第16話・迫る

「ジュード……」

「……くそっ」


 ジュードは彼らのやりとりに耳を傾けつつ、機を窺っていたけれど、ぎり、と歯軋りをして顔を俯かせた。


 今ここでクラークスを捕らえようとしたところで、リスクが大きすぎた。ここはクラークスの庭だ。チャンスがあれば――と語っていたジュードだが、実行には難しいと判断したのだろう。


「アイツ、舐めやがって。誰に聞かれようともかまわねえって思ってるんだ。どうせ誰にも俺のことは止められない、ってタカくくってやがる」

「……そう。こんな場所じゃ誰も聞いてないだろうから、じゃなくて?」

「ああ。第一王子で、共犯にさせてる権力者の身内婚約者もいて、こんな自分の悪行の尻尾を掴まれたところでなんともならねえって思って堂々としてやがんだ。アイツ、性格悪いから」


 それもさもありなん。クラークスの纏う空気に、緊張感は一切なかった。

 罪悪感も引け目もなにも彼は有していなかった。


「まだここで自爆覚悟の特攻はできそうねえ。せめて、何か証拠があれば……」

「……」


 私の腰を抱く手に、力がこもる。

 私も眉を引き締め、彼を見上げた。


「……私を使って」

「はあ?」

「せっかくついてきたんだもの、役に立てなかったら意味ないじゃない。この場所にいる女として、私を利用して。アイツがここにいた証拠を残しましょう」

「……コルネリア……」


 菫色の目が目一杯に開かれる。

 いつになく驚いた表情に、こんな状況だけど私は少し気分が良くなった。


「……とは言っても、どうしたらいいかしら。身につけている小物のなにかでも盗む? 私がその……そういうの誘ったら、つ、釣れるかしら」

「ばか、何言ってんだよ。……さすがに拾われてアシがつくような装飾品なんか、周りの人間舐め腐ってるアイツでも身につけてねえだろうよ」

「じゃあ、どうしたら、ここにいたって証拠を……」


 ジュードは苦笑しながら私を見下ろす。

 

「……あるぜ、証拠残す方法」


 ジュードが私の手を懐に導く。彼のジャケットの内側に忍ばされたソレ――硬い感触と、その形状から、「小型のナイフだ」と察する。


「あら、いいもの持ってるじゃない」

「とんでもねえこと言う女だな」


 作戦はこうだ。


 私が薬で高揚している女を装い、クラークスに行為をねだる。

 途中で女に逃げられたという設定のジュードが、クラークスにねだっている私を見つけて激昂し、クラークスの顔に切りつける。


 クラークスに傷さえつければ、すぐにお互い撤収する。


 そして、翌朝すぐにクラークスを呼び付け、顔の傷を証拠としてこの場所にいたことを証明して、国王陛下に彼の計画を報告する。


 彼の悪事の全てを証明することはできないだろうが、それでも、少なからず彼にダメージは与えられるはず。彼の行動に制限をかける程度のことは叶うかもしれない。


 ……ジュードもまた、この場にいたということを告白しなければいけないから諸刃の剣であるが、クラークスの企みを察知して潜入していたとか、理由はつけられなくもないし、ジュードとしては「俺みたいなのが趣味でそういう場所行ってたってことになっても、誰もいちいち失望しねえよ」とのことだった。


「……アンタが危険な目に遭いそうになったら、作戦は中止するからな」

「大丈夫よ。これでも色々修羅場は潜り抜けてるんだから!」


 そう、危ない目には何度もあってきた。

 本当に聖女なのか疑われたり、聖女は死ねと刃物を突きつけられたり、お前がなかなか生まれてこなかったせいで嫁が死んだんだと因縁つけられたり……。


 だから、やることをやったら逃げ切るのだけを目標にしてるなら、きっとなんとかなるはず。


「ハッ。俺程度の男に『偽聖女だろ』って詰められて逃げきれなかったくせに?」


 ジュードは肩をすくめて笑って見せる。それを言われると反論しにくくて、私はただ眉根を寄せた。


「危なかっしくて心配だから、無茶はすんなよ」

「……あなたもね」


 私の腰を抱く力がほんの少しだけ強まったのは、気のせいじゃないと思う。私もちょっとだけ、控えめにジュードの背中を抱きしめた。


 ◆


「……きゃあ! やっと見つけた、素敵な方! どう? 次は私としてみない?」


 潜んでいたソファから一人抜け出して、クラークスたちの前に飛び出る私。この場で見聞きしてきたやりとりを参考に、クラークスに飛びついて声をかけた。


「――ちょっと! 離れなさいよ、このお方が相手をするのはわたくしだけよ!」

(ロ、ロザリー様)


 歯が見えるほど口を大きく開き、ロザリー様は私に食ってかかる。


「ああ、悪いね。かわいいお嬢さん、僕はあいにくフリーじゃないんだ。この子がいなかったらいくらでも相手してあげたいんだけど」


 仮面に隠されて表情はよくわからないけれど、クラークスは実に柔らかい口調でそう言って私の頭を撫でた。ぞわりと背が粟立つけれど、しなを作って誤魔化す。


「ね、ちょっとくらい、いいでしょ。私、そこのお姉様と一緒にだっていいから……」


 自分で言いながら「何言ってんだ」と思うけど、私は必死でお盛んになっている女性の演技をする。

 クラークスが「困ったなあ」とさして困ってもなさそうに呟いたところで、ガタンガタンと物音がした。全員がそちらを振り向く。


「――おい! てめえ、俺の女に色目使いやがって!」


 ジュードだ。

 声色を変えようとしている意図もあるんだろう。ものすごいガラガラとした凄んだ声で、共犯者である私まで一緒に思わずビクッとなってしまった。


 そこからのジュードは素早かった。あっという間にこちらに駆け寄ってきて、そして、狙い通り、クラークスの頬にナイフを切り付けた。


「きゃ、きゃああああ!」


 ロザリーの悲鳴がホール中に響き渡る。


「――おら! 行くぞ!」


 ジュードは力強く私の手を引き、そして一気にロビーの出入り口にまで走って行った。



 ◆


 走って、走って、ようやくデイリズの街を抜け出して人気のない森の中で私たちは一息つく。


「……ハッ。あっけねえほどうまくいったな。案外、あの場でアイツをとっ捕まえるのもできたのかもしれねえな」

「ちゃんと油断させてやったからでしょ。抑えつけて捕まえて、って悠長にやってたら警備があっという間にやってきてきっと失敗してたわ」

「そうだろうな」


 ジュードは自嘲気味に笑う。

 あっという間に逃げ出したから、こうして逃げおおせたけれど、少しでもまごついていたら危なかったかもしれない。


「……全然期待してなかったけど、結構演技うまかったじゃねえか。耳栓してたわりにちゃんと周りのやりとり見てたんだな」

「うっ……。やるってなったら、ちゃんとやらないと、でしょ……」


 耳栓をしていても、全く音や声が聞こえないというわけではない。同じ空間にいれば、いやでもわかる。

 ジュードはしばらくニヤニヤとしていたけれど、不意に真面目な顔になり、ぽつりと呟いた。


「……悪かったな。アンタが一緒に来てくれて助かった」


 いつになく神妙な態度に内心驚きつつ、ジュードに微笑み返す。


「気にしないで。アレくらいやらなくちゃ、私ただ乱交見に行っただけの人みたいになっちゃってたし……」

「まあ、それはそうだな」

「うっ、頷かないでよ!」


 ジュードはいつもするみたいにくつくつと喉を鳴らして笑った。


「いちいち反応しすぎなんだよ、逆にスケベですって言ってるようなもんだぞ」

「あ、あなたはなんでそんなに場慣れしてる雰囲気だったのよ」

「ん? ……慣れてんじゃね?」

「ふーん、そう、不良王子」

「つれねえな、カマトト偽聖女」

「べっ、別にカマトトぶってない! 適当なこと言うから私も適当に返しただけ!」


 ニヤニヤしているジュードの顔を見ていたくなくて、私はそっぽを向いて、帰路を急いだ。


 夜明けまでに、神殿に戻らないと。

 明日は――きっと忙しくなるから。

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