禁し、隠してきたのだろう。他にも余罪がある疑いがある。全てを明らかにするまで、お前には牢にいてもらう」

「……なるほど。そういうことですか」


 くす、とクラークスは笑う。


「僕が『聖女』を隠していたのではとお疑いなのですか。聖女はコルネリア嬢ではなかったのですか?」


「彼女は本物の聖女ではなかった、荒れ果てた国を憂い、本物に代わって聖女の勤めを果たしていてくれたに過ぎなかった。私はたった今、本物の聖女、カメリアの手によって生死の淵から救われたのだ」

「……なんと……。コルネリア嬢が、偽者の聖女だったなんて……」


 白々しくクラークスは私を見て、「信じられない」と頭を振る。


「それで。その少女が本物だというのですね? あの状態の父上をこうも回復させるとは。そのような奇跡、たしかに『聖女』というのに間違いはなさそうですね」


 クラークスはニッコリとカメリアに対して笑いかける。


「それは理解いたしました。……しかし、それで、どうして僕が疑われているのでしょう?」

「この娘は、お前の命令でずっとロバーツ家の使用人としてあの屋敷に住んでいたようだな。それも、足が悪いと偽って、外には出さないように言いつけて……」

「ロバーツ家……。僕がロザリーの婚約者だから疑われている、と?」

「いいや、この娘自身が『クラークスのおかげでロバーツ家にいられるようにしてもらった』と話していた」

「……そうですか……」


 口元に手をやりながら、クラークスは眉根を寄せた。


(困った風な顔してるけど、全然本心でもそんなこと思ってなさそう)


 しばらくクラークスは考え込む仕草を見せ、それから静かに口を開く。


「それは少し、おかしな話しではないですか?」


 クラークスは眉を下げながら、そっと私たちに目線をやる。


「その話、僕にメリットがない。『聖女』の存在を隠すことで得られるメリット……。むしろ……ジュードと『偽者』だったコルネリア嬢だったら得する話だと思いますがね」

「……なにを仰るのですか、兄上」


 ジュードは低い声を出し、クラークスを睨んだ。


「父上の元に『聖女』を連れてきたのはこの二人でしょう? 狂言なのでは? この『聖女』をずっと国中から隠してきたのは――ジュードとコルネリア嬢、だったのでは」


「なにを……!」


 憤るジュードを片手で制し、陛下はクラークスを指差す。


「だが、この少女は、自らの口でお前の名を言ったのだぞ」

「ジュードたちに言わされたのでは?」


 クラークスは淡々と言ってのける。


 そして、カメリアに目をやると、ニコリと微笑んだ。


「……ねえ、お嬢さん。僕たち、初対面だよね?」


「え……」


「君からも言ってくれないかな……。僕と君は関係ない、って。君はジュードとコルネリアに騙されていた、そうだよね?」


 カメリアの顔から血の気が引く。


 クラークスは穏やかな顔と声でカメリアに語りかけているけど、これは『命令』だ。自分を信望している少女に対して、あまりにも残酷な。


「そんな言い訳まかり通るわけがないだろ! カメリアは、お前の婚約者のロザリーの屋敷でずっとお針子見習いしてたんだぞ!」

「……そうなんだ。それは知らなかったな、ロバーツ邸では同じような子はたくさんいるしね」


 ジュードはクラークスに怒鳴る。けど、クラークスは困った顔でとぼけるばかりだった。


「……クラークス、様……」


 呆然とカメリアは呟く。


 絶望。そう表現しても差し支えない表情をしていた。


「あたしは……あなたの……特別、じゃなかったんですか? ず、ずっとずっと、守ってくれるって、言ってたのに……?」

「……子ども達にはみんなにそう言っているんだ。君にもそう言ったかもしれないね」


「……あ、ああ……」


 カメリアは何度も口をパクパクとして「クラークス様」「あたしは」と繰り返して、何かを言いたげにして、でも言葉にならず、次第に代わりに大きな瞳から涙をこぼした。


「……クラークス様、やだ、やだ、見捨てないで、ごめんなさい、あたし、なにかわるいことした? 失敗した? ごめんなさい、もう一度するから、捨てないで。うまくやる、次はうまくするから。だから」

「カメリア……」


 カメリアは自身の身を守るように両腕を頭に掲げながら、クラークスに懇願し始めた。

 私はとっさにカメリアを強く抱きしめた。カメリアは私を見ていなくて、ずっとクラークスを見つめて泣き続けていた。


 クラークスはカメリアの哀哭を目の前にしながら、平然ときょとんとしている。


「……最低よ、あなた。本当に」


 もうほとんど無意識に口からついて出た。


 ……こんなふうになりながら、すがりつかないといけない相手と一緒にいるべきじゃない、絶対に。


「カメリア。もうこの人のことで苦しまないで。この人がいなくても、あなたは幸せになれる。この人じゃなくて、今度は私が約束してあげる。あなたはどこにいても、なにをしても、幸せに、健やかでいられるんだって」


 今はまだ届かなくても、彼女に、クラークスという悪意以外の愛情を教えてあげたい。そう祈りながら、私はカメリアの震える身体をさらに強く抱きしめた。


「……」


 小さく、多分、私の耳にしか聞こえていなかったくらいの小さな声で、カメリアが「聖女様」と私を呼んでくれたのが聞こえた。

 ぎゅ、と服の裾を掴んできた小さな手の感触に、私が泣きそうになる。


「もうろくしている私でもわかる――。この子を、ずっと騙して捕らえていたのは、お前だろう、クラークス。なんでもない相手に、このようなふうになるものか」

「……」


 陛下は厳しく、クラークスを判じた。クラークスは冷めた目で父である国王陛下を見る。


 ハッ、とそれをジュードがあざ笑う。

 

「あからさまな失言どうも。ご自分で蒔いた種に足下すくわれてざまあねえな」

「……ジュード、口が悪いよ」

「これは失礼、あんまりにもお兄様が滑稽で」


 クラークスはふうとため息をつくと、陛下に向かって小首を傾げて見せた。


「父上。父上すら、僕を信じてくれないんですね。ずっと、至らない弟の代わりに、僕は一人で王族の勤めを果たそうとしてきたのに。王位を継ぐものとして、絶え間なく研鑽を積んでいたというのに」

「……そうだ。我が王位を継げるものはお前の他におらんと思っていた。長く子ができず、ようやくできた弟は病弱で、王妃は身体を壊し……。ゆえに、お前がジュードの言うような愚行をしているとは信じられなんだ……」


 陛下の声は、陛下の実際の年齢よりも老いているように聞こえた。低くしわがれた声は少し聞き取りにくい。


「私が愚かだった。ジュードの言うことをもう少し信じておけばよかったのだ……」


 消え入りそうな声で、陛下はそう言った。


「……自分でわかる。私はもう長くないのだろう。私の王としての務めの最後は、お前の罪を裁くことだ。それがせめてもの、お前への報いだろう。ジュード」

「……ええ、父上」


 ジュードは普段は『陛下』と呼ぶのに、国王陛下を『父』と呼んだ。


「クラークス。『聖女』誘拐、監禁の罪により、身柄を拘束する。裁きの日が来るまで、牢で過ごすのだ」


 クラークスは国王陛下の宣言に、特に反応も示さず、ただ静かに陛下の顔を眺めていた。


 陛下は一国の王として、クラークスの罪を認めると張り詰めていた緊張の糸が切れたのか、ふらりと身体をよろめかせてしまう。ジュードがその身体を支えた。


「……すまぬ、もう疲れてしまった……。後のことは、任せたぞ。ジュード」

「はい。クラークスはこのまま衛兵たちと共に牢へと連れて行きます」


 国王陛下はひとりの従者の肩にもたれかかりながら、クラークスの部屋から退室した。


 衛兵に囲まれたクラークスは「ふう」と軽くため息をつき、肩をすくめた。

 いかにもしょうがないなあ、という表情。その軽さに苛立ちを覚える間もなく、銃声が鳴り響く。

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