02 何でお前がそんな話を

 果てのなき広大なる世界、フォアライア。

 世界は三つの大陸に分かれていた。

 南にファランシア大陸、北西にリル・ウェン大陸、そして北東にラスカルト大陸。

 ファランシアの南には大山脈が、リル・ウェンの北には大森林が、ラスカルトの東には無限砂漠が、それぞれ人の行く手を阻み、人々は世界に果てはないものと考えていた。

 三つの大陸は互いに没交渉で、存在こそ知れているものの、大陸間を移動する者はごく稀であった。それどころか、ひとつの大陸のなかでさえ、隣接する地方すら訪れない者も多い。人々の多くは地に足をつけ、着実な生活をしていた。


 戦士キエスという職業が着実なものであるかは、判断の難しいところだ。

 彼らは大雑把に、二種類いる。数名の集団を組んで未開の地を行き、獣や魔物を退治したり伝説の宝を探したりする「冒険家」「探検者」「挑戦者」などと言われる類と、街道の治安を守る仕事受けたり依頼主を危険から守ったりする「護衛戦士」と言われる類だ。

 ラスカルト大陸の北西部、マールギアヌと呼ばれる地方で、タイオスは主に護衛戦士として長くやってきた。

 よい雇い主にさえ出会えれば、好待遇で食いっぱぐれなく、報酬も高額だ。質の悪い雇い主に当たっても、命を張る商売であるから、極端に低額ということはない。

 そう、命を張る商売。

 剣を振るって、彼らは依頼人の代わりに命を賭ける。それだけの腕がなければ、或いは運が悪ければ、簡単に死ぬ。戦いで命を落とすことがなくとも、大きな負傷をして戦士を続けられないということもある。

 タイオスは四十を越すまで無事に生き残ってきていたが、それは必ずしも、彼がとてつもない凄腕だということを意味しない。もちろん戦士に体力や技能は必要だが、生き残るかどうかは運もある。それから、九死に一生を得たあとで、再び戦士としてやっていくだけの精神力も。

 もっとも、中年と呼ばれる時期を迎えた戦士は、いつまでもこの仕事をやっていられるとは思っていなかった。

 いずれ引退するときがくる。どこか小さな田舎の村で、たまに畑を襲う獣や魔物を追い払うくらいなら、まだしばらくはできるだろう。そこで穏やかに暮らすことが彼の夢だ。傍らには、できれば若くて美人の妻などがいるといい。

 そんな話をすれば、ティエには笑われる。まだまだ引退する気なんてないくせに、と。

 コミンの町に住む踊り子ティエは彼の昔馴染みで、春女としての仕事もしている彼女とは数え切れないほど肌を合わせたが、恋人という感じではなかった。もちろん向こうは商売で抱かれるということもあったろうが、昔からの知り合いであるだけに、甘い言葉よりも相談や愚痴が出るのだ。ティエはタイオスにとって、よい友人であると言えた。

(ティエに何も言わずに出てきちまったな)

 ふとそう思うと、少し申し訳なく思った。近頃は、彼女と顔を――肌を――合わせてようやく「コミンに帰ってきた」と感じるようになり、出立も帰還もティエに報告をしていたのだ。

(まあ、突然の話だったからなあ)

 戦士タイオスがカル・ディアル王に仕える伯爵ナイシェイア・キルヴンから手紙をもらったのは、コミンの町を出る前日のことだった。

 彼とキルヴンは少し顔を合わせただけで、あまり互いのことを知らない。

 だが、向こうに知られていることもある。

 それは、タイオスが〈シリンディンの白鷲〉と呼ばれる男だということだ。

 シリンドル。このカル・ディアル国と、東に隣接するアル・フェイル国の両南端に接する小さな国。

 半年ほど前、タイオスはシリンドルで起きた内乱に巻き込まれ、反逆者から王子を守って戦った。

 伝説の英雄〈白鷲〉だと言われ、それは何かの間違いだと否定し続けてきたが、シリンドルを守る〈峠〉の神シリンディンはどうやら本当に彼を「神の騎士〈白鷲〉」に任命してしまったらしい。

 騎士コーレスなんて柄じゃない、とタイオスはやっぱりそれを否定したが、否定するのは彼ひとりであった。

 彼に「懐いた」ハルディール王子はもとより、最初から最後まで冗談にも仲良くなどなれなかったシリンディン騎士団長アンエスカでさえ、タイオスが〈白鷲〉のしるしとされる大理石の護符を持ったまま去ることをとめなかった。

 と言ったところで、もはやそれは思い出だ。

 シリンドルを離れたタイオスが〈白鷲〉であろうとなかろうと、彼の暮らしには何の変化もなかった。

 中年戦士は、少年王子と出会う前と同じように隊商トラティアの護衛をし、街道の魔物を斬って、コミンの街に帰ってはティエを抱いた。

 その称号も渡された護符も、単なる思い出だと考えていたのだが。

(貴殿を〈白鷲〉と見込んで話がある)

 そんな手紙がキルヴン伯爵から届いたのは、シリンドルでの出来事から半年ほど経った頃のことだった。

 最初は、見なかったことにしようかとも考えた。だが、それを引き止めた声があった。

 その声のことだって、無視してしまってもかまわなかった。しかし結局、彼は首都カル・ディアに出向くことにしたのだ。

『何をしている』

『急げ』

 まるでタイオスを臣下とでも思うかのように、指示がやってきた。

 いや、臣下ではなく、信者、か。

 いったい、何ごとなのか。全く見当がつかぬ、訳でもない。

『へへっ、聞きたいかい、タイオスの旦那』

 〈痩せ猫〉と呼ばれるコミンの情報屋ラータープルーグはあのとき、〈角牛オディサー〉亭の前で彼を待ちかまえており、にやにやしながら手を差し出した。

「情報料、いただこうか」

 渋々とラル銀貨を支払った結果として耳にしたのは、カル・ディアで多発しているという、とある事件の話だった。

 タイオスとしてはあまり褒め讃えたくないが、プルーグは有能な情報屋であり、必要な話をきちんと掴んでくる。だからこそ戦士は彼に金を払うのだが、この件はいささか、怪しかった。

「何でお前がそんな話を知ってるんだ」

 彼はじとんと〈痩せ猫〉を睨んだ。

「お前がコミンにいながらシリンドルの話を知ってたときは、裏があったな。今回もあるのか」

「まさか」

 情報屋はとんでもないとばかりに首を振った。タイオスは胡乱そうにそれを見た。

「そりゃまあ、裏があると素直に言うはずもないわな」

「おいおい、旦那。シリンドルは遠い国だが、カル・ディアは馬でわずか数日の距離にある我らがカル・ディアルの首都だ。同列に扱うところじゃないだろう」

 だいたい、と〈痩せ猫〉は肩をすくめた。

「カル・ディアの噂なら、普通に聞くだろ、普通に」

「噂だと?」

 タイオスの胡乱そうな表情はますます強くなった。

「お前、いまの話はただの噂か」

「もちろん、そうさ」

 悪びれることなく情報屋は答えた。

「誰でも聞ける話じゃないか。そんなことで金を取るのか」

 金を返せ、と彼が言えば、プルーグはぴょんと一歩分ほど跳んで逃げた。

「そりゃ、誰でも聞ける話かもしれないがね。誰もが知ってる話と言うんじゃないんだ。旦那がコミン中の酒場を回っても、運が悪ければ一度も聞かれない。そうした噂話を収集しておいて、いざというときに提供するのが俺たち情報屋だ。情報の元手はでも、こちとらこの足で時間と労力をかけてる」

「うむむ……」

 もっともだと言わざるを得なかった。タイオスは返金要求を取り下げた。

「とにかく、カル・ディアから旦那を呼ぶ使者がきたってのは、そのことと関係があるかもしれないし、まあ、ないかもしれんが」

「おい、待て」

 戦士は退かれた一歩分、情報屋に近づいた。

「何でそのことを」

「そんなのは簡単だ」

 彼はにやりと笑った。

「安宿から安宿に似合わない立派な服を着た人が出てきたんで、そこの主人に訊いただけさ。『カル・ディアからタイオスを尋ねてやってきたようだ』と、宿の親爺が教えてくれたよ」

 そこでプルーグはカル・ディアの情報を整理して、タイオスを待ちかねていたということらしかった。

 使える情報屋だが、このしたり顔には少しだけ腹が立つ気もする。

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