♯25 お盆商戦

 暑気払いが終わり、ついにお盆商戦がやってきてしまった。


 我々、鮮魚部門の朝は早い。


 俺、小西こにしさん、山上やまがみさんの、作業のメイン三人は今日から朝五時からの出社だ。


「じゃあ計画通り、今日は俺と五十嵐いがらしさんも刺身に入ります」

「はいはーい」

「さっさと計画数量を作って、今日は早く帰りましょう!」

「おっ」


 俺がそう言うと、山上やまがみさんからびっくりしたような声が返ってきた。


「チーフがそういうことを言うの珍しくない!?」

「そうですか?」

「うん、珍しいと思う」


 どういうイメージを持たれてるんだか……。

 割といつもそんな風に思っているんだけど。


「今日は白河しらかわさんに早出をお願いしました」

「おおっ」

「朝の値付けはミスの少ない五十嵐いがらしさんに任せようと思います。ほしさんは簡単な品出しをお願いしようかと。落ち着いたら、五十嵐いがらしさんには刺身をやってもらいますが」

「おぉ~」


 今日は、山上やまがみさんのまな板の隣に、俺が使うまな板もセッティングする。


 このまな板は、刺身専門のまな板だ。


「一人で全部抱え込まなくしたんだね」

「へ?」

「良い傾向だと思うよ。心配してたから」

山上やまがみさんは俺の親ですか」

「年齢的には親みたいなものでしょう。どうしたの? 心境の変化でもあった?」

「……」


 心境の変化かぁ……。


 そう言われると確かにあったかもしれない。




●●●




白河しらかわさん」

「は、はい……!」

「俺、白河しらかわさんとは付き合えない。は君の気持ちに答えることができない」

「えっ……?」

「あっ、ごめんごめん! そういう顔をさせたいんじゃなくて――」

「じゃ、じゃあどういうことですか……!? ぐすっ」

「俺は大人で、白河しらかわさんはまだ学生だから」

「そ、そんなの関係ありませんからっ!」

「だから、白河しらかわさんが高校卒業するまで待っててくれる?」

「えっ?」

「これから色々あるかもしれないけど、もし白河しらかわさんが値下げしないで待っててくれるなら――」




●●●




 この前の飲み会の帰り道、彼女とそんな言葉を交わした。


 どうなるか分からない異動の話はすることができなかった。


 ずるい言い方をしてしまったのは、自分でも分かっている。


 ――俺は間違いなく彼女に惹かれている。


 ずっと、こんな仕事はやるものじゃないと思っていたが、彼女と一緒に過ごすことで少しだけ毎日を前向きに過ごせるようになった。


「いえ、自分も成長しないといけないかなって。最近までは色々と諦めていたのですが」

「そっか。水野みずの君は、きっと良い責任者になれると思うよ」

「あ、ありがとうございます」


 いつもならチーフと呼ばれるのに、急に名前で呼ばれるものだからびっくりしてしまった。


水野みずの君はあんな風になっちゃダメだからね」

「あんな風?」


「あ゛ぁあああ! 朝からやってらんねぇええ! 荷物が多すぎる!」


 作業場の奥で小西こにしさんが暴れている……。

 勢いよく発砲スチロールの箱を放り投げている。


「まだお盆、一日目なんですけど」

「楽しく飲み会をやったあとって、ギャップでああなる人いるよねぇ」

「飲み会の意味を問いたくなっちゃいますね」


 こうして今年のお盆もスタートしたのであった。




※※※




「おはようございます! 今日も一日よろしくお願いします!」


 午後の二時を回ると、白河しらかわさんの出社する時間になった。


 お盆期間は、白河しらからさんの働く時間も長くしてもらった。


「おはよう白河しらかわさん」

「おはようございますチーフ!」


 今日も白河しらかわさんの元気な挨拶が聞こえてくる。


白河しらかわさん、早速こっちを手伝ってもらってもいい?」

「は、はい!」

「この刺身トレーにお刺身のツマを盛ってほしいんだけどさ」

「わ、私がですか!?」

「そんなに緊張しないで大丈夫だから! 盛り方を教えるし、後は刺身を切る人間が調整しながらやるから」

「わ、分かりました……」


 ツマの入った袋を持って、白河しらかわさんと一緒に作業台に並ぶ。


白河しらかわさんにはいつも値下げしてもらっているから分かるかもだけど、お刺身の何点盛りとか商品が売り場に出ているでしょう?」

「はい! いつも六点盛りとかが出てますよね!」

「そうそう、その一点ごとにツマを盛っていくんだ。でも、普通に大根のツマを置くだけじゃ立体的にならないでしょう?」

「立体的に?」

「うん、売り場のお刺身って切り口が階段みたいになっているでしょう? だからこんな風に、上が高くなるようにふわっと巻いて――」


 白河しらかわさんに実演を交えて、お刺身のツマの盛り方を教える。

 白河しらかわさんが真剣に俺の話を聞いている。


「……チーフ、チーフ」

「ん?」


 白河しらかわさんが、ふと誰にも聞こえないような小声で俺に囁いてきた。


「これ早く終わったら、お食事に行けそうですか?」

「……今、行けるように頑張っているところ」

「じゃあ私も頑張りますねっ!」

「仕事の進捗次第だからね」

「はい、私も頑張りますので」


 ……あの夜の白河しらかわさんの答えはこうだった。



(私、ずっと待ってます! それまで値下げしないで待ってますから! これからもっとチーフに好きになってもらえるように頑張りますから!)



 俺も白河しらかわさんに幻滅されないように頑張らないとな。


 ――そして、今度はその言葉を俺から彼女に言えるようにしないと。


「……ところでほしさーん」

「はいは~い」

「そこの作業が終わったなら、刺身のツマの盛り方教えますのでこっちに来てください」

「いきなりチーフが厳しくなった!」

「手持ち無沙汰にうろちょろしているからですよ! 作業が終わったなら言ってください! 仕事は山ほどあるんですから!」

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