第173話 元帥として

「アンヌ=マリー!?」


 シルビアの絶叫も束の間。

 強烈な一撃を喰らった『我が友よ戦士たちよウォリアーズジョイナス』は、






「ぐおおおおお!!」


 大きな揺れに見舞われつつも、


「閣下! ご無事ですか!!」

「あぁ、卿も無事そうだな。それにしてもドルレアンめ、めちゃくちゃ……」

「閣下!!」

「なんだ」



「艦が、動きます! 現状より離脱可能!!」



「おお!!」



 衝突された部分から、『悲しみなき世界ノンスピール』の拘束より解放された。


「機関全速! 退避ーっ!!」


 自由を取り戻したコズロフは一転、生き残るための動きを始める。

 この艦は自分一人の命ではない。生き延びれるに越したことはない。

 何より、アンヌ=マリーが英雄的行動によって救い出してくれたのだ。

 そのうえで死に急ぐのは恩知らずにもほどがある。






 また、この動きによって。


「くっ、コズロフが逃げる!」


 千載一遇のチャンスが逃げていく皇国側ではあるが。


「閣下! 追撃を!」

「え、えぇ!」


 彼が自爆し、少しでもシルビアを地獄へ引きずり込もうとしていたこと。

 知るよしもなかろうが、その脅威が未然に防がれたのである。



 敵も味方もなく、両者の魂を救わんとする行為。

 まさに聖女、アンヌ=マリーらしい行動である。



 が、



「よぉし! 艦隊!」

「あっ!? ちょっと待ってカークラ」



ーっ!!」



 この時交錯したのは、艦体だけではなかった。

 何より大きく交わったのは、運命の綾。



 シルビアの援護に駆け付けた艦隊。

 彼らが、動かない相手への精密射撃を命じられていたこと。

 その集中が『主の庭は満ちたりヘヴンフィル』の突撃で大きく破られたこと。

 目の前の光景に、少なからず動揺があったこと。

 動かないと思っていた敵が逃げるところを撃たねばならず、照準に慌てたこと。


 それらの要因がいくつも重なり、



 放たれた軌跡の幾筋かが。






 割り込んでいた『主の庭は満ちたりヘヴンフィル』へ突き刺さった。






「あっ」


 シルビアが漏らした声は、自身でも驚くくらい間抜けなものだった。

 それを実感しているあいだにも。


主の庭は満ちたりヘヴンフィル』は黒煙を吐き。

 追撃もないのに体中で暴発を繰り返し。

 艦橋は根元が吹き飛び、揺れて崩れて傾き。

 制御を失い、流れるように目の前を通り過ぎていく。


「あっ、あっ、あああ」


 思わず椅子から立ち上がり、デスクに両手をついていた彼女だが。

主の庭は満ちたりヘヴンフィル』が遠くなるにつれて、膝が折れて床についた。


「嘘よ、嘘、嘘」


 そのままデスクの陰へ収まるようにしゃがむシルビアへ、


「か、閣下」


 カークランドが迂闊に声を掛けた瞬間。


「副官っ! 艦を今すぐ『主の庭は満ちたりヘヴンフィル』のところへ向かわせなさい!!」


 さっきまで泥のように崩れていた彼女が、急に烈火のごとく吠えたてる。


「なっ、なんですと!?」

「救助よ! 今すぐにアンヌ=マリーを救助するのよ!!」

「敵将ドゥ・オルレアンをですか!?」

「当たりまえでしょ! 人として当然でしょうが!! 私何かおかしなこと言ってる!?」


 シルビアは勢いに任せて、カークランドの襟をつかむ。

 彼はその手首をつかみ返しつつ、眼を逸らす。

 相手は上官、体格さで首も絞まらないだけに、払っていいか困っている。


「いえ、人としては……。ですが、今はまだ戦闘中です。周囲に敵も多い状況でそのような」


 はっきり否定しないのは、彼なりの情けか。

 ユースティティアでの会談などで、ある程度仲を察し、気を遣ったのだろう。


 だが、今のシルビアにそれを汲み取るだけの余裕がない。

『話していても埒が開かない』というふうに副官を突き放すと、



「操舵手! 何ボサッとしてるのよ! 早く向かいなさい!! 命令よ!? 聞こえてないとは言わせないわよ!!」



「はっ、はっ!」


 もはや八つ当たりに近い言葉。

 反射的に従う返事をした彼だが、指揮としておかしいのは分かっている。

 困ってしまったところへ、カークランドが降りてきた。

 彼は耳元で囁く。


「気にするな。向かうだけ向かえ」

「し、しかし」

「どうせ、だ」

「はっ!」


「最大戦速!!」

「はっ! 最大戦速!」

「『主の庭は満ちたりヘヴンフィル』に通信を繋ぎなさい!!」


 追い立てるようなシルビアの声で、艦が『主の庭は満ちたりヘヴンフィル』へとすっ飛んでいく。

 事実として、ぐんぐん距離は縮まっているのだが。


「何よ、ボロボロでエンジンも動かなさそうなのに! ずいぶん速く遠く流れてない!?」


 彼女の焦りは速い。


「神さまとかいうのが嫌がらせしてんじゃないでしょうね! 通信手! まだ

主の庭は満ちたりヘヴンフィル』とは繋がらないの!?」

「はっ! 何分なにぶん敵艦の」

「敵じゃない!!」

「ひっ!」


 イライラのあまり帽子が投げられ、艦橋最上段から下まで落ちてくる。


「へっ、『主の庭は満ちたりヘヴンフィル』の損傷が激しく……! 通信機能を喪失したか、少なくとももう少し近付かないことには」

「くっ」


 艦長席の椅子を蹴るシルビアへ、


「閣下」


 カークランドは帽子を拾い上げ、静かに声を掛ける。


「そうイライラされるものではありません」

「何よ!」


 彼は急ぎもせず、ゆっくり彼女の元へ向かう。


いかっても叫んでも物理的なものは変わりません。奥歯がすり減るだけです」

「分かってるわよ!」

「それだけではありません。あなたは元帥です」


 ついにシルビアの目の前まで来ると、丁寧に帽子を被せる。

 今言った立場を自覚させるように。


「あなたが苛立てば苛立つだけ。あなたは冷静な判断を失い、うまくいくものもうまくいかなってしまう。部下は萎縮し、指先が震えてしまう」


 はっとしたシルビア。

 彼女が艦橋内、眼下を見回すと、


 クルーたちが振り返って、彼女を見つめている。

 皆一様いちように、怯えてしまい、不安になってしまい、


 取り乱した彼女を心配している。


 彼らを攻撃してしまうなど。

 指揮官として裏切りである。


 彼女の脳裏に、カーチャやジャンカルラが浮かぶ。

 ジョークや軽い物言いを好む彼女ら。

 それがどれだけ人を安心させるか。



 私、『あの人たちみたいになりたい』って、思ってたんじゃないの。



 今までに出世こそしたが、


 私、まだまだだわ。


 己の未熟さを感じた彼女は、


「みんな、ごめんなさい。取り乱して、ひどい言動だったわ」


 クルーたちへ深く頭を下げた。


「心より謝罪します。だから、どうか許して、そして、今一度力を貸してほしい」


 ゆっくり頭を上げると、そこには、



「「「「「イエッサー!!」」」」」



 明るい笑顔で敬礼する仲間たちの姿が。


「ありがとう……!」


 シルビアが和解を成し遂げつつ、隣で腕組みニヤニヤしていた副官の脛を蹴っていると、


「艦長!」


 通信手が一際明るい声を出した。


「何?」



「『主の庭は満ちたりヘヴンフィル』と通信繋がりました!」



「本当!? スピーカーに回して!」

「はっ!」


 答えるや否や、通信手が操作すると、


「うっ!」


 ひどくザラついた音、ノイズが艦橋内に流れる。

 向こうの通信機が損傷していたり、艦内で今も爆発が起きているのだろう。

 それでもシルビアは、届くと信じて声を張り上げる。



「アンヌ=マリー!!」



 すると、



『おや、その声は。シルビアさん、ですね?』

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