55話 探訪

 私の名前は向田 安江。

 とうとう私は入ったことも無い高校に足を踏み入れてしまった。

 というのも、今日ここの文化祭のライブで、私の娘が歌うらしいのである。なんで自分の高校でも無いのに歌を歌うのかは知らないが、娘に歩み寄ろうとしても空回りばかりだ、 だから私はこの場所に来て娘の歌を聞いておきたいと思ったよ。

 学校の敷地内に入ると、何処も賑やかで私には少し苦手な雰囲気である。ライブが始まるまで、まだまだ時間があるが一体何をして時間を潰そうか?

 そうこう考えながら歩いていると、人気の無い中庭に来てしまったので、缶コーヒーを一つ買って、ベンチに座ってそれを飲みつつ気を落ち着けよう。

 缶のブラックコーヒー、普段こんな物は飲まない。ちゃんとコーヒーメーカーでドリップしたコーヒーじゃないと美味しく感じられないからだ。コーヒー飲料というだけのことはあり、コーヒーとは似て非なる存在である。

 本物には本物の、偽物には偽物の価値があるというが、やはり本物が一番だろう。そういう考えだから、娘がロックバンドをやっていると聞いた時、私は大いに反対したのである。娘には本物の、真っ当な道を選んで欲しかったから。勉強が嫌いだからといって、偽物の夢を追いかけて逃げて欲しく無かったから。何より私の期待に応えて欲しかったから。


「おばさん、人に期待し過ぎなんじゃない?」


 とある少女からそう言われた時、内心ドキッとした。確かに私は邦美に期待しいる。期待し過ぎているぐらいに。邦美の成績を見て自分のことの様に一喜一憂していた。娘に良い暮らしをさせたいという思いも確かにあったのかもしれないが、もしかすると自分の自己満足の方が大きかったのかもしれない。それに気づかされたから歩み寄ろうとした。しかし、上手く行かないモノで娘からは拒絶され途方に暮れていた。

 だから娘がこの文化祭に私を誘ってくれた時は大いに驚いたわ。


「マ・・・お母さん、ここで私歌うから、良かったら聞いてくれない?」


 たどたどしくそう言って、ここの文化祭に紙を渡すと、足早に邦江は自分の部屋に戻って行った。娘が何を思って誘ったのかは分からないが、ここで行かなければ一生私達は分かり合えないと感じた私は、迷うことなくこの文化祭に行くことを決めたの。

 さて、娘の歌を聞いて私はどうすれば良いのか?それが目下の悩みであるが、聞いてみないことには何も始まらないことも分かっている。


「あっ。」


 不意にそんな声が聞こえて、私が目線をそちらに向けると、白装束の幽霊みたいな恰好をした女の子が缶コーヒー片手に立っていた。

 よく見るとおでん屋で見かけるあの少女だわ。


「おばさん来たんだね。となり良いかな?」


「どうぞ。」


 なんで白装束なの?と聞いてみたかったが、ここは高校の文化祭なのだ。どんな奇抜な格好をしていてもおかしくない。大方、幽霊屋敷でもやっているのだろう。

 二人並んでベンチに座って、しばらく無言で缶コーヒーをすすっていたけれど、私の方から話を切り出した。


「私の娘がここでライブするみたいなの。だからやって来たわ。」


「あー知ってる。」


「知ってるの?」


 まさか娘のことまで知っているとは思わなかった。やはりこの子は只者じゃないのかもしれない。


「実はアンタの娘さんのバンド仲間がこの学校でね。たまたま、あんたと娘さんのことで相談されたんだよ。世間て狭いよな。」


「そうなの?それは凄い偶然ね。」


「そんで、駅前にあんたの娘さんの歌を聞きに行ってみたけど、結構良い歌を歌ってたぜ。」


「そう。でも良いか悪いかは今日聞いてから判断するわ。」


「ふーん、まぁ、それもそうだな。」


 ぐびりと缶コーヒーを飲んで、フーッと美味しそうな溜息をする少女。よくこんな水っぽい飲み物が美味しいと感じられるものだ。

 私は質問せずにはいられなかった。


「あなた、缶コーヒー好きなの?」


「そうだよ。普通のコーヒーも好きだけど、この手軽で飲みやすい感じが大好きだね。」


 ・・・考え方の違いなのかもしれない。彼女の意見を聞いた後、缶コーヒーを一すすりすると、さっきより美味しく感じられたのは気のせいなのだろうか?

 ・・・分からない、この歳になっても人生分からないことばかりだわ。

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