無限に発散するエッセイ

あq

2023-11-28

 実家に帰っている。病状はそこまで悪くないが、全ての進捗は生まれておらず、ただそこにいるだけの日々が続いている。向精神薬が残り少ないので、またもらいに行かねばならない。


 僕は今母親の前では酒を飲まない。献身的な母親の前では、僕はよくなろうとしている真似をする。

 しかし実際、僕はそこまでよくなろうとしていないと思う。僕にも元気になりたいという気持ちはある。でもそれと反対に、今僕の見ている世界が脳の不良が起こす誤りであるとは認められないとも思う。世界と僕がこんなに醜いのは、ただその通りであるからであって、僕の見方が間違っているわけではない、そう思わなくてはやってられない、そういう気持ちが、確かにある。


 それでもひとまず爪を噛むような無為な日々は捨てねばならないと思って、最近は朝の十数分を走ることに費やしている。セロトニン神経の活性化を促すには朝日を浴びるようにして走るのがいいらしいが、僕は専ら日の登り切らない薄暗い道を走るのが好きだ。人の暮らしを感じると疎外感を覚えてしまうから、なるべく人のいない時間を選ぶ。

 そして日中は、ずうっと寝ている。これまた、母親には隠れて寝ている。日中に何か物事を進める習慣をつけるようにと、耳の痛くなるほど言われているから。

 夕方になると母親が仕事から帰ってくる。食事の支度の手伝いをする。母親は仕事で疲れているというのに、揚げ物を始めたりする。僕は油の番をしながら猫を眺めたり今日の勉強の進捗について嘘をついたりする。

 夕食を食べ終わると、風呂に入ったら、あとは何度も見たYouTube動画を聴こえないほど小さな音量で流しながら、また眠る。

 こんな生活では、よくなるものもよくならない。わるくならないものもわるくなる。分かっている。でも、僕は本当に、気力の足りなさを解決するためには気力が必要だと思ってしまっている。なんとなく間違っている気がするけれど、代わりの答えも見つからないからとそのまま提出してしまった日から、ずうっと僕は気力の足りなさを気力の足りなさのせいにしている。


 僕は、美しいひとを知っている。彼女は僕には決して手に入らぬ美しさであるけれど、僕は手に入ったとしたらどんなによいだろうと思っている。彼女はただそれだけで価値があるというのに、未来だの可能性だのと考慮しなければ価値を定められない僕の心は本当にしようもない。

 彼女のことは、日がな一日考えるということはない。たまに考え、ああ美しいなと思い、また忘れる。なぜなら、なんと彼女は美しいと考える時、同時に自分は何と醜いことかと思い至り、それに耐えることができなくなるからだ。

 彼女は、ただ自ずから美しい。僕は、他者とみくらべて醜い。こんな方法では、僕はいつまでも醜いままだろう。

 そんなことを思いながら、今日も人に出会いませんようにと怯えながら走っている。

 

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