第26話・クラークスの提案

 私を組み敷きながら、クラークスは不思議そうに目を丸くする。


「おや? アイツとはまだそういう関係ではなかったのかな。しょっちゅう人払いをさせて二人きりで逢引をしていると聞いていたけれど」


 カッとなって彼の手をピシャリと叩き、睨んだ。

 ジュードは――そういう人物ではない。


「神に誓って、婚姻前にそのような淫らな行為は行っておりません!」

「はは、じゃあ僕が初めてだ。うん、いいね」


 ……彼は、何を言っているのだろうか。本当に。


「大丈夫。国民たちには本当に愛し合っていたのは僕たちだったんだ、って知らせてやればいい」


 クラークスは、美しい笑みを絶やすことはなかった。

 これからしようとしていることに、彼に罪の意識はないのだろう。


「どうしてこんなことを……」

「近くで見たら君が思っていたよりもかわいかったからかな」


 意味がわからない。


 政治的に利用できるから、とか、ジュードが言うように王位継承権を揺るぎないものにするためとかそういうふうに言うのなら理解はできた。


(――それを、かわいいから?)


 クラークスは変わらずニコニコとしながら言葉を続ける。


「アイツも君のことが心底かわいくてしょうがないみたいだしね。それを横から奪ったらどんな顔になるんだろうかと思うとワクワクしてしょうがない」

「……そんな」

「大したことない女の子なら違う手段を考えたけど……君を抱くのは楽しくできそうだしね」


 最低すぎる。


「ロザリー様はどうなるのですか」

「ロザリーは父が決めた婚約者というだけだからね。申し訳ないけど、別に僕が結婚する相手は彼女じゃなくてもいいんだ。『格』という点で言えば、むしろ君の方が上だしね」


 クラークスは笑顔で言い切った。


「ロザリー様は、あなたのことが……」

「ああ。好きみたいだね。だから別にロザリーはきっと婚約者じゃなくなっても僕に協力してくれるよ」


 なんてこともなしにクラークスは言う。


「……私の、ことを知っているのですか。私の、秘密を……」

「もちろん。とっくの昔から知っているよ、君が聖女を騙る不届者ということは」


 細められた紫色の瞳が私を見つめる。


「君というカードをどう切るべきか考えているうちにジュードに先を越されたけど……。まあ、些細なことだよね」

「……」

「僕を拒むのなら君が偽者だとバラすよ。僕の周囲を嗅ぎ回るためにしていたジュードのヤンチャも。……ああ」


 クラークスはわざとらしく「いいことを思いついた」と手を合わせる。


「そうだ。別にアイツを残しておく必要もないんだ。殺しておこうかな」

「え……」


 あまりにもサラリと告げられた言葉に息が詰まった。


 ジュードを。自分の弟をこうもあっさり。

 ……きっと、本当にこの人はなんとも思わずにそれができるのだろう。


「ねえ、コルネリア。ジュードは結構可愛げのある男だろう? 僕もあの愚弟のことは可愛いと思っているんだ。無力さを憂いながら僕を睨む目を見ると、可愛い弟だなとつい遊んでしまうんだ」

「なんて人なの……」

「どうせジュードに情が移っているんだろう? ジュードを失くしたくないのなら、僕のものにおなり。アイツよりも上手に君のことを使ってあげる」


 クラークスの指が私の顎にかかる。


(こいつのものになるなんて嫌、コイツの悪事に加担させられることになるのも嫌、ジュードが私のせいで命を落とすのも嫌)


 最善を考えなければいけない。今すぐに。


(嫌だけど、今ここでだけ受け入れて、懐でクラークスを蹴落とす機会を探す……?)


 それが一番マシな気がした。最善ではないかもしれない、けれど、熟考する時間もなかった。


 クラークスの唇が迫ってきていた。

 反射的に、あの日、ジュードに無理やりキスされたその時のことがフラッシュバックする。


(あんな最低なキスはないと思ってたのに、もっと最低なキスがあるなんて)


 俺の婚約者である以上、俺以外とキスする機会はないんだからと「次はアンタの希望通りのキスしてやるよ」と言っていたジュード。


(……キス、してもらっておけばよかったかな)


 こんな時に、ふとそう思う。

 こんな最低な男にキスされるのが最後になるのなら。


 ギリ、と歯を噛み締めながら目をきつく瞑る。



 ……だけれど、いつまでも覚悟していた唇が触れることはなく、恐る恐る目を開けると。


 クラークスは私から少し身体を離し、扉の方を見ていた。私のその視線の先を追う。濃い金の髪は見間違えようがない。はあ、はあと肩で息をしながらも厳しい目線で彼はクラークスを睨んでいた。


「――コルネリア!」

「……ジュード!」


 ジュードは私に駆け寄り、迷うことなく私の身体を自分のそばに抱き寄せた。


「無事か?」

「うん――」


 一瞬迷ったけれど、頷く。


「……おや、王子様の登場か」


 クラークスはやれやれと肩をすくめた。

 そして何も言わずにスッと扉に向かって歩いていく。


 私の肩を抱いたまま、ジュードはクラークスをキッと鋭い視線を浴びせる。


「兄上、どこへ行かれるおつもりですか。お残りください、衛兵がこれから来ます。婦女暴行は立派な犯罪です。たとえあなたでも裁かれる罪です」

「暴行……? いやだな、何もしてないじゃない」

「未遂でも罪には変わりません。彼女の怯えた顔を見てください」

「でも、何もしていないよ?」


 きょとんとクラークスは黒尾を傾げる。


(確かに、クラークスはまだ、何にもしてない。私を脅しただけ……でも、それを証明する証拠も証人もない)


「この状態で僕を婦女暴行で裁くのは無理じゃないかな。君たちの狂言と見做される可能性の方が高いと思うよ。ジュード、お前には前科があるしね」

「……ッ」


 噛み締める音が聞こえるほどきつくジュードは歯を噛む。


「はは。本当に可愛い愚弟だね、お前は。……ああ、コルネリア? さっきの話だけど、僕はそんなことはしないから安心していいよ」

「え……」

「僕と君だけの内緒の話だったから言ったんだ。別に、本当にそんなことがしたいわけじゃないよ」


 最後に私にだけニコ、と微笑んで、今度こそクラークスは私たちの前から姿を消した。

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