♯15 白河さんはメールがしたい

「いいよ」

「えっ?」

「丑の日が終わったあたりでどう? お盆近くになると忙しくなっちゃうから」

「わ、私はもちろんかまいませんがいいんですか!?」


 誘ってきた本人が何故か驚いた声が出している。


「自分から聞いてきたくせに、なんでびっくりしてるのさ」

「ま、まさかこんなにあっさりいくとは思っていなかったので……」


 あ、あっさりって……。

 どんなに高い壁だと思われてるんだ俺。

 

「でも本当にいいんですか!?」

白河しらかわさんさえ良ければだけどね」

「わ、私はもちろんですが!」

「今度はちゃんとお出かけしようね。あっ、親にはちゃんと言っておいてね」

「親?」

「もし遠出するようになったら心配すると思うから」

「チーフは真面目ですね……」


 俺の言葉に、白河しらかわさんがとても楽しそうに笑っている。


「でも大丈夫です! お母さんはもう知っているので!」

「知っている?」

「あっ! い、いえ……」


 俺がそう言うと、白河しらかわさんが急に言葉を詰まらせてしまった。


「あ、あの……えっと……」

白河しらかわさん?」

「そ、その話は追々できればいいなぁ~と……」

「そっか」


 よく分からないけど、白河しらかわさんがそう言うのなら追及はしないようにしよう。


 それに今の俺が聞いてはダメな話のような気もするし……。


「どこに行くか考えとかないとね」

「私、行きたいところが沢山あります!」


 白河しらかわさんがとても楽しそうにしてくれている。


 ……白河しらかわさんはアルバイトなので知らないと思うが、うちの会社は秋口と正月明けに大きな人事異動がある。


 時期的には、お盆商戦と年末商戦が終わって、少し落ち着いたから内示が出る。


 俺たち社員は、大体三年~四年で他の店舗に異動する人が多い。


 俺がここの店舗に着任してから、もう二年目だ。


 ないとは思うが、こればっかりは本部の人間にしか分からない。


(それに――)


 白河しらかわさんはどうするんだろう?


 高校生アルバイトは、大体高校三年の夏休み前にやめるケースが多い。

 受験や進路のことを考えなければいけないからだ。


 白河しらかわさんは今、高校三年生。


 この前はしばらくやめる予定はないと言っていたが、本当に大丈夫なんだろうか。


 ……丑の日に仕事をお願いした俺が言えた口ではないけど。


「ふふっ、今度は何着てこうかなぁ~」

「普通でいいのに」

「普通だとジャージになっちゃいます……」

「それでもいいのに」

「それは私が嫌です!」


 そんな俺の心配とは裏腹に、白河しらかわさんは心底楽しそうに笑っている。


(今度、出かけたときに聞いてみようかな)


 仕事や俺のせいで、白河しらかわさんの今後の可能性を潰しちゃいけないもんな。


「そ、それでチーフ……」

「どうしたの?」

「作業場だと、中々こういうお話ができないので――」

「そう? 夕方は二人きりだから結構しているような?」

「そ、そうなんですが! そうではなくて!」

「そうではなくて?」

「わ、私、家に帰ってからもチーフにメールを送ってもいいでしょうか……?」




※※※




「今日も疲れたー」


 夜の九時。

 仕事を終えて、家に着いた。


 今、俺が住んでいるのは店の近くにある1Kの普通のアパートだ。


 白河しらかわさんの出社時間は、夜の八時まで。


 遅番の白河しらかわさんの作業が終われば、ほとんどの作業が終わりなので、大体は俺も帰宅できるようになる。


「いっつも売れ残ってんなこれ」


 70パーセント引きにされたお弁当にちびちびと箸をつける。

 決まって夕食は、惣菜の売れ残りの商品だ。


 白身魚のフライ弁当かぁ……。


 一体、なんの魚を使っているんだろう。

 そもそも油がベトベトしていてイマイチだし。


「仕事やめたいと思ってないかぁ……」


 山上やまがみさんにそんなことを言われてしまったのを思い出す。


 就職して、最初の二年はがむしゃらに働いた。

 同期の仲間たちと、あぁでもないこうでもないと言い合いしながら仕事をするのは楽しかった。


 周りの人たちにも恵まれていたと思う。


 最初に俺の上司になった人は、本当に優しい人だった。


 鮮魚部門は“魚を切る”という技術職でもあるので、上司と部下の関係は、ある意味師匠と弟子の関係になるとも言える。


 これは他の部門とは少し違う所かもしれない。



(お前は俺と一緒で不器用なんだから! 数こなして上手くなれ!)



 口調は荒い人だったけど、ものすごく面倒見の良い人だった。

 厳しい言葉の裏には、優しさがある人だった。


「なんで、やめちゃったんだろう……」


 ある日、その人は唐突に仕事をやめてしまった。


 悪意のある噂ばかりをする人たちが嫌になってしまったのか。

 それともブラックすぎる職場に嫌になってしまったのか。


 ……あるいはその両方か。



ブブブブ



 そんなことを考えていると、ふと携帯の振動音が聞こえてきた。


「あっ! マナーモードにしたままだった!」


 ベッドの布団の上に放り出していた、携帯の画面を覗き込む。



“お疲れ様です! 今日もお仕事楽しかったです!”



 白河しらかわさんからメールが届いた。


「ぷっ、楽しかったって」


 部屋には一人にしかいないのに、思わず笑ってしまった。

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