♯17 土用丑の日の鮮魚部門

七月の下旬



 丑の日当日がやってきた。


「じゃあ、皆さん宜しくお願いします! 今日は鮮魚部門が主役になる日です。みんなで力を合わせて乗り越えましょう」

「お~!」


 値付け担当のほしさんの掛け声が聞こえてきた。

 いや、そこは別に求めていなかったんだけどさ!


「じゃ、じゃあ小西こにしさんは切り方が終わったら鰻のほうを手伝ってくださいね」

「りょうかーい」


山上やまがみさん、今日のお刺身は最低限で大丈夫です。鰻しか売れない日ですので」

「はいはーい」


五十嵐いがらしさんは俺と一緒に、売り場の管理とパック詰めをお願いします」

「分かりました」


ほしさんは……」

「は~い!」

「いつも通り値付けをしてくださいっ! いや、いつも通りじゃダメですけど! 絶対に国産と中国産は間違えないで下さいよ!」

「私だけ指示が多くない!?」


 今日の鮮魚部門はフルメンバーだ。

 シフトの関係で、こんな風に全員が揃うことは滅多にない。


 それに加えて、今日は遅番の白河しらかわさんが午後一で出社する予定だ。


 人員配置は盤石。

 売り場の計画も、飾り付けもしっかりとやった。


 あとはしっかり商品を売り切るだけだ!




※※※




「チーフ、今日は売れてる?」

「今のところは前年通りですね」


 午後になると、小西こにしさんが突然俺にそんなことを聞いてきた。


 店の売り上げは、事務所に置かれているPOSポスが入ったパソコンで確認できる。


 POSとは販売時点情報管理システムのことで……。


 って、俺も詳しいことはよく分からない!


 とりあえずレジと連動していて、売り上げがリアルタイムで反映されるソフトみたいなやつだ。


 日々の売り上げや予算の進捗状況がグラフで確認できたりする。


「珍しいですね、小西こにしさんが売り上げを気にするなんて」

「いや、一応はちゃんと毎日見てるからね」


 こんなことを言い始めるということは、小西こにしさんの手が少し空いていることだ。


(前日に準備しすぎたかなぁ……)


 土曜丑の日は、前日の準備が全てと言っていいと思っている。

 売り場の平台はうなぎ一色にして、暖簾やPOPで売り場を演出する。


 鰻のパック詰めも準備できるところは、全部前日に一人で準備をした。


 朝も言ったが、丑の日は鰻しか売れない日だ。


 だから手のかかる刺身はあまりやらなくて済むので、お盆や正月などと比べて断然作業的にはラクだ。


「こんにちはー! 今日も一日宜しくお願いします!」


 そんなことを考えていたら、お願いしていた白河しらかわさんが出社する時間になってしまった。


「おっ、今日も可愛いね!」

「は、はぁ……?」


 白河しらかわさんがとても困った顔をしてる。

 小西こにしさんが、開口一番で余計なことを言っている。


「おはよう、白河しらかわさん。それで早速なんだけど――」


「もー! ほしさんのせいでどっちがどっちだが分からなくなったじゃん!」

「そんなに怒らないでよ五十嵐いがらしさん~」


 白河しらかわさんに指示出しをしようとしたら、三十代と四十代のお姉さまが揉めている声が聞こえてきた。


「な、何があったんですか!?」

「チーフ! せっかく鰻の試食を切ってたのに、ほしさんがごちゃ混ぜにしちゃったの!」

「ごちゃ混ぜ?」


 五十嵐いがらしさんの手元にはサイコロ状に切られた鰻が置かれていた。

 これから白河しらかわさんにやってもらう試食の準備をしていたらしい。


「ま、まさか……」

「うん、国産と中国産が混ざっちゃった」

「あっちゃー」


 結構なことをやっちゃってました……。

 試食の鰻も計算してやってたのに!


「ほ、ほしさん、何故にそんなことを!?」

「だって、みんな同じに見えたんだもん」

「それは俺もよーく分かりますけど!」


 国産と中国産の鰻蒲焼。

 多分、無条件でどっちかを選べと言われたら、ほとんどの人が国産を選ぶと思う。


 美味しくないとか、泥臭いとか、そもそも安全性に問題があるとか、そんなイメージを中国産の鰻に持っている人が多い。


 昔はそういうこともあったらしいけど、今は検査が厳しくなり品質的には全く問題ない状態で出荷されている。


 正直、見た目だけなら国産と中国産の違いなんて分からないと思う。


 ましてや、こんな切られた状態で判別するなんて絶対に不可能だ!


「仕方ないですね。売り場の鰻を――」

「チーフ! チーフ!」


 こ、小西こにしの親父が急に俺たちの会話に混ざってきた。

 すさまじく嫌な予感がする。


「折角だから部門内で食べ比べをやろうよ! 俺たちが味を知らないのは良くないでしょう?」


 小西こにしさんの目が悪戯小僧みたいになっているのが分かった。




※※※




 ホットプレートの上で鰻がジューと音を立てて焼きあがっていく。


「私のおかげで鰻が食べられて良かったね、白河しらかわちゃん」

「あ、ありがとうございます」


 ミスした星さん張本人が、白河しらかわさんにそんなことを言っている……。白河しらかわさんもお礼を言っちゃってるし。


「国産と中国産の味比べだからね。お正月にやっているアレみたいにさ!」

「格付けのやつですよね……」

「そうそう!」


 小西こにしさんの遊びが始まってしまった。

 この親父、絶対に分かってやっているな……?


 中国産と国産の味の違い?


 そ ん な の 俺 に も 分 か ら ね ー よ !


 だって一番味を感じるのがタレじゃんか。

 タレの味なんてみんな一緒だし。


 だけど、去年俺がやった食べ比べ企画だとこういう反応が多かった。



(こっちが国産で、こっちが中国産です! 良かったら食べ比べをしてみて下さい!)

(もぐもぐ……。うん、やっぱり国産のほうが脂がのってて美味しいねぇ!)



 ほとんどのお客さんがこんなことを言っていた。


 ほ、本当に分かっているのかな……?

 俺は、中国産のほうが身が太いから、中国産のほうが脂はのっているものだと思ってたんだけど……。


「あら、面白そうなことやってるわね」


 俺たちがホットプレートを取り囲んでわちゃわちゃやっていると、お刺身担当の山上やまがみさんもこちらにやってきた。


「これから鰻の食べ比べをやろうかと……」

「あー、鰻の味なんて――」


 山上やまがみさんが何かを言おうとすると、


「ばっぱは黙ってろ!」

「ば、ばっぱって!? なによ! その言い方!」


 小西こにしさんがそれを制した。


 ばっぱって……。

 たまーに小西こにしさんはこういう方言? を使うことがある。

 ちょっと乱暴な言い方で“ババア”って言っているよう感じだと思う。


「ほら、ほしさん。五十嵐いがらしさん! これは国産だから美味しいやつだよ!」

「さすが小西こにしさん! 見ただけで分かるんですね!」

「ふふんっ、この仕事、何年やってると思ってるんだい」


 あーあー……。

 あっさり三十代と四十代の女性たちが、五十代の親父に騙されている。


 絶対に、ぜっーーーたいに小西こにしさんにも判別できていないと思う。


「もぐもぐ! うん、やっぱり国産は美味しいですね!」

「ですね! やっぱり違いますね!」


 うわっちゃー……。

 五十嵐いがらしさんとほしさんがそんなことを言っている。


 も、もしかしたら今食べたのは中国産かもしれないのに……。


「くくっ……!」


 案の定、小西こにしさんはその様子をニヤニヤしながら見ているし。


「ほら、白河しらかわちゃんも食べてみろって!」

「は、はい!」


 白河しらかわさんまで、小西こにしさんの毒牙にかかってしまった。


「……もぐもぐ」

「どう? 今食べたのは国産だよ?」

「とっても美味しいです!」

「じゃあこっちは中国産だから食べてみて!」

「はい!」


 性格悪いなぁ、この親父。


(……)


 でも、面白いからもうちょっと見てみよう!


「どう? 美味しい?」

「はい! とても美味しいです!」

白河しらかわちゃんはどっちが美味しいと思う?」

「うーん……?」


 まぁ、そういう聞かれ方をしたら国産のほうが美味しいって普通は答えるよなぁ。

 国産の方が値段も高いわけだし。


「あははは……私、馬鹿だからどっちがどっちだか分かりませんでした。すみません」

「なにぃ!?」


 白河しらかわさんが、小西こにしさんのトラップを見事に回避した!


(……ぷっ、本当に馬鹿正直なんだから)


 そのやり取りが、実に白河しらかわさんらしいなぁと思ってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る