第153話 それでも時代は進む
「あ、お帰りなさい。早かったですね」
そのままシルビアが向かったのは、宮殿内の迎賓館、客室の一つ。
ドアを開けると、そこを宿にもらった少女がベッドに座り、本を読んでいた。
「リータ」
「きゃっ!?」
対するシルビアは。
消え入りそうな声とともに真っ直ぐ彼女の元へ向かい、思い切り抱き付き、
ベッドに押し倒す。
「ちょ、ちょっとシルビアさま!?」
「帰ってきたんじゃないのよ」
「えっ」
この人、泣いてる。
リータは声や体の震えより、自身の腹に顔を
「逃げてきたの」
続く告白は、やはり濡れていた。複数の、とても明るくはない感情に。
シルビアが冷たい顔と声だったのは。「見苦しい」と切り捨てたのは。
何もショーンを心底見下し
ただ、怖かった。
最初に見たのは、遠い世界、ゲーム画面の向こう。
最後に見たのは、宮殿での晴れやかなお祭り。
それが今は、敗れ、裏切られ、ズダボロに落ちぶれ、一兵士に銃で殴られ。
そのあまりの変わりように、ただただ怯えたのだ。
彼がそうなったのは、もちろん彼の因果である。
だが、それを訪れさせたのは、
そこにショーンの言葉が刺さった。
彼はおそらく『梓』とは関係ない『悪役令嬢』の過去を
しかし彼女には、
『成り上がるためにはなんでもする』
という、その言葉にそっくり抉られる、悪魔の誓いがある。
それにまた、怯えたのだ。
「逃げてきたのよっ!」
自身より純真で、かわいそうに怯える妹すら置き去りにして、一人。
だから今、彼女は許されようとしている。
同じ誓いを重ねた少女に。自身の暗き道を肯定してくれた少女に会うことで。
母親の子宮へ取り縋るかのように、彼女の腹部に顔を
そうしてシルビアが頭を撫でられながら、長い長い夢を見ている頃。
2324年5月12日、午前10時10分。
法廷でも、一つの決着がついた。
「主文。被告、ショーン・サイモン・バーナードを、国家反逆罪で死刑とする」
日本人の『梓』からすれば、スピーディーなものであった。
彼女の常識で言えば、裁判に時間が掛かるし、判決後何年も収監されるもので。
しかし、これが同じ法治国家でも民主主義と専制君主制の違いだろう。
いや、この時厳密には、君主はまだ決まっていないのだが。
それはさておき、多くの文献にはわざわざ
『2324年5月 “吉日” 16日』
と書かれた午後15時ちょうど。
「悪人とはいえ、死体が腐るまで晒すなよ? 虫が湧いては、新皇帝の祝賀に飾るも浅ましい」
ショーン・サイモン・バーナードは刑場の露と消えた。
享年24歳。
絞首刑であった。
その次の吉日、2324年5月22日午前11時ちょうど。
ついにこの時が来た。
「余はこの国を、より正しく! より強く! より豊かに! 導いていくことを誓おう!」
先日演説のあった、宮殿の正面玄関にて。
新皇帝の即位式、戴冠式である。
政府高官や有識者による
式を吉日まで待ち、準備期間もあったことを考えれば、決まったのはもっと早く。
参加者の一人、社会学者バスタマンテの日記によれば『3日目早朝、実質2日で結論』。
もちろん国家元首をいつまでも空位にしておけないということもあるが。
それ以上に。
「そのためにも、軍人政治家貴賤問わず! 臣民諸君の協力が必要不可欠である! だからこそ余も、皆が力を貸そうと思うに足る君主足らんことを標榜する!」
外務省次官キャンベルの残した記録では、参加した同長官ドラクロワによれば
『開始数時間で、ほぼ全員が同じ案を胸ポケットに収めていたことを確認した』
とも残されている。
それだけ満場一致だったのである。
「わあああああ!!」
「陛下万歳!! 新皇帝万歳!!」
「皇国万歳!!」
「皇帝ノーマン万歳!!」
この日、バーナード朝新当主、ノーマン帝が誕生した。
多くの国民の喝采のなか、堂々と壇を降りる皇帝。
そのまま人目につかない、中継カメラに映らない位置へ姿を消した。
なので多くの国民には、『若くもしっかりした、新時代のリーダー』と。
凛々しく輝かしい姿が記憶されている。
が、
実は、ケイ・アレッサンドラ・バーナードの回顧録によると。
「うわあああぁぁぁぁ……!」
盛大なため息とともに。
舞台裏へ
ノーマンは瞬く間にフニャフニャと崩れ落ちた。
そのままひしっとケイのお腹へ抱き付く。
「姉さまぁ、僕、がんばりましたよねぇ?」
「あー、うん、よしよし。がんばったがんばった。歴史に残るカッコよさだった!」
彼女は異母弟の頭を撫でてやりつつ、隣にいるクロエへ目配せする。
婚約者がいるのに、姉とばかりベタベタしていることを気にしたのだろう。
が、彼女は彼女で、呆れたように笑いながら肩をすくめる。
どうぞそのまま、と。
「いやぁ、それにしても、よかったよかった」
別に修羅場というほどでもないが。それでも皇帝の夫婦仲にデリケートな影が差す現状で。
デリカシーゼロでお馴染みバーンズワースがのんきに手を叩く。
「ようやくここまで漕ぎ着けたんだねぇ。一安心だ」
「……ですね」
被害者の会永世名誉会長イルミが恨みがましい目で睨むも、彼は気付かない。
すると、こういう時意外に空気を読めるカーチャが、
「いやぁ、みんながんばった! みんなのおかげ! まだいろいろあるけど、ひとまずお疲れさま! マコちゃん以外!」
「ほあっ!?」
なんとか有耶無耶に混ぜっ返す。
最近はハイクラスでフォーマルな場が多かった。そのため、同行できない(したがらない)ことが多かったシロナ。
久しぶりにカーチャさまのお
だが残念ながら、これくらいしか使い道のない彼女が悪い。
しかし、こういう者にも優しいのが、主人公という存在である。
「本当に、皆さんのおかげです! 本当に、本当にありがとうございました!」
クロエが素早くシロナに駆け寄り、ギュッと両手で手を握る。
「えへへ」
彼女もチョロいもんで、まんざらでもなさそうに機嫌を直している。
そのままクロエは、カーチャにも握手したり。リータをギューッとハグしたり。バーンズワースにキスしようとしてイルミに睨まれ断念したり。
一人一人に「ありがとう!」と感謝を伝えて回る。
最後には、
「シルビアさん! あなたがいてくれたから! あの時助けてくれたから! 私たちは今こうして、晴れやかな日を迎えられています! 本当にありがとう!」
年末年始祭以来の盟友の手を、強く握った。
対して、当の盟友親友は、
「えぇ、そうね」
ぎこちない作り笑い。
存外盛り上がらない声で、短く返事をしたのみだった。
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