第27話・父への祈り

「……悪かった」

「なんで謝るのよ」


 部屋に取り残された私たち。立ち尽くしたジュードがこぼしたのは謝罪の言葉だった。


「今日、私を呼び出したのはクラークスだったのね?」

「……そうなるな、俺はアンタに手紙なんて出してねえ」


 ジュードの顔は真っ青なのに、額からは汗が伝い落ちていて、髪の毛もしっとりとしていた。


「あなたは今日はどこぞの地方に視察って聞いたけど」

「ああ。その予定だったよ、だけど向かう途中たまたま神殿の馬車とすれ違って、アンタが一人で城に来てるって知って、戻ってきた」

「そっか。私、いつもは迎えにきてもらうけど、今日は神殿の馬車で送ってもらっていたわ」


 運が良かったという他ない。

 けれど、ジュードは苦々しく歯軋りをするばかりだった。


「あなたのせいじゃないでしょう」

「アイツがアンタに手を出そうとする可能性がないわけじゃなかった。もっと警戒しときゃ良かったんだ、俺が」

「あなたがいつも私を呼ぶ時と違ったのに、気がつかないでその誘いに乗ったのは私よ。迂闊だったと言うなら私の方だわ」

「そんなこと……!」


 言いかけて、ジュードはハッとして口元を手で覆い、目線を少し彷徨わせた。少し平静を取り戻したのか、短く息をついた。


「……違うよな。悪いのは、アイツだ。クラークス」


 頷く。このような策略を企てたクラークスが悪いのであって、ジュードの責任ではない。それどころか、ジュードは危機を察してこうして駆けつけてくれた。


「助けてくれてありがとう、ジュード。私、あなたの顔を見たら安心しちゃった」

「……当たり前だろ。こっちは、テメェの都合にアンタを巻き込ませてるんだ。なのに、こんな……」


 ジュードはまた俯いてしまう。


「ジュード。私、何もされてないわよ」

「……されてたろ、押し倒されてた」

「でもそれだけよ。確かにクラークスの言う通り、これだけじゃ全然婦女暴行の証拠にならないわ。何にもされてないんだもの」


 心底嫌そうにジュードは眉を顰める。


「……アイツ、なんて言ってアンタのことを脅したんだよ」

「私のこと、偽聖女って知ってたって。偽者とバラされたくなかったら、ジュードじゃなくて僕と婚約しなおせ……って」

「俺と同じことしてんじゃねえか」


 ちっとジュードは吐き捨てるように呟いた。そう言われるとそうだ。ただ、ジュードは私を抱くことはできなくて、クラークスは本当に私を強姦しようとしていたけど。


「……」


 それと、『ジュードを殺す』と言われたことは――これは言わなくてもいいか。

 ぎゅっと手を握り込みながら、眉根を寄せるジュードを見上げる。


「でも、去り際に『わざわざ言いふらさないから安心して』って言っていたわね」

「そりゃそうだ。アンタは本物の聖女だって国民連中に思い込ませたままじゃないと意味ねえからな。つまり、アイツはまだアンタのこと利用できないかって狙ってんだよ」

「……そうか、そうよね……」


 私が聖女の偽物だとみんなが知ったら、私は「騙したのか!」と私刑にあってもおかしくないくらいだ。少しでもクラークスにとって利用したいと思われているうちは、そりゃあ周りに言いふらすわけはないか。


「でも、どうして。クラークスにはロザリー様もいるのに。それに私に迫るのならもっと早く迫ることだってできたはずなのに、どうして今……?」

「それは知らねえが……」


「ああ、まだそこにいたんだね。そこのソファは使ったかい?」


「――クラークス!」


 ジュードが叫び、私を背の後ろに隠す。


 まさかこんなにすぐまた彼に会うとは思わなかった。何をしにきたんだと、ジュードと共に睨むと、クラークスはため息をつきながら苦笑を浮かべてみせた。


 開け放たれた扉の向こう側がなんだか慌ただしい。廊下を駆けるメイドや文官たち、ハッキリ何を喋っているのかは聞き取れないが、みんなしきりに何かを話しているようだった。


「まあそこにいてくれて良かったよ。急いでお父様のお部屋においで」

「……?」


 ◆


 そして、訪れた国王陛下の自室では、ぐったりと横たわる陛下がいらっしゃった。


「以前から体調がすぐれないことが続いておりましたが……先ほど急にお倒れになって、医者の見立てではもう長くはないと……」


 隣に立つジュードが息を呑むのが聞こえた。

 目を見開き、じっとやつれた父を見つめている。


「どうしたのぉ?」


 場の緊張感に似合わない舌足らずな声を出しながら小首を傾げたのはリーンだ。


 まだ三歳だ。父親がどういう状態か、ハッキリとはわからないのだろう。


(ジュードが、陛下がリーンに会うことはほとんどない、って言っていたから、なおさらでしょうね……)


「リーン様。国王陛下はお疲れでいらっしゃるのですよ」

「ねたらげんきになる?」

「ええ、少し眠るお時間が長くなってらっしゃいますが、きっと……」


 リーンの付き添いの乳母が少し震えた声でリーンに語りかける。リーンはキョトンとした顔のまま、父親を眺めた。


「ついさっき医者の報せを聞いてね……。下手したら明日どうなるかもわからない。一度、兄弟揃って顔を見せてやりたかったんだ」


「なんとお優しい……」

「さすがはクラークス様だ……」


 クラークスが切なげに微笑みながらジュードとリーンに声をかけると、周りの従者たちは揃って感動気味に声を震わせた。


(白々しい……陛下の体調不良は、あなたが薬を仕込んでいたからでしょう……)


 デイリズで彼が語っていたことを忘れはしない。

 彼が少しずつ陛下に盛っていた薬、その毒がとうとう陛下のお身体に回ったのだ――。

 私はここで、ハッとする。


 だから、だ。

 国王陛下の死期が近い。だから、クラークスは今このタイミングで婚約者を私に乗り換えようとした。


 陛下が亡くなったらすぐにクラークスは王位につくのだろう。そして婚約者のロザリー様とも婚姻を……という流れになるはず。妻を乗り換えるのと、婚約者を乗り換えるのとでは、後者の方が都合よくやりやすいのだろう。


(……私のことは利用できればそれでいいはず。でも、その上でわざわざ妻にしようとする魂胆はわからないけど……)


 ジュードへの嫌がらせ、だろうか。それとも、ロザリー様を切り捨てたい理由があるのか。


「さて、親愛なる父との時間ができる限り長引くように祈ろうか。リーン、祈りの言葉は覚えたかい?」

「はい! にーにが教えてくれました、くらーくすさま」


(あ……にーに、って呼ぶのはジュードのことだけなんだ……)


 心なしか、少し大人びた口調でクラークスと話すリーンに少しだけ驚く。

 リーンと会う時はいつもジュードと一緒だからわからなかったけど、もしかしたらリーンはジュードがいない時、乳母以外の人間にはこうなのかもしれない。


 クラークスが、ジュードをチラリとだけ見た。ジュードはその視線をわかっているようで、わずかに眉を歪めた。


「……てんのちち、だいちのはは、いつもめぐみをありがとうございます……」


 神への感謝から始まるもっともベーシックな祈りの口上をリーンが始めた。その後の祈りの言葉は「なんていうの?」と首を傾げていたけれど、クラークスが「敬愛すべき我らの父の命の灯火ができる限り長く続きますように」と続けた。

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