最終話 売り切れ後の白河さん

 三月一日。


 俺が汐織しおりに告白してから、ほんの少しだけ月日が経った。


 今日は汐織しおりの卒業式が行われる。


「無理しなくていいから。そっちはそっちで楽しんできなよ」

『で、でも! 今日は大和やまとさんの送別会なんですよね!?』

「そんなのこれから何度もあるから!」


 俺は、朝の出社前に汐織しおりと電話をしていた。


 今日の夜は、鮮魚部門で俺の送別会をやってくれる日でもあった。


『うぅ、なんでこんなことに……』

「今日しかみんなの予定が合わなかったんだってさ。汐織しおりがバイトをやめるときは、また鮮魚のみんなで食事にでも行こう?


 ……そして、この日は俺が今の店舗に出社する最後の日でもあった。


 三月のほとんどは、うちの会社で最も売れる店に行って研修することになる。これから、リニューアル店舗のために勉強をしないといけないらしい。


 三月は引っ越しもあるのでとても忙しくなりそうだ。


「今日は会えないけど、明日は汐織しおりの家に顔出すから」


大和やまとさん、浮気はダメですからね』

「なんでそうなる!」

『今日、江尻えじりさんが来るのは知ってますから!』

「あれ? 俺、そのこと汐織しおりに言った?」

『本人から直接聞きました!』

「そういえば、メッセージのやり取りしてるんだったね……」

大和やまとさんが私に直接言わないのが怪しいと思ってます』

「卒業式なのに余計な心配をさせたくなかっただけだって」


 俺がそう言うと、電話越しに汐織しおりの笑い声が聞こえてきた。


『ふふっ、嘘です、分かってます。大和やまとさんは優しいですから』

「そう思うならもっと信じてほしいなぁ」

『ちょっとくらいいいじゃないですか、だって――』

「だって?」

『今日から、私たち正式に恋人同士ですよね? 私はちゃんとヤキモチを焼いていい立場になったわけで』

「ちゃんとヤキモチって……」


 相変わらず汐織しおりはたまに天然っぽい発言をする。

 まぁ、それも大分慣れてきたのだけどさ。


「あっ、そろそろ仕事に行かないと」

『すみませんでした、早朝からお電話に付き合っていただきまして』

「いや、俺も話したかったからさ。それにちゃんと言っておきたくて」

『ちゃんと?』

「卒業おめでとう、白河しらかわさん」

『はい! ありがとうございますチーフ!』

「……あっ、やっぱりたまに出ちゃうよなぁ」

『何がですか?』

「呼び方」

『そ、それも卒業できるように頑張らないとですね……』

「お互いにね。でも汐織しおりはもっと頑張らないといけないと思う」

『何がですか?』

「敬語」

『こ、これは癖でして……』

「言ってるそばから」

『も、もう! これから頑張るからあんまり言わないでよっ!』




※※※




「「「チーフ、お疲れさまでしたー!」」」



 カコンとみんなとグラスを合わせる。

 今日は仕事を早めに終えて、みんなといつもの居酒屋にやってきた。


「早かったね~、寂しくなるなぁ」

ほしさんだけですよ! ちゃんとそう言ってくれるのは!」


 ほしさんがぐびっとグラスに入ったビールを飲み干す。


「私もそう言ったじゃん」


 五十嵐いがらしさんがその言葉に続く。


「私も、真っ先にそう言ったじゃん」


 山上やまがみさんもその言葉にのっかってくる。


「二人はからかい混じりじゃないですか!」


 俺が二人にツッコむと、ドッと席に笑いが漏れた。


「しかしリニューアル店舗ねぇ。また忙しくなるね」

「本当に勘弁してほしいですよ……」

「でも、ちゃんと回せれば出世コースにのるんじゃない?」

小西こにしさんは出世したいんですか?」

「したくない」

「ですよね」


 絶対に店長の前では言うことができない言葉を言ってしまった。

 まぁ、今は鮮魚メンバーしかいないので許してもらえるだろう。


「しかし、江尻えじりさんも鮮魚になるとはねぇ」

「どうせ仕事をするなら手に職つけたほうが良いかなぁと思いまして!」

「でも覚えるの大変だよ? 大丈夫?」


 江尻えじりさんと山上やまがみさんが、お酒を飲みながらそんな会話をしている。


 江尻えじりさんは江尻えじりさんで、後日青果の送別会があるらしい。


「大丈夫です! 水野みずのさんにしっかり教えてもらうんで!」

「本当に嫌なんだけど」

「何でですか! これからずっと一緒なのに!」


 本音と冗談、どちらも込めてそんなことを言ってしまった。


 人に教えるのって本当に大変だ。


 江尻えじりさんの鮮魚部門としての今後は俺にかかっているかもしれない。


 だから、できる限りは彼女の力にはなりたいと思っている。


「で、白河しらかわさんとはこれからどうするんですか?」

「……」

「普通に無視したな」


 江尻えじりさんがずばり切り込んできた。


「私も気になる~」


「私も私も!」


「鮮魚のお母さんにはちゃんと報告しないといけないよね~」


「俺もそこは気になるなぁ」


 鮮魚メンバーが好き勝手に言い始める……。


「四月から半同棲になる予定ですよ! 家賃もったいないから!」


「「「きゃーー!」」」


 うるさいなぁ! 女性陣の黄色い悲鳴をあげている!


「半同棲ってどういうことですか?」

「最初だからさ、お父さんお母さんもいきなりじゃ寂しくなっちゃうでしょう? だから、週に何回かは白河しらかわさんは自分の家に戻る予定。お互いのためにも最初はそのほうが良いって、白河しらかわさんの両親も言ってるから」

「へぇ~。じゃあそこまで行くと、その先も考えているってことですよね?」


 うっ……。

 江尻えじりさんがニヤニヤしながら俺のことを見ている。


「皆さんやりましたね! 見守り隊を結成したかいがありました!」


 江尻えじりさんの一言に、また席が笑い声に包まれる。


「それにしても、水野みずの君がアルバイトの子に手を出すとはねぇ」

「事実ではありますが、非常に言い方が悪い」


 小西こにしさんがムカつくくらいニヤニヤしている。


「ふんっだ! これからずっとこの仕事をやるかもしれないんだから、ちょっとくらい肩の力を抜いてもいいじゃないですか!」

「へぇ~」


 俺がりきんでそう言うと、小西こにしさんからは意外そうな声が出ていた。


「なんですか!?」

「いや、良かったなぁと思ってさ。前の水野みずの君ならそういうこと言わなかったじゃん」

「そ、そうですか?」

「だって水野みずの君、去年の年末が終わったあたりからずっとやめるタイミングを見計らってたでしょう?」

「……」


 急に小西こにしさんが真面目な顔つきになってしまった。


「……まさか知られちゃってるとは」

「もう何年もこの仕事をしているからね。そういう人間はなんとなく分かるようになっちゃったよ」

「すみません……」


 自分では上手くやっているいつもりだったんだけどなぁ……。

 どうやら小西こにしさんには見抜かれていたようだ。


「だから、私はチーフは優良物件だって言いまわってたのよ!」

山上やまがみさんのそれは絶対に嘘! 絶対に面白がってた!」


 山上やまがみさんが会話に混ざってきた……。


「チーフって意外にいじられキャラですよね」

「う、うるさいなぁ! 自分でも最近そうじゃないかなぁって――」


 ついには五十嵐いがらしさんにまでそう言われてしまった。


「あっ! 水野みずのさん! 主役が到着しましたよ!」

「主役?」


 俺たちがそんな話をしていると、急に江尻えじりさんが大きな声を出した。


 江尻えじりさんが急ぎ足で店の入り口に向かって行く。


 え? 今日の主役は俺じゃなかったの?


白河しらかわさん! 早く! 早く!」

「す、すみません」


 そ、そういうことかぁ……。

 江尻えじりさんに手を引っ張られて、汐織しおりがやってきた。


「なんでここにいるの!?」

「だって、大和やまとさんの送別会ですもん。顔くらいは出したいじゃないですか」

「自分のほうを優先しろって言ったのに」


 汐織しおりは制服姿のままだった。

 胸元には卒業のリボンがついていて、片手には卒業証書が入っている筒を持っている。


「はい! これは私たちからです! 二人ともおめでとうございます!」


 どこからか江尻えじりさんが花束を持ってきた。

 その花束を、小西こにしさんと山上やまがみさんが受け取って立ち上がる。


「さぁさぁ! 二人ともこちらに!」


 江尻えじりさんに汐織しおりと並んで立たせられる。


水野みずの君、今までありがとうね。リニューアル店舗で地獄を見てね」

白河しらかわちゃん、今まで頑張ってくれてありがとう。色んな意味でおめでとう!」


 小西こにしさんが俺に、山上やまがみさんが汐織しおりに花束を渡してくれた。


「ありがとうございます」

「皆さん、本当にありがとうございます!」


 汐織しおりと一緒に、みんなに頭を下げる。


 ――こんな仕事はやるもんじゃない。


 今でも俺はそう思っている。


 給料だって安いし、シフトの休みはいつだってパートさんが優先。


 みんなが喜ぶ大型連休は、俺たちにとってはただの苦しい繁忙期でしかない。


 当然のように早朝出勤だし、夜は発注や伝票の打ち込みがあるのでなかなか帰ることができない。


 でも、もう少しだけ頑張ってみようと思う。


 きっとそれだけの職場じゃないと思うから。


白河しらかわさんは、向こうでもアルバイトするの?」

「はい、そのつもりです!」

「今度はなんのバイトするの? 大学生だから色々やりたいよね?」


 汐織しおり江尻えじりさんが楽しそうに話をしている。

 いつの間にか随分仲良くなっているような気がするなぁ……。


「実はもう決めてまして……」

「えっ? なに?」

「それはですね……」


 一瞬、汐織しおりがちらっと俺の顔を見た。


「スーパーの値下げです!」


 汐織しおりは満面の笑みでそう答えていた。


 夕方にやってくるおばちゃん以外で、こんなに値下げを好きになる子はいないよなぁ……。


 俺ももっと自分の仕事を好きになれるように、見習わないといけないかもな。


「……ところで汐織しおり、最後に言いづらいんだけどさ」

「はい、なんでしょうか」

「実は今日、お客さんからクレームが来てさ……」

「クレーム?」

「昨日、刺身の値下げシールと切り身の値下げシール間違えなかった?」

「あ、あれ……? 今日が楽しみすぎて昨日の記憶があんまり……」


 二月最後の日。


 俺たちが正式に付き合う日の前日。


 最後の最後も、さんは値下げシールを間違えてしまった。











スーパー店員の白河さんは値下げシールをよく間違える 長編版


~FIN~




 












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あとがき



 この度はこの作品をここまでお読みいただき本当にありがとうございます。


 沢山の応援をいただき、なんとかこの作品をここまで書き切ることができました。


 誰かに楽しんでもらえる、そんな作品になれれば幸いです。


 最後になりますが、この作品の前日談を短編で公開してます。こちらもお読みいただけると嬉しいです。



「普通な私がスーパーの店員さんに恋をした話」

https://kakuyomu.jp/works/16817330669784463960



 ここまでお読みいただき本当にありがとうございました!


 お付き合いいただいた皆様に、最大限の感謝をお伝えしたいです。


 本当の本当にありがとうございました!


 またどこかでお会いできると嬉しいです。



作者:丸焦ししゃも

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