第212話 運命の曲がり角
11時33分。
「カーチャさま! カーチャさま!」
『
シロナがいくら呼んでも揺すっても。
艦長席に沈み、デスクに両足を掛け、顔面に軍帽を被る、
早い話、居眠りのカーチャは完全無視。
目を覚ます様子がない。
が、
「元帥閣下!」
「どうした」
副官が声を上げた瞬間、ゆっくり体を起こしながら返事をする。
「あぁ! 私が声掛けてもがが!」
抗議の声が報告の邪魔である。
カーチャは少女の顔面を雑に手のひらで抑え、黙らせる。
「報告して?」
「あ、はい」
一瞬ドン引きで思考回路を喪失した彼だが、すぐに自身の使命を取り戻す。
「エポナ艦隊、転進!」
「んだと?」
「方向は……惑星ロービーグス! 我々の本拠地を叩く模様!」
「なろー……!」
露骨に歯噛みした彼女は、デスクに拳を落とす。
「我々も反転! 追撃しろ!
その気迫に、シロナは首を傾げる。
「あれ? でもそれじゃあ、向こうはこっちとの衝突を避けたってことですよね?」
その抜けた声の呟きに。
椅子から腰を浮かし、デスクへ両手をついて乗り出すカーチャが勢いよく振り返る。
「ひいっ!」
目を見開いた形相に、シロナは小さく悲鳴を上げる。
驚きとか『そうか!』みたいなものではなく、単純なガン飛ばし。
血走った目にビビりつつ、
「だ、だから、こっちの思惑どおりなんじゃない、か、って。ほら! 『身内の潰し合いはしたくない』ってカーチャさまおっしゃってたし! そのために私たちこうやって」
それでもなんだかんだ、意見は述べきるのが彼女のいいところだが。
「残念ながら、まったくもってそうじゃないんだな、これが」
「えっ」
返ってきた返事は、言葉選び自体は軽くも声色が平坦。
静かな圧を孕んでいる。
「いいかいマコちゃん、よぉくお聞き。だったらなんで私たちが、戦闘する気もないのにわざわざ迎え討って出るのか」
「は、はい」
カーチャは自身を落ち着けるように、キャンディボウルへ手を突っ込む。
「それは、勝たずとも、倒さずとも、お互い損害を出したくなくとも。敵の侵攻は食い止めなきゃいけないからさ」
取り出したのはラムネ味のロリポップ。
もう半日に及ぶ戦闘で、彼女はずっとキャンディしか食べていない。
まぁ何も食べていない連中もいるのだから、それに比べればいい方だが。
「まず何をおいても、敵に本拠地ディアナへ到達されちゃあいけないんだ」
カーチャは包装を剥がさず、丸いキャンディ部分で両目のあいだを抑える。
本心はともかく、少し苦しく悩むように見えるポーズ。
「本丸
「た、たしかに、先にやられてますし、あるかも?」
シロナが要領を得ると、カーチャもようやく包装を剥く。
「だから無視されると、私たちは必ず追わなきゃならない。仕留めなければならない」
そのまま口へ、右頬のあたりへゆっくり収めると、
「つまり、意地でも戦闘に持ち込まれるってことだ」
「それってカーチャさまが避けようとしてた……」
「そう」
かろっ、と、彼女の口の中で大玉のロリポップが音を立てる
のも束の間、
「それも追撃戦なんていう、たっくさん人が死ぬ戦況にしてまでな!!」
バリッ! という音。
カーチャがキャンディを奥歯で粉砕したのだ。
シロナの耳にその音が届いた直後、
「そうまでして殺し合いがしたいかバーンズワース!!」
ロリポップの残った棒が、カーチャの口から吹っ飛ぶ。
キャンディを噛み砕いた時にやられたのだろう、少し曲がっている。
その激しさと怒りを爆発させた勢いのまま、彼女は艦橋中に響く大声を発した。
「艦隊、急げよ! 先へ進ませるわけにはいかない!! お望みなら今すぐに、この小惑星ベルト内で捉えて潰すぞ!!」
「シルヴァヌス艦隊、回頭中! 追撃してくる模様!」
気迫は滲み出て、物理法則を超えて伝わるものなのだろう。
『
「来たか」
対するバーンズワースは艦長席で腕を組み、微動だにしない。
そのまま声を張ることもなく、言い含めるように指示を飛ばす。
「第五戦速。ゆっくり落とせよ。艦隊には再度『手筈どおりに』と念押しを」
「了解! 第五戦速!」
彼は糸目で、元来目が開いているかなど他者には分からない。
が、今は人知れず瞑目している。
そうして神経を研ぎ澄まし、微細に伝わる艦体の振動を。
戦う者たちの命の震えを感じながら、
「勝負だ。頼むぞ」
バーンズワースは天井を仰いだ。
11時58分。
「閣下! エポナ艦隊最後尾、間もなく射程内です!」
シルヴァヌス艦隊が敵を捉えるのに、あまり時間は掛からなかった。
「よし。こちらも鋒矢陣だ。このまま突き破ってやれ」
しかし『
「意外に早く追い付けましたな」
「うん」
腕組み足は肩幅、仁王座りとでも言うべきスタイルの彼女の隣、副官が呟く。
シロナは緊張でものも言えない。
「でも、攻撃はまだだ」
「ですな」
彼女らの視線の先。
モニターにはエポナ艦隊と、
小惑星帯が見える。
今まで自身が小惑星帯を使ってエポナ艦隊から逃れていたのだ。
無論、立場が変われば敵も同じことをする。
が、重要なのはその速度。
敵が不規則に現れる小惑星に足を取られても、自分たちはリサーチ済みの庭。
バーンズワースたちがこの陰に入ったところで、距離を稼げるわけではない。
射程内に入ったなら、せいぜい一回こっきりの射線切りにしかならないのだ。
少し猶予が延びただけ。
「次の曲がり角が勝負だ。総員、食パン咥えとけよ。ジャムも忘れるな」
カーチャの、言葉選びこそ軽口だが、圧のある声。
何がなんでも衝突を選んだバーンズワースに対する怒りの籠った声。
クルーたちも冷たい緊張を覚えたらしい。
威勢のいい雄叫びではなく、触れれば火花が飛ぶような空気感を返す。
シロナが一人、永遠にも思えるプレッシャーの渦に曝されているあいだに、
エポナ艦隊が小惑星帯の陰に入り、ややあってシルヴァヌス艦隊が続く。
運命の曲がり角を越えて、いざこの勝負、皇国の運命の分かれ道
というところで、
「おおっ!」
カーチャの目に飛び込んできたのは
「まずは私と、踊ってもらおうか」
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