11 応じてやるとも

「向こうの街区に怪しい者がいる」

 囁くような声音で、騎士は言った。

「何?」

「三十前後の痩せた男だ。先旬も見かけた。ひとつ離れた通りに、内部が見えないようにしてある無印の馬車がある。それで連れ去るつもりだろう」

 手早く、エククシアは語った。タイオスは一リア、ついていけなかった。

「何?……それじゃ」

「私は右から行く。お前は左からだ」

「お、おい」

 言いたいことだけ言うと、〈青竜の騎士〉は――竜ではなく――ミィのように足音も立てず、走り出した。

(何だって?)

(それじゃ、のか)

 まるでお化けベットルでも「出た」かのごとく、タイオスは思った。

(……それじゃ)

(あいつは、リダールをちゃんと護衛する気なのか?)

 化け狐アナローダの二本目の尻尾を見た人のように中年戦士は呆然としかけ、すぐにはっとした。

「左だな」

 命令をされる筋合いはない、などという子供の喧嘩はあと回しだ。いまは重要なことがある。

 エククシアの真意について考えるのもあとだ。何であれ、本当に先旬からリダールの周りをうろつく輩が存在するのであれば――。

か?)

 タイオスは自問した。

(あいつの言うことは信用なるのか。あいつにとって都合のいい場所に俺を移動させる作戦という可能性は)

 その可能性は大いにある。しかし、事実だという可能性も無視できない。

(ここは賭けだ、ヴォース)

 彼は自らに話しかけた。

(伸るか反るか)

上等アレイス

 応じてやるとも、と彼は地面を蹴った。

(企み、罠、何でもけっこうだ。考えていることがあるなら、見せてもらおうじゃないか)

 タイオスはエククシアの指示した左方の小道へと思い切りよく駆けた。

 少しだけリダールから目を離すことになるが、仮にも成人男性だ。十トーア、いや、五秒くらいは抵抗を――。

(二秒だな)

 判定をやり直すとタイオスは、地面を蹴る足に力を込めた。

「あ、な、何ですか、あなたは」

 一街区分を駆け抜け、右へ曲がってもとの通りに戻る直前、明らかに怯えた少年の声がした。

「やめ……放してください」

「クソっ、させるか」

 タイオスは躊躇なく剣を抜いた。

 街なかでの抜剣は禁止されていることだ。町憲兵に見つかれば、ただ抜いただけで誰にも怪我をさせなかったところで、捕縛の対象となる。

 彼はそんなことはよく知っている。だがいまは、躊躇するところではない。

「リダール!」

 もうひとつ角を曲がれば、船員マックルのように色の濃い肌を持つひょろりと長い感じの男の腕に捕まり、驚きで白くなったリダールの顔が見えた。

「タイオ――」

 痩せた男は右手でリダールを捕まえる傍ら、左手に薬瓶のようなものを持っていた。器用にふたを外してその中身をリダールの顔にかける。少年はむせたかと思うと、次には目を回した様子で、ぐったりとなった。

(薬で眠らされて)

 ほかの少年少女たちの話を思い出す。

 間違いない。

「そこまでだ、この誘拐魔が。そいつをおいてさっさと」

「な、何だよ」

 黒い肌の痩せ男はタイオスを認めて泡を食った。

「近くには誰もいないと思っ……」

「生憎だがな、いたんだよ」

 戦士は抜き身の剣を手に、男を睨んだ。

「クソっ」

 痩せ男は、その身体つきに似合わず腕力があり、意識を失ったと見えるリダールの身体を荷袋のように肩に担ぐとくるりと踵を返した。

 とそのとき、先の小道からエククシアが飛び出した。やはり細剣を手に、男の行く手を遮る。

「な、何だよっ」

 それを認めた痩せ男は悲鳴を上げた。

「観念しやがれ」

 タイオスはずかずかと、男に歩み寄った。

「そいつを下ろせ。それから、お前――」

 仲間はいるのか、何人か、どこにいるのか、そんな疑問を口にしようとしたタイオスだったが、言葉は発されなかった。

 それは町憲兵隊レドキアータの仕事であって彼のものではない。

 だがタイオスは、そう考えて口をつぐんだのではなかった。

「な……」

(何、だ)

 不意に、有り得ないことが彼の身の上に起きた。

 彼は先に進もうとしているのに、彼はその場に、とどまっていた。

(足が)

 動かない。

(声が)

 出ない。

(身体が――)

 言うことを聞かなかった。タイオスは前触れもなくがっくりとその場にひざをついていた。握力が失われ、剣が右手から落ちる感触があった。

「っしゃ!」

 男は叫んだ。

「助かったぜっ、有難うございます!」

 天を仰いで、男は誰かに礼を言った。

(何を)

 誰に、何を言っているのか。

 タイオスは、浮かんだ疑問を口にすることもやはり、できなかった。

 リダール少年を抱え、男が走った。

 彼は、呆然とひざをつくばかりの戦士の横を――すり抜けた。

「タイオス、何をしている」

 〈青竜の騎士〉が冷たい声を出した。

「お前は、その程度か」

 見下す口調で、エククシアは言った。

「名ばかりの戦士か。有事を前に、怯んだか」

 違う。もちろん、違う。

 タイオスは否定しようとした。

 身体が、突然。

 だが、声は出なかった。

「充分だ。お前は、そこで座り込んでいろ」

 淡々とエククシアは言い、男と少年を追って走り出した。

(動かない)

(どういうことだ)

(――魔術師が関わっている、可能性)

 キルヴンとの話を思い出した。

(何てこった。俺は聞いてたのに)

(〈青竜の騎士〉のことばかり気にして)

 本当に魔術なのか。だとすれば。

(クソっ、それならエククシアもやばい)

 だが警告を発することもできない。足は地面に釘付けられたがごとく、舌は縛り付けられたがごとく。

 戦士は為す術なく、その場に手を突いていることしかできなかった。

『助けて』

『タイオス、助けてください』

『どうしてぼくを』

『守ってくれなかったんですか』

 今朝方に見た、嫌な夢。

 まるであれが現実になったかのような。

『どうして……』

 空洞の眼窩。その奥に見えた、黄色の瞳。

(化けもん扱いするような夢を見て悪かった、エククシア)

(リダールを護衛する気があるんなら)

(どうか、あいつをを)

 自分の名誉などはどうでもいい。

 どうか少年を助けてくれと、タイオスは歯を食いしばりながら祈った。

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